【連載小説:ホワイトハニーの未来へ】「第3章 予感って、」(2-4)
(2-4)
良かった。由香は死なない。灰色の本の世界では、その事が分かるのは翌朝、車の中だったが、今この部屋で分かった。それがホッとする。
欲しかった確証。それを手に入れる事が出来た。娘の命が無事で目を覚ます。今はこれ以上の情報は必要ない。
大樹は大の字になったまま、美咲にLINEから電話をかける。
「もしもし」
「美咲、由香は大丈夫だ。明日の朝には目を覚ます」
唐突に結果を伝える。嬉しさから先行してしまった行為だったが、言った瞬間、しまったという後悔が始まった。
「はっ? 何言ってるの? いきなり出ていったかと思えば」
「悪い! 急だったんだ。でも大丈夫。由香は必ず目を覚ますはずだ」
「必ず? どうしてそんな事が分かるの?」
朝に目を覚ますという具体的な事を言い始めた大樹に根拠を求める美咲。彼女の気持ちはもっともだ。でもだからと言ってどう言ったら良いか分からない。大樹は慎重に言葉を選んだ。
「えっと……、そんな予感がしたっていうか」
「予感って、」
美咲の口から呆れた息遣いが聞こえてくる。説得力がまるでない。何か良い説得材料はないか。大樹は思考を巡らせて、咄嗟に思い浮かんだ言葉を口にした。
「父さんが死んだ時と同じ予感がするんだ。父さんと結果は逆だっただけど、予感自体は当たってるから」
「お義父さんの……」
美咲にとって父の名前は強い。生前、一度も会っていないからかも知れない。結婚前に一度墓参りに行って、その時に美咲の口から挨拶はしていた。自分と母の口から死んだ時の経緯は話しているし、向こうの両親もそれを受け入れてくれている。
「うん、だから大丈夫だと思う」
大樹が説得してから、長い沈黙が二人を電話越しに包む。父の名前でも納得してくれなかったら次はどうしようか。流石に灰色の本の話は出来ない。沈黙が続く中、そう考えていると、iPhoneの向こうから「大樹」と小さく呼ぶ声が聞こえた。
「何?」
「ありがとう。私が取り乱してるからそう言って励ましてくれてるんだよね。お義父さんの事まで言って」
「あ、いや……」
そうか。励ましていると解釈したのか。美咲の心境が分かった時、大樹は焦っていた。どう返したら良いか戸惑う。
「うん、大丈夫。分かった、大樹の言う予感を信じてみる。だから、大樹は今夜はそのまま家にいて。何かあった時に家に誰もいないと大変でしょう?」
「了解」
「あと、お義母さんに由香の事、まだ話せてないの。大樹の口から説明してくれると助かる。気が動転してて、話すタイミングがなかっただけなの」
「分かってる、俺から話すよ。この時間でもまだ起きてると思うし。大丈夫、上手く言っておくから。それよりも美咲の家には……」
「そっちには私がこの後、報告するよ。その事で大樹に連絡が行ったらごめん。一応、連絡するなら明日するように言っておくから」
「それは、ありがとう」
おそらく母とは長電話になりそうだ。それに続いて美咲のご家族と話すのは、大樹の疲労があっと言う間にキャパシティを超えてしまう。彼の心情を察したのか、美咲は小さく笑う。彼女が笑えるぐらい元気を取り戻せて良かったと素直に思った。
「ごめんね。笑っちゃって」
大樹は起き上がり、iPhone越しで頭を下げた。
「いいよ。実際、笑われてもしょうがない。情けない夫でごめん」
「いえいえ。私の方こそ、情けない妻でごめんなさい」
「美咲が落ち込む必要はどこにもない。だから大丈夫。今夜は由香の傍にいてあげてくれ。晩御飯は適当にコンビニで済ますから」
「うん、分かった」
美咲との電話が切れる。それまで聞こえていた声が聞こえなくなり、部屋の中に自分だけがいる現実が急に怖くなった。
「ふぅ」
視線を下に向ければ開いたままの灰色の本があった。父から貰ったこの本を開いたのは今日が初めてだった。最適化された未来が書かれている父の言葉と実際に見た父の深緑の本の情報を頼りにココまで来た。
心配させまいと美咲には、コンビニで済ますと言ったが、正直出掛けられる力は残っていない。今日はもう寝てしまおう。
そう決めたら、大樹は立ち上がり洗面所で手を洗って、部屋着に着替える。電気を点けっぱなしにしていた自室にもう一度、戻って椅子座った。
色々あり過ぎて、頭が混乱しているせいか、試しに目を閉じても全然眠たくならない。神経が昂っているのが分かる。本棚の前には出しっ放しにしている灰色の本がある。流石にもうページは閉じたが、とうとう開いてしまった。
今更ながら、その罪悪感が津波のように大樹に押し寄せる。
「開いちゃった、か」
諦めにも似た言葉を大樹は呟く。部屋に誰もいないし、いたとしても聞こえない程の小さな声だった。簡単にエアコンの風に消されてしまう。
今日の出来事が色々書かれていていた。由香の事は勿論、大樹の仕事までだ。もし、あれを事前に読んでいたら、対応は完全に変わっていた。最適化された未来を選んだだろう。
たまたま大樹が灰色の本を思い出したから、ココまで来れたに過ぎない。思い出したのは本当に偶然だ。しかし、偶然だとしてもそれも立派な選択肢。
大樹は立ち上がり置かれていた灰色の本を手に取る。さっきは夢中で気付かなかったが、初めて持った時と変わらない重みがちゃんとある。
一度、開いてはい終わり。
そんな都合の良い事は出来ない。便利な回避術を知ってしまたら、使わずにはいられない。大樹は台所に行きウイスキー用のグラスを取り、水を入れて自室に戻る。流石にこんな日に酒は飲む気がしなかった。
水を入れたグラスをコルクのコースターに置く。部屋の電気を消して、デスクライトだけにした。
まずは今年の元日から今日までのページを読む事から始めようか。
大樹はそう決めてページを開いた。
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