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渋谷のカルチャーの前に、伝えたい言葉を考える。

久々の渋谷へ。
渋谷に着いた途端に思うことは駅の出口が常に変わっていてわからないことと、あの独特の臭い。渋谷には、渋谷の臭いがある。(これが好きな人もいるんだよな〜と思いつつ、僕は苦手である。)
行き合う若者達は今日もカルチャーを追っかけて忙しそう。

僕の渋谷の思い出と言えば
若かりし頃によくわからない飲み屋さんで飲み放題の意味を知ったことと、奥さんと付き合った焼き鳥屋さんぐらい。
あんまり渋谷の街を知らない方だと思います。

今回はとあるプロジェクトの妄想を膨らませるために渋谷の駅前や駅周辺をブラブラと歩く。道中はこんなことを考えていました。

Q
今の若者は何を追っかけて渋谷に来ているんだろうか?
渋谷カルチャーの今は?
レトロカルチャーは来てるけど、本当に若者はエモいと思ってるの?
PACROのショーケース的な商売の発想は何をもたらすのか?

昨年できた渋谷フクラスやリニューアル渋谷PARCOに行ってみる。
前述した問いを目の前で起こることを情景に焦点を合わせてみると、僕が考えていた問いに答えが返ってくる。

A
やっぱりインスタで検索していて、そこには非言語化させた共通の理解があることがわかる。(たぶん問いとかない。)
カルチャーを追いかけているのではなく、その中にいることで安心する人がいる。(これ以外にも選択肢はあるので、これ以外の安心感で遊んで大丈夫です。)
今のカルチャーはファッションにしても時代は繰り返され、SNSがそこを下支えしている。(そこがマーケティングになり、そこを捉えている女の子は多い。)
PARCOに買い物に来ている人は実はほとんどネットで買っているんだということ。これでは店舗をやる意味など、色々と考えてしまう。
ただ、そこにシンボルとしてお店があればいいのか!?などなど。

最後に「エモい」について
正直、僕は全然エモいと言う表現をしないし、そこを曖昧にするのがあまり好きじゃないので、一旦エモいについて調べました。
「エモい」とは、なんとも言い表せない素敵な気持ちになったときに使う、主に若者の間で浸透している俗語(スラング)です。感情が揺さぶられたとき、予期せず感動したとき、とりわけ心地の良い懐かしさや良質なセンチメンタルに襲われたときに使うようです。
色々と調べたけど、こんな感じらしいです。

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A
やっぱりエモいという言葉や空間は何だか好きみたい。
理由はこうだと思う。
うまく表現できなくていい。
エモいという言葉の吸収力は他を巻き込み、虚すら認めてしまう。
これは決して悪いことではないし、その中に共通の優しさがある。

【まとめ】
非常に厄介な時代が来ている。
流行というものは非情で楽しくも危険もの。
僕はそこに対話や表現を持って対峙しようとした時に、真っ直ぐ伝えれることはあるだろうか。

コミュニケーションは絶対だ。
それをやめたら愛も希望も生まれない。
渋谷って煙みたい街だなと思いながら、伝えれることを思考していく。

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