「よく分からない」という言葉の裏には、怖い共感と謎の期待感。

僕は10代〜20代の頃に「よく分からない」と言われていることが多かった人です。
子どもの頃は自分が思いついたことをうまく伝えられなかった。『伝える自信』がなかったと言うのが正直なところ。
それが10代〜20代では少しずつ言葉や説明の意味を覚え、今に至ります。
まだまだ説明不足な部分はたくさんあると思いますが、、、最近は「よく分からない」と言われても前より嫌じゃなくなった。単純に言われ慣れたこともあると思いますが、、、

今日はこの「よく分からない」について触れようと思います。
一般的には「よく分からない」と言われれば、何が足りなかったり、どこか共感を得ていないケースが多いですね。そもそも共感とは何か?
辞書によれば、共感とは「他人と同じような感情になること」
(新明解第五版)。
これもよく考えるとすごく簡単なことではないですね。もしかしたら、あまりに難易度が高く、おこがましい話ではないかとも思います。
とぐるぐると考えていくと。

共感の手前には、何か「まだよく分からない」ものがあるのではないだろうか?話をだいぶ飛躍させて、、、いよいよあらゆるサービスが代替し始めた現代において、「まだよく分からないけど、期待しちゃうもの」に意志が加速していくのではと感じています。

まだ無いものを作る!!!(かなり熱量が高いか!?)
その奥にあるのは、「(どうなるか分からないけど)作ってみたい」というチャレンジングで不確定な未来と心意気な気がしています。(僕は今、異常に楽しさを感じています。)

どうなるかすら分からないものに、「共感」はできません(心意気に共感、ということはあるかもしれませんが)。むしろこれに期待し、クラウドファンディングのようにお金を出していただけるような「分からなさへの期待」が、ポジティブに僕を支えているようにも思います。

今日はいつも以上に言葉が散文的で申し訳ないのですが、子どもの頃から言われていた「よく分からない」という言葉の可逆性を見出すことができた気がします。という謎の悟りで来週も頑張ろうと思います。

おしまい。


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