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1984年はスポーツビジネス元年
ロサンゼルス五輪が開催された1984年は「スポーツビジネス元年」と呼ばれる。
それは、「知的財産権」が、スポーツビジネスの柱になるということを世界中に示し、「稼いだ」たからだ。
ちなみに、ロサンゼルス五輪の12年前、1972年頃に、1976年の冬季五輪の開催都市、コロラド州デンバーが開催を返上するという衝撃的な事件が起きた。
オリンピックのために税金を投じることを禁じる法案に賛否を問う住民投票が行われ、賛成多数で可決。これによってオリンピック組織委員会がIOCにギブアップを申し出たという背景だ。
このように、1970年代には、「オリンピックは開催国に赤字をもたらす」という常識が世界中に広がっていた。
さらに、1976年のモントリオール五輪では、10億円の赤字となり、モントリオール市は莫大な借金を負う結果となってしまった。
このような経緯もあり、1978年に行われたIOC総会で、1984年大会に立候補したのはロサンゼルスのみだった。
ここでロサンゼルスは、大きな決断を下す。
主催者をロサンゼルス市ではなく、ロサンゼルス五輪組織委員会としたのである。そうしなければ住民からの指示が得られなかったからだ。
この時に組織委員会のトップを担ったのが、ピーター・ユベロス氏。北米第2位の旅行会社を創業した起業家で、42歳でこの大役に抜擢された。
結果として、同氏の手腕のもと、ロス五輪は2億ドル以上の黒字だった。
この成功を導いた大きな戦略が2つある。
一つは、放送する権利を入札制にしたこと。
もう一つは、大会ロゴの権利を1業種1社に販売したこと。
この二つの施策はいまでは当たり前だが、当時は相当イノベーティブな発想であったと思う。
さらに驚愕するのが、放映権の最低価格が2億7,500万ドルに設定されたこと。モントリオールのときが3,500万なので、その金額の大きさがみてとれる。
(ちなみに、1964年の東京五輪の際は160万ドル・・・)
しかし、この放映権を2億8,700万ドルで入札したABCは、見事に4億ドルのCM枠を販売し、オリンピックが儲かるコンテンツであることが証明されたのだ。
この大会を機に、IOCの放映権収入は急上昇し、翌年のソウル五輪では4億ドルに、2016年リオではなんと約30億ドルにまで上昇している。
また、スポンサーシップもこのロサンゼルスから跳ね上がっている。モントリオールでは400万ドルだったものが、ロス五輪では約1億ドル、2020年東京五輪では30億ドルまでに上昇している。
これがロサンゼルス五輪が「スポーツビジネス元年」であるといわれるゆえんであり、今日も放映権・スポンサーシップという知的財産権が、スポーツビジネスの中心にあるゆえんでもある。
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