夏祭り(神輿祭り)の思い出…
扇風機しかない私の部屋に賑やかな囃子の音が聞こえてくる。
どんどこ、どんどこ、どんひゃらら、トンっ、
どんどこ、どんどこ、どんひゃらら、トンっ、
神輿祭りをやっているようだ。
夏っぽい風情のその定型文っぽいいつもの感じが不思議な安堵を催す。
もっとも、ストレスいっぱいの個人がいれば、ひょっとすると今日ではこういった夏の風物詩もただうるさいと感じる個人がいても不思議ではない。
団地の部屋に響き渡る囃子の音は、今とは全然違う場所にある団地に住んでた小学生のころにわたしをタイムスリップさせた。
その団地は今住んでる団地とは規模が違い、30棟以上あるややマンモスな団地で小学校の同級生の7割5分は団地の住人だった。
夏休みもあと二週間かそこらの時期にその団地でも神輿祭りが行われていた。
二棟に一台(というのか?)の割合で神輿が割り当てられる。
会社が休みのお父さんたちが中心になり神輿を担ぎ、小・中学生の子供たちがそれを補助し、ちがう棟をランダムに訪れる。
それぞれの棟には出迎え所みたいな場所が設けられ、そこにはかき氷のシロップを水で薄めた冷たい飲み物が用意されていて自由に飲んでよかった。
当時我が家の冷蔵庫には夏場はせいぜい麦茶と牛乳が入ってるくらいだったので(それすらなく、水道の水をそのまま飲むことも多かった)、これが飲めるのも結構嬉しかった。それは昭和な風情かもしれなかった。
神輿が、ある別の棟に乗り込むと、ただ神輿を担ぐのではなくみんな声を上げる。
「えいや、おいや、えいや、おいや、えいや、おいやっ…」
そして神輿のうえに子供たちを二人選んで担ぎあげられ、神輿はさらにはげしくゆさぶられる。
「えいや、おいや、えいや、おいや、えいや、おいやっ…」
もういいだろうというころ合いで神輿が台に置かれると、みんなで三・三・七拍子っぽい柏手を打つ。
パンパンパン・パンパンパン・パンパンパン・パン・よぉ~っ!
パンパンパン・パンパン……
わたしは神輿の上に担がれるのはやや苦手で(震度10の地震みたく揺れる)祭りのために用意された巨大なうちわでみんなを扇ぐ役を好んだ。
しかし肝心なのはそんなことではなく別のことだった。
小学生だからクラスに好きな子の一人や二人はいるものだ。
クラスの連絡網とかで、団地の何棟に住んでるのかくらいは分かっている。
二人の子が思い浮かんだ。
もちろん天秤にかければ完全な平衡ということはなく、どちらかに30度前後傾くのだが、あれから三十年以上経ってる今日ではあまり変わらないかもしれない。
その二人の住んでる棟は、自分の住んでる棟に対して小学校をはさんで正反対の方角にあったため、普段、用もなくそっちの方角へ行くこともあまりなかった。
しかし今日は祭りだ。
神輿担ぎのようなゆっくりしたスピードで普段あまり行かない棟へ乗り込む。
ある仄かな期待が僕の中で膨らむ。
30棟以上ある団地群なので、当然全部の棟に乗り込むわけではない。
しかし奇跡の様なことが起こった。
気にしている棟に自分たちの神輿が入っていく。
僕は多少興奮して、巨大なうちわを精一杯の力で扇ぐ。
待ち受け所やあたりを見回す。
わたしの気にしている女の子はいなかった。
奇跡はもう一回起こった。
もう一人の住んでる棟に神輿は潜入した。
それは団地の総棟数を考えればあり得ないほどの偶然だった。
しかしまたしても自分の期待は裏切られた。
こんな団地きってのお祭りの日に家でテレビで「新婚さんいらっしゃい」でも見てるというのだろうか。
夏休みでずいぶん顔を見ていなかったから、もしやという淡い期待が膨らんだ。
今考えればさすがに事情がのみこめる。
団地の神輿祭りはかなり男性のものであり、自分の棟を含むどの棟でも女の子で参加してる人は少なかった。
夏休みが終わり、学校でもちろん再び顔を合わせたに決まってるが、大人しい学童だったわたしは積極的にその子とはなすわけでもなかった。
そうこうしているうちに、一人が学年末に転校してしまい、翌年には自分がその学校を出ていく展開になった。
Facebookでもやってれば、生きている限りひょっとすると消息がつかめるのかもしれない。
神輿祭りは今日でも行われている。
その祭り囃子は期せずして遠いむかしの記憶に私を誘った。
囃子の音はいつの間にか聞こえなくなっていた。
無粋な扇風機の音だけが部屋に響き渡る。
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