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自分はネットアクセスよりリアルアクセスが好きなのかも

投稿に積極的な人は多いと思います。

投稿それ自体は積極的な行為だと思います。

ただ、でも

投稿って、結局アクセス待ちみたいな部分を強めてしまう部分はあると思います。

LINEでもなんでも、リアクション待ちな部分ってありますよね。

noteも、コメントやスキ押しでバンバン他者とかかわる体質の人を除けば、投稿したあと「スキ」待ちやPV待ちみたいになる部分はありますよね。

本とかを出したい人も、Kindle自費をやってる人を除けば

「オファー待ち」一辺倒になりがちですよね。

いや、Kindle自費だって、積極的に売り込んでる人を除けば
「売れる待ち」「レビュー待ち」みたいになる場合もありますよね?

ネットの世界って、すごく「待ち」の世界

「待ち」の姿勢を助長する世界に思えてきました。


僕は、15年ほど前に紙の自費出版もやったんです。

某自費出版社が東京で、月イチくらいで、出版相談会みたいのをやってたんです。

今みたいにネットからサクセスみたいなことが当たり前ではなかったんで

結局、144万の5年ローンを組んで1冊出したんですけど

今なら、ネットから、いくらでも自分を売り込める時代なんで

正気の沙汰とは思えない人もいるかもしれません。

でも、ネットからいくらでも自分を売り込める今の時代が、そのころよりしあわせなのかどうかはよく分からなくなってきた部分もあります。

東京まで実際に出向いて、出版社の方々とはなしたり

作品を見てもらって、いろいろ打合せとかしたりもしました。

そのころ、いまアラフィフのぼくも30代だったため可能だった部分もあります。

ネットでサクセスは、144万の初期投資なんかいらない場合が多いし

東京まで出向いて、編集者やプロデューサーなどとはなす必要すらないんです。

すべてのやりとりがネットで自宅で、スマホで完結します。


素晴らしいじゃないか!

という人も多いでしょう。


30代の、その、紙の自費出版をしたころ

編集者や出版プロデューサーや、その業界が、少しだけ身近で、自分にも、もしかしたら縁があるんじゃないかという気になりました。


今は、再び、それらの人や業界は「雲の上」の存在になってしまいました。


というのも、ひとつには

2018年から、ネット投稿をやるようになって

ひたすら「待つ」人になったんです。


スマホの画面でひたすら「アクセス待ち」あるいは「リアクション待ち」です。

投稿をガンガンやるようになって、すごく能動的になったような気にもなりますが

しかし、つまるところ、ひたすら「アクセス待ち」


僕は、個人的には

「アクセス待ち」にリアクションがもっとも早く、多く返ってくるのは
Twitterだと思っています。

あとのメディアは個人差が大きいでしょう。


コロナになる前

noteのトークイベントに2回行きましたけど

自分は、もしかすると

ネットですべてが完結してしまうネットアクセスの世界より

リアルアクセスの世界のほうが好きなのかな

とも、思うようになりました。


といっても、そこそこの齢なので

ネットで知り合った人と急にお茶というわけにもいかないですけど。

お茶をするためだけに、新幹線や飛行機にはなかなか乗れませんし



ネットで助長された(コロナのせいも、いや齢のせいもあるか)

「待ち」の姿勢のおかげか

リアルアクセスの契機が事実上なさそうな対象や事柄に、生き生きとした関心を持ちにくくなってる部分があります。


あとは、ネット投稿の結果がどれくらい出てるかにも左右されると思います。

プロ野球選手の多くは、初めに「プロでやる」という決意ありきというより

小学生のころとかに、平均的な人より野球がうまい自分に気づいて、自然とそっちに誘われたケースが多いと思います。

「自分はオスカー俳優になれるハズ」という勘違いを抱えたまま、40くらいになって、やっとそうでないことを悟る痛いケースもあるでしょうが

不可能に思えることは、そもそも欲望にもなりえないことが多いでしょう(自慰などの性妄想を除けば)

投稿ダッシュボードの結果は、ある意味勘違いを許さない部分があります。

投稿ダッシュボードの世界は、人の根拠にもとづかない勘違いを許さない部分があります。

うまくいってる恋愛の多くは、うまくいってる相互勘違いかもしれません。

ダッシュボードを勘違いできなくなった地点が、その人の投稿の限界なのかもしれません。


いや、ちょっとシリアスになってしまいましたが

人間、恋愛でもなんでも、あまりにうまくいかない事柄からは自己防衛のために関心を遠ざけるのかもしれません。


自分は、もしかすると

ネットですべてが完結するネットアクセスの世界より

リアルアクセスの世界の方が気が紛れるのかもしれません。


いや、コロナで、あまりにリアルアクセスが下火になったため、その反動でそう思うのかもしれませんし

ダッシュボード(リアクション)的な酷薄から身を守るために、自己防衛的に、ネットアクセスの世界を(一時的にせよ)遠ざけようとしてるのかもしれません。

経済格差が言われて久しいですけど

僕は、それ以外に「ネット格差」みたいなものもあるような気がしています。

それは、もしかすると、精神論だけで乗り越えるのは難しいなにかなのかもしれません。

最近、リアルのほうが気が紛れています、という日記的なつぶやきを長文化すると、この様な文章ができるというはなしです。

ネットの敗者には、やっぱりリアルこそが還る場所なのか。

敗者という決めつけが性急なのか

でも、最近に限れば、リアルのほうが圧倒的にリアルだ。

そんなことをわざわざネットで語ってどうするという気もするが

多くの人が喜ぶようなものをはつくれないのが、ネットでうまくいかなくなった人に表われる兆候なのだろう。

すればむしろ、リアルに抱かれるのこそが素直というものか

noteのタイムラインで見かける「書籍化決定」みたいなニュースに絶望的無関心な自分がいる。

東京に出向いて、編集者やプロデューサーや、そっちの世界と縁があるかも、なんて考えた15年前の対局にいる。

それらはむしろ、ひょっとすると自然な流れなのかもしれない。

この文はネガティブなのかもしれないけど

ひとつくらい、こういう記述があったって構わないのじゃないか。

ネットと決別するってわけじゃないけど

もしかすると、陽はリアルから差しこもうとしてるのかもしれない。

ネットで、自分はより「待つ」人になってしまったのかもしれない。


(あとがき)
職場の飲み会のグチや、オナラに等しい文章を書いてしまったような気もします。
しかし、これだけ困難な時代にうまくいってる部分のみを語ってしまうのも、個人的にはおかしな風潮にえるときもあります。
もちろん、東方でおこっている沙汰を考えれば、むしろ少しでも楽しい話題をしたいというのも分かりますが。

グチやおならを聞いていただきありがとうございます。

やっぱ、今年は、どちらかといえばリアルかな

そんなこと、わざわざネットで言ってどうするお前っ!って?

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木月まこと
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