タワマンは見えてこない
わけあって団地に住んでいる。
かれこれ15年になるから、気づいてみると人生でもっとも長く住んでいる場所になる。
息子(自分)が稼ぐ人でなかったというのもなくはない。
自分があんまり不動産に対する欲求が乏しいというのもある。
セキュリティー万全の駅近最新マンションの広告を電車の車内で見かけても、そんなに心ときめかない。
自分の財布事情ではハナから無理なモノと考えて、意識的に見るのを避けてるのかもしれない。
40歳までミュージシャン志望で、そののち物書きに志望を変えた自分は、どちらの時代も共通して、どうしたらよい作品を作れるだろうか(よい音を出せるだろうか)みたいなことに注意を向けていたおかげで、財物の獲得にはやや冷淡だったかもしれない。
財物の獲得を優先するなら別の行き方も多分あったハズである。
親孝行なあり方ではなかったと思う。
先日、曇天の寒い日
「ちょっとアンタ」と親(母)に呼ばれ、上の階へ連れていかれた。
なにか抗しがたいことが起きてるらしく、寝間着に近い恰好のまま黙ってそのまま5階まで行った。
そんな大したことでもなかった。
階段の蛍光灯を取り換えてほしいみたいなはなしだった。
5階の老夫婦はともに80近い年齢で、ちょっともう無理みたいなはなしだった。
自分もアラフィフで特別若くもないのだが、脚立も貸してくれたので、造作もないことだった。
団地には老夫婦とか、配偶者に先立たれてひとりの老人も増えている。
ここ1週間半体調を崩して派遣バイトを休んでいる。
熱が出た方は1週間仕事を休んでもらいますと言って、予約は取り消しになった。
御時世的に仕方がない措置だろう。
ちょっと金は底を突いているが、スーパーに10年以上勤務していたせいか、銀行のカードローンを使える身分になっているので、いざという時はこれを頼ることにしている。
熱にうなされてると、色々考える。
吐き気がしたり、喉が渇くと、3年前に亡くなった父は入院してから8か月間喉から水をさへ飲めなかったことに思い当たる。
喉の渇きを自力で潤せないというのは結構辛いことだ。
よその棟(団地の)で朝方荷物がもすごい音を立てて乱雑に運び出されてるのを何回か見たことがある。
そこに住んでる方が亡くなったのだろう。
多分、人にはその人その人の学びのステージがあるのだろうという気がする。
日本は戦後しばらく経済の時代だった。
よい暮らし、よい人生を手に入れられない人は、どこかが間違ってる、あるいは能力的に劣ると考える人も増えたのではないか。
自分の様な愚鈍な輩が、もしタワマンに住めてベンツを所有する生活をしていたら、団地でひとり亡くなっていく人のはなしとかは多分完全な他人事だったろう。
天は多分巧妙な采配をした。
「この愚鈍な輩をどうしましょう?」
「団地にでもぶちこんだれ、そうすりゃいろいろ気づくじゃろ」
銃を撃ち合うヤクザの世界にぶち込まれなかったことに安堵するが、自分は団地という世界に投げ入れられた。
それは解釈がおかしい
ただ単にあんたが稼ぐ能力に乏しかっただけだろう?
う~ん、ハッキリしたことは分からない。
ただ、人それぞれの、その人に見合ったステージのようなものがあって、それは経済世界の財物を基準にした優劣、良し悪しでは必ずしもなく、ただその人その人に見合ったステージがあるのではないかという気もしてくる。
そのステージは、1億総中流と形容された80年代までの日本と較べると、あまりに多様化、多層化しているというはなしなのかもしれない。
お~い
タワマ~ン
自分の住空間としてのタワマンは見えてこない。
そもそもそれを真剣に希求したこともなかったのだし(真剣に希求すれば手に入るものなのかよく分かりませんが)あわよくばみたいな欲でしかないのかもしれない。
たぶん人それぞれのステージのようなものがあって、それは優劣とかでもおそらくなく、それぞれのステージでやるべきことなり考えるべきことがあるのかもしれない。
団地の1階の部屋から雨降る外を眺めて、そんなことを考えていた。
(あとがき)
多少調子を崩しておりまして、また例の宣言などもでておりますので、そんな派手なアクションはとれません。
でもじっとせざるを得ないのもたまには薬かな。
というのも、こんなでなければ、この文のヘッダー画像のためにカメラもって小杉(武蔵)までタワマンの写真を撮りに行きかねないようなヤツなんで(神奈川に住んでますが家から小杉までは1時間ちょっとかかります)
自粛も薬かな。
(製作データー)
書き始め 2021/1/26 08:30