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適当な仮姿がみつからない

店(店舗など)にある商品から、人の欲望がSNSという舞台に移行し出したのは、
丁度リーマンショックがあったころ(2008年くらい)だと思う。

リーマンショックまでは、人々は「商品」をつくり、また「商品」を売る仕事に従事した。
たとえば、東野圭吾の書いた小説を本屋が売るというスタイルだ

作り手と売り手と流通はそれぞれしばし別だった。

SNSが登場するまでは、人々は、こういったことの中から職業(やること)を見つけることが多かった。
しかし、SNSが登場すると
それは、個人が個人でやれるショー舞台のようなものなので
そのショー舞台で自分がどう見られるかか肝心になり始めた。

だから、東野圭吾や宮部みゆきのような、商品をつくる仕事は
まったく需要がなくなったわけではないにせよ、下火傾向になり始め
それを売る本屋も、これはアマゾンの興隆によってだが、激減した。

すべての欲……いや、食欲や性欲など基本的欲求を除くと、他の欲求は
ある仮装とも言える
ガンプラとかをつくりたい、ゲームをやりたい
エリッククラプトンのようにギターを弾きたい
全部、仮装的なものだ
大人になると、生活費を稼がなければいけない事情などから
これらの仮装(的欲望)は、それで食える見込みがない場合は、萎れてくるものだ。
そこで、普通の職業から、仮装を選択する。

○○さんとつきあいたい
○○さんとSEXしたいみたいな仮装も
結婚できる見通しや成就する見通しがない場合は、それにフタをされる(されない場合は、ストーカーなどもあり得る)

そこで、わかることは
大半のことは仮装でしかないということだ

それが、仮装でしかないことに人々が気づき始めたのは
経済が発展して、余剰財が積みあがったことと
選択の自由と、一度選択したもの(職業や結婚)をあとから変更する自由や、そもそもそれらを選ばない自由が拡大したからだと思う。

別に、結婚も就職もしなくてよい風潮になってしまったため
人間の選択は、終局的にすべて仮装なのだという事実に、多くの人が気づいてしまったのだ。

財の過剰は、こういったこころの隙をつくる

どの仮装も選ばず保留にするのを、一般にモラトリアムというのだろう。

しかし、第三次産業の大半が、そもそもそのフィクション性によって成立しているのであれば
その中から、どれをも選べない人が増加するのは、仕方のないことだ。

いや、どれをも選べない人は、最終的には、ひきこもりや無縁(に近い)状態など、選択肢が逆に非常に限られて身動きができない状態に、そうとは知らないうちになってしまっているかもしれない

人が、その人生の仮装性にもかかわらず、何かを選ぶのは
そのうちどれがどれだけありがたがられているか(給料や所得・評価などを得られる)
または、これらのものを得られないが、内的必然には合致しているかの、どちらかであることが多いと思う。
または、ある流れで、そうなってしまったものを選ぶのだろう。

どれも(大して)ありがたがられないし
内的必然というほどのものもない
という状態が続くんであれば、人は、無縁状態に近くなるか
または、とりあえず、部屋でゲームなどに手を伸ばすかもしれない

人は、学校を出るくらいの年齢になると
昔は、社会が押し付けてくるもの(または用意するもの)の中から選んだ。

しかし、SNSの時代になると
それはバカバカしいと感じる人が増えた
会社などに行って、上司や顧客(または部下・同僚)などに叱責を受けたり
ハラスメントを受けて、なけなしの金を手にするより
SNSで自分の見世物小屋が繁盛して喝采を受けてしかもお金が入ってくるほうがいいと考える人が増えたのは仕方がないといえば仕方がなかった(僕もどちらかといえば後者です)

人々の欲望が、今日の時点での仮装にすぎず、明日を保証するものではないことに思い当たったとき
何物をも選べず、呆然とするか、刹那的な、または場当たり的な選択になるのも、ある意味致し方ないことだ。

どの仮装も選べない人、または選んだ仮装が裏目に出た人(離職や離婚)をした人の何割かは、どの仮装も選べないという「弧」から空回りを起こして、そのうちのある人は、ハマり役(うまくいってる仕事やパートナーシップ)を見つけた人が呪わしくなるかもしれない

これは、もしかするとだが
僕たち個人のポテンシャルが低すぎるというより
あまりに選択できる仮装の種類と数が多すぎるためではないか?
それは、さきほども言った通り、リーマンショックのころのSNSの登場で10倍かそれ以上に膨らんだ。

「弱者(男性や女性)」という言葉を信じるのは、身体や精神などの明かな欠陥が認められる場合を除けば危険かしれない
それは、その人のポテンシャル(的な能力)が低いということと同義というより、ただ、どれをも選べない状態が長引いているだけではないか?
無論、いまから何かを選んでも遅いという(年齢などの)状況がないとは言えないが。


(あとがき)
どこへ行きたいかを言わない限り、タクシーは動き出さないとは言いますが
選択の自由がありすぎる現代は、どこへ行きたいかわからないで、空回りする人が増えてるみたいですね。
でも、これは、周りの人がどうこうできるものでもないのかもしれません。

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