力作には向かないネットメディア
住野よるの『君の膵臓をたべたい』はネット投稿作品だった。
ネットから生まれる本というのも実際は沢山あるのだろう。
上述の本は、「小説家になろう」サイトに投稿されてた作品で
読む人も書く人も、ほとんど小説に関心のある人ばかりだろう。
ところが、ここnoteもTwitterもジャンルに関する傾向はなく
あらゆるジャンルを内包している。
どんなことに関心のある人が、アプリを見ているのか見当がつかない。
しかし、ある種の投稿メディアの傾向はつかめてきた。
それは、ある種の大作は基本向かないということだ。
「小説家になろう」サイトでは読むほうも書く方も、じっくりそれに取り組むだろう。
しかし、Twitterやnoteを見てる人にその種の根気はあまりない場合が多いのではないか?
スマホでスクロールで閲覧という、受け手の作法にも関係している。
スクロールでは、コンテンツをじっくり読むのには限界がある。
noteだと、文字数で2000字以内が適量なのかもしれない(特に、文字だけでできてるコンテンツは)
内容もあまり深みのないようなものが好まれるようだ。
もちろん1万字かそれ以上の、魅力的なコンテンツにも結構出会ってきたけど
noteって、やはり、どちらかといえば、2000字を超えないライトな内容のものが好まれるような気がする。
これは、noteの基本主旨が、誰にでも気軽に創作を始められるということにあるからだ。
大作を沢山ストックする図書館を目指してはいないのだ。
練りに練った大作は、スマホで閲覧する人にはしばしスルーされてしまう。
これは、noteに限ったはなしではないだろう。
スルーされる運命の大作・力作・自信作をスマホ投稿メディアに投げることは、別のマイナスもある。
大作・力作・自信作が空振りすれば、作った方のショックは大きく
前に進むのが難しくなる場合もあるだろう。
作った方の精神状態は、負のスパイラルにはまってしまうこともある。
noteで知っている人というのは、明らかに格上のインフルエンサー級の人をのぞけば、どちらかといえば、お友だちのノリに近い。
僕たちの多くは、お友だちの力作なんかにはしばし関心がなく
お友だちに関しては、むしろ最近どうしている?みたいな情報をこそ知りたいものなのだろう。
それも、できれば、彼女(や彼氏)ができて、ベイシェラトンホテルの上階に泊まって云々みたいなはなしは聞きたくない。
役に立つはなしや、あんまりシリアスなはなしも聞きたくない。
創作家志望の人はしかし、大作・力作をどんどん書いて、早く認められたがっている。
大作主義の人は、このギャップを無視して、どんどん創作にのめり込む
しかし、お友だちの多くは、お友だちの期間が長くなればなるほど
大作なんかには用がないのだ。
実際、日記を含む、日常晒し系のコンテンツのほうが人気が出やすいと思うし
真摯に創作にのめり込んでる人は、しばし報われず、空回りするのだ。
空回りする力作(主義)は、作る方の状態を悪化させることもある。
投稿メディアは、もしかすると力作ほど報われないのだ。
力作に熱中する人は、しばし、どんなメディアにどう行けばよいのかに無頓着だ。
すごい創作というのは、しばし、何らかの非日常を含むことが多いだろう。
しかし、お友だちしかいない空間で、どれだけ非日常が歓迎されるのか。
もし、そこにお友だちしかいなければ
多分、「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」的なコンテンツが強いのかもしれない。
力作主義の空回り
本当に創作をやりたい人の投稿空間における空回りはどこへ行くのか?
今日は、フツーの投稿空間は、いわゆる創作的な意味での力作を歓迎する空間では本来ないのではないかというはなしでした。
御一読どうもでした。
(製作データー)
書き始め:2021年6月20日午後14時21分