飯(めし)のことで過ぎていく一日
アラフィフでアルバイトで独身でとなれば悩みは無論たくさんある。
悩みに耽溺すれば、それだけであっという間に84歳とかになっちゃうんじゃないかというぐらいだ。
しかし、それとは別に日常の雑事というのもある。
休みの日に掃除とかを仮にサボったとしても、メシというやつはどうにかしなければならない。
4年前から派遣バイトをやっているので、バイトの日には、コンビニ弁当、コンビニおにぎり、コンビニサンドウィッチ、牛丼弁当だのはしこたま食べているので、仕事のない日はそれらのものをできれば食べたくない。
休日なのに、何か仕事の日みたいになってしまうからだ。
母が70をすぎているため、冷蔵庫を気にするのと一部調理は自分の役目だ。
お米やコーヒー、料理酒やケチャップ、胡椒や長ネギに卵
何が切れてるのかに目を光らせなければならない。
妹もいるのだが、週5で少し遠いところで働いていて
いっぽう僕は、もう週5日はまず働かないため、その手のことは僕の役目になっている。
肉に魚に野菜に卵に、あっという間に切れてしまう。
一方、買ったけど使わなかったニラが腐りかけてたりする。
今は、この手の家事系のことをバッチリこなして、その上スタートアップ企業とかでバリバリ働いているすごい女性も沢山いるけど
昔の女性は、多くこうした、メシのこととか子供の心配とかをしてかなりの時間がすぎさっていった。
「文章を書くなら料理とかも好きでしょう?」
まだ、スーパーでレギュラーの仕事をしていたころある人に聞かれた。
そのころはあんまりその意味が分からなかったのだが
いまだと、少しわかる。
なるほど、僕は、料理が上手くはないけど、どちらかといえば好きだ(料理とかいうほどすごいもんじゃないですけど、分かりますよね?)
料理と文章を書く営為は多少共通点がある気もする。
料理というのは、技術的な巧拙をのぞけば、要するに組み合わせでもある。
無から有をつくるというより、ニンジンとかキャベツとか鰯とか既にあるものをどう組み合わせるかだ。
文章も、9割のものは無から有をつくり出すというより組み合わせだったりする。
いや、それはパクるということでは必ずしもない。
あんまり意図的なパクリはそれで一時的に売れたとしても、そのうち自分でやってて嫌気が差すと思う。
料理だったらレシピ集をそのまま真似ても悦に入ることができるだろうけど文章はその人のオリジナリティーがまったく出てなければ、やってて喜びがないだろう。
ひき肉がふたつ(豚ひきと牛豚ひき)冷凍庫に入っているので、できればこれを活かすことを考えて買い物にでかけたい(わからないけど)
こういった、一見下らない(?)雑事と文章を書く営為には共通点があるような気がする。
僕も、もちろん、僕という素材を生かしていかにゃならんのだ。
そりゃ、こんな罪深く業深い(?)ポンコツは死ぬより他ないのではという気分になることもなくはない。
ルックスを活かすんだったら、やっぱり33歳より手前が有利だろう。
持ってるものは人それぞれだからそれも加味しなければならない。
いまアラフィフの僕も、20年前は、料理だとかなんだとかは、まだ一切をお母さんとかがやってくれていた(恥ずかしいはなしだが)
いまは、メシに関することだけでも一日のかなりの時間がすぎていく。
でも、そういった諸々が、それほど嫌いでもないのは
それが文章を書くことと何らかの共通点を含んでいるからだと思う。
もちろん、これが、アラフィフで完全一人暮らしだとまたはなしは違うと思う。
ひとり暮らしだったら、コンビニで買ったポテトチップスを主食にして、夜中までゲームをやってたかもしれない。
ちゃんとした仕事もってる人ならともかく、アルバイトだからね。
と、また、はなしの主旨が曖昧になってきたんんで、そろそろ締めます。
「飯(メシ)のことで過ぎていく一日」でした。
さて、これから買いもんです。
(あとがき)
6・7月はかなり体調不良に苛まれましたが、どうにか持ち直したようなので、休みの日にサクッと文章を上げることにしました。