働くことで(会社で)お金は儲かるのか?(シロウト経済考)

なぜ(会社で)働いているの?

お金を稼ぐためさ!決まってるじゃないか。

ほとんどの人がこう答えるでしょう。

実際、生活費の心配がまったくなければ、今日の会社はストレスも多そうなので、引きこもる人も多いかもしれませんし、無理して働かないという人もいるでしょう。

しかし(会社などで)働くことによって本当にお金は儲かるのでしょうか?

これはまったく個人的な経験談なのですが、自分が働いていたスーパーで部署異同を受けてすぐ、翌月に異同先の部署の売り上げがほぼ1000万円上がったのです。

商売は水ものといいますし、自分は奇策や特殊な策を用いたわけではなく、当たり前のことを当たり前にやっただけで、またわたし自身の仕事と上がった売り上げの正確な因果の証明に成功したわけでもないのですが、ともかく、それ以降も部署は概ね好成績を収めたため、うだつの上がらない自分にもにわかにスポットが当たり始めたのですが、色々あってスーパーは辞めてしまいました。

そんなはなしはともかく、5人で構成されてる部署の月間の売り上げが前年比1000万円あがって、さてわたしを含めた部署の5人は、その上がった売り上げの恩恵を収入面で蒙れたかというと、これはフツーにわかるでしょうが、まったく「否」なのです。

ある意味、これは当たり前と言えるのです。

月額前年比1000万円の売り上げ増と言っても、これが自営とかなら5人で山分けも可能でしょうが、スーパーの従業員ですから、他者がオーガナイズした施設や整備された流通システムの上に乗っかって仕事をしたわけです。

それにしても、封筒に3000円の金一封くらいあっても罰当たらないんじゃないの?と本音の部分で思ってしまいましたが、実際そのくらいの恩恵すらも受けられないのです。

でも、これも、ある意味当たり前なのです。

スーパーなどで、部署の売り上げに応じてインセンティブが直接支払われてしまいますと、売り上げ至上主義が横行して、売り上げのためなら日付改ざんでもなんでもやるみたいなレッドオーシャン化が進んでしまいます。
また青果部署と水産部署で月収入3万円以上とか差がでてしまいますと、店舗内の人間関係がギスギスしてしまいます。

また会社(組織)では、働きというより、管理やリーダーを引き受けてくれる人がフツーに高い評価と収入に結びつきます。

歩合的な営業職を除けば、成績や売り上げに対してではない場合がほとんどです。

管理職を引き受ける気がなければ、どうしても頭打ちのラインがあります。

そういう意味で、実務肌や職人肌の人はかなり早く収入面で頭打ちになります。

では、1000万円の余剰金はどこに消えたのか?

ケースにもよりますが

会社は余剰金が出れば、設備投資にはそれを使うでしょう。

つぎは役員とそれより上の人の報酬です。

そして、株主への配当です。

株主といっても、大小様々で、会社員が愛社精神とかで持ってる自社株もあれば、大株主のそれや、トレーダーのような人様々で、会社員の持ってる自社株は何年かに一度自宅のリフォームをするのがせいぜいの配当金しかないのかもしれませんし、一日中パソコンの前に座ってるだけで、億単位の収入を上げてる人もいるでしょう。

つまり会社では下層従業員はもし自社の売り上げなどを引き上げることに貢献しても、そこで生まれた余剰金は上述のところへ流れてしまうのです。

会社は、下層(従業員)にとどまってる限り、パート主婦などに近い陰徳的な性質を帯びるようになると思います。

若い人は、銀行の通帳に「お利息」の文字の記載を見かけたことがないと思いますが、今日はゼロ金利の時代なので、貯金ではお金は増えません。

むかしは、貯金残高がかなり低い人でも、年2回預けてるだけで、銀行から「お利息」の配当があったのです。

仕事にはよく「レイバー」と「ワーク」は違うんだといわれますが、戦後昭和は「レイバー」をやってる人にも、残業バリバリなら、銀行に貯金してるだけでもひと財築ける場合もあったのです。(昭和はそもそも、就労6日でした)

会社の仕事はポジション的に下層にとどまってる限り、どんなに頑張っても、また売り上げに貢献しても、個人が儲かったりはしません。

それは陰徳的な性質を帯び、精神論的な社会奉仕になるでしょう。

実際労働がまったく要らない社会は考えにくいでしょう。

コンビニなんかは、もしかすると中国みたいに無人の店舗に移行するのかもしれませんが(日本にも既にあるのでしょうか?)

下水道管の修繕や自販機に補充してくれる人がいなくなったらどうするのでしょう。

それらも将来全自動なのでしょうか?

しかし儲かったりしないのは確かです。

会社などでの労働が、下層に、すくなくとも中位より下のポジションにとどまってる限り、決して儲かったりしないのであれば、どうすれば儲かるのでしょう。

ものすごく大雑把に、起業か投資(もしくは利殖)でしょうか?(ギャンブルなどを除く)

起業は、自分のやってるものを書くのも広義的には起業でしょうが、資質による向き不向き、才覚・才能の有無、運、人脈などによって結果の有無またはそれが出るまでの時間に個人差が大きいでしょう。

いわゆる副業もこれに含まれるかもしれません。

僕なんかはものを書いてますが、今日現在までですが、まったく金にならず、派遣バイトのほうがまったくあっさり金になるのです。

もちろん、起業が最初からあっさり収入に結びつくことは少ないでしょう。

では投資は?

これもやっぱり向き不向きあると思います。

金転がしには夢中になれないというタイプが半端に投資に手を出すと、他力本願、他人任せになって、あとで「証券会社にだまされた」と泣きをみた人をバブルのころから2000年くらいまで、よくはなしに聞きました。

やるなら、ちゃんと取り組んだほうがいいかもしれません。

そういうわけで、起業や投資を積極的におすすめするわけではないのですが、しかし会社(組織)などで働くというのは、少なくとも現行日本経済状況の中では「儲かる」ことではないと言えそうです。

では、どうすればよいのでしょう?

「儲ける」ことが譲れなくて、でも起業の才覚や能力もない場合は「投資」が最短距離なのでしょうか?
ただ、これもやはり才覚が必要なのかもしれません。
たとえばブラックマンデーみたいなことが起こった時に株式市場がどうなるのかチンプンカンプンみたいな人がやると他力本願になりがちなので、そうすると「だまされた~」で終わるような気がします。
それなりに勉強や嗅覚が必要なのかもしれません。

投資や利殖はちょっとねぇ、という人は、「お金」や「経済力」を第一の価値に置かない生き方でしょうか。

でもカツカツの生活をしてたり、将来大学進学を希望してる子息を抱えてれば、そうもいかなくて、言うは易し、行うは難しなのかもしれません。

いずれにせよ、バブルのころの金銭感覚を基準にした「儲かる」は会社で「働く」ことによっては、特にその人が下層のポジションにいる限り不可能に近いのではないでしょうか?

「儲かる」の基本イメージは「年収1000万円以上」みたく、主にマスコミが作り出してるのかもしれませんが、そういう世間的イメージも相対化する必要がありそうですね。

会社で働いて年収1000万円って、それ、フツーにムリでしょう。(因みにGoogle社の新卒の初年度の年収は1000万円を割る人はいないそうですが)

そうすると、もしかすると「儲かる」の基本イメージがおかしい、あるいは修正、もしくは相対化されてもいいんじゃないでしょうか。

以上、シロウト経済論でした。


(製作データー)
書き始め:2021年3月30日午後13時49分

(補足的あとがき)
あとで冷静によく考えてみたら、売り上げと純利益はもちろん違いますよね。部署の月間売り上げが前年比1000万円増といっても、店舗の純利益を出した場合には利潤はもっとガクッと下がるでしょう。
そういう意味で売り上げと純利益は別のことなんだということを理解した上でも、でもそれだけやっても自分(たち)へのリターンは、ほぼ完全ゼロなんだということを深刻に捉えて振り返ると多少の脱力感は否めません。
だから会社の仕事なんかは頑張るなということでは必ずしもありませんが、そういう現実があるのはまぁ確かなことでしょう。
それらを踏まえた上で、どんなことを優先して、またはどんなことに価値を見出して生きていくのかが問われるのかもしれません。

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木月まこと
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