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手が詰むという主観

人生が300年あるとでも考えてるかのような呑気さを見せる人々に
支配者は「あなたの手は詰んでいる」という幻想で追い込んできたのが
文明社会なのかもしれない

いや、多分だが、ブッシュマンとか高度というわけでもない文明下に生存してる人びとは、多分だが、そんなにあくせくしてないだろう
というのは、人生に目的がないからだ(全部憶測ですが)

人間は、ピラミッドや金閣寺をつくって力を誇示しなければいけなかったため、生産的である必要があり
また、他国からの侵略の危険性を説いて、軍備などの緊張を強いた。
日蓮の説いた『立正安国論』などの海防の重要性は、のちに元寇などが
起こったし、林子平の説いたやはり海防の重要性も、そののちに西洋列強が海岸に現れたから、荒唐無稽な妄想とも断言しにくい

しかし、やはり、人間は、手が詰むという幻想に追い立てられてる部分があるようだ

手が詰むという状況は、たしかに、ある種の人を生産的にさせて、パフォーマンスを上げることがあるが
裏目に出ると、精神の孤立と、自傷他害などの破壊に結びつくこともある。

でも、冷静に考えると
「手が詰む」というのは、よほど際立った状況でない限り
「主観5割」「客観5割」だと思う。
それを、主観9割7分で「手が詰んでる」と思えるときを以て
手が詰んでるということなのだろう

「手が詰んでる」という人の6割は、おそらく主観的なものだと思う。
いや、もちろん、そんな理屈は切羽詰まってる人になんの慰めにもならないとは思う
手が詰んでるというのは、現実というより、半分くらいは思い込み、あるいは、そう思い込まされてる

配偶に失敗(?)した人のすべてが早死にというデータは多分ない
というか、未婚の状態の人でも、そんなに生存に不利ではない社会がある意味現代だと思う。
引きこもりも、高齢化したひきこもりの人が親を殺したとか聞くと、不安になるけど、パーセンテージでいえば、ごく一部だと思う。
悲劇さえ起こらなければ、一般生産社会に積極関与しないというのもひとつの在り方だと思う。
というのは、今日では、一般生産社会にそこそこ積極関与したのに、40過ぎて迷走中の人も多いからだ
社会に出て、己を鍛えれば、十全な報いがあるという保証はないかもしれない
「高学歴」「大企業」でないと生き残れませんよという幻想を煽りすぎて
未婚・少子化が膨らんだのかもしれない

戦争中、兵隊不足で
「産めよ、増やせよ」というスローガンが連呼されたが
いま、またそれが起こってもおかしくない状況かもしれない

しかし、戦争が終わって、子どもたちが神風特攻機に乗らなくてよい社会になると、たちまち、第一次ベビーブームが起こった
社会状況が変わると
「産めよ、増やせよ」と言わなくても
勝手に、子どもがじゃんじゃん生まれた

はなしがそれたが
手が詰んでるという恐怖感は、うまくいけば、人を生産的に現実的にするだろう。
しかし、人間のつくる楼閣の多くが、砂上のそれに等しいものだと達観すれば
あくせくしない人々にも一理ある。

そうすると、手が詰んでるという主観は
その6割くらいは、単なる主観にすぎないのかもしれない

こう言ってみたところで、追い詰められてる人のなんの救いにもならないのは分かってるけど
いや、ほんとうに困っててんてこ舞いの人が多いのは僕も知っている
それは、多分、直接的に人命が左右されかねない状況の人だと思う

主観にすぎないものは、しばし、壮大なドラマをつくりあげた

ある主観と主観は、大恋愛みたいな状況を生むかもしれない

『人間失格』みたいな著述も、もしかすると、主観のドラマなのかもしれない
「わたしはピラミッドをつくるに値する人間である」という主観は、実際に人々にピラミッドをつくらせた

そういう人為にも、感動はあるけど
特に人の手が加えられてるわけでもない
山や海などの景色にも人は感動する

こんな飄々とした客観記述を目論む自分は
相当呑気な傍観者にしか見えないだろう。

たしかに、僕は、体力とか年齢とかの関係で
一般就労市場に最近では、週20時間以下しか関わらない

でも、通勤電車の中で、ひどい咳がいくつか聞こえてきただけでも
あるいは、YouTubeのタイムラインのいくつかのサムネイルを見てるだけでも
精神的に追い詰められることがあり、神経科の処方する薬でそれをなだめてるくらいだ

だからこそ考えた
それは7割主観にすぎないのではないか?と

それがもし、7割主観であれば、むしろ変わりやすい天気のようなものと考えるのが妥当かもしれないなどと今日は考えました

ピラミッドをつくるみたいな人生の目的が
もしかすると、大半の人にとって砂上の楼閣のようなものにすぎないのであれば……

というわけで、ここまでお付き合いくださりありがとうございました。

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じゃあまた!

(あとがき)
この「手が詰むという主観」は一応、政治社会的な、あるいは環境的な現実については除きます。
「日本は手が詰んでる」とか「地球環境は非常にまずい」とかいったことについて、いろいろな証拠が挙がっています。
そういったはなしは、一応除外しまして
ここでいうのは、たとえば、インセルの人たちの銃乱射とかのはなしを聞くと、これらの人の「手が詰んでる」「人生詰んでる」感とでもいうものは、かなり主観的なものであるという印象はぬぐえないんですけど、そういうことです。
もちろん、主観こそは絶対だという考え方もあるでしょうけど
何か、ある種の「手が詰んでいる」という主観に、はたからみて、残念なものを感じます
いえ、これは、自分がそう感じるときも含めてです
それは、なにか、半分は主観でしかないのでは?と

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木月まこと
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