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高学歴なメンバーが作り出したバンド、QUEEN【6】結び

1950年代以降、イギリスでは様々な若者集団が現れた。彼らは個性的なファッションに身を包み、そのスタイルやアイドルとするロック・バンドによって、自分がどの集団に属するかを明確に表していた。それは、彼らの新しいアイデンティティであった。階級制度という一つの社会形態が前れはじめた時代の新しい世代である彼らは、自分を示す明確なアイデンティティを身に付けなければならなかったのである。

エリートとロック

彼らのアイドルとなったロック・バンドはその集団の特徴を衣装や曲調、活動拠点、歌詞、ステージでのパフォーマンスなどによって強く表していた。その中で、1970年代にデビューしたQUEENというバンドは、メンバー全員が大学率であるという一風変わった肩書きを持っていた。けれどもこれは彼らが特殊であったのではなく、高等教育を背景とした若者文化がこの時代に確固たる姿を現したことを象徴している。その若者文化とは、同年齢集団が集まる高等教育機関という場で、充実した奨学金などから手に入れた余暇によって自分のスタイルを作り出すものであった。当時、大学はイギリス全土に45校しかなく、イギリスの大学といえばエリートというイメージがあるが、そのエリートを作り出すための制度は若者たちに新しい文化を生み出すための余暇もまた、与えたのである。

アート・スクールとロック

また、1960年代からは、高等教育の拡大によって大学以外の高等教育機関が大学と同じ価値を持つものとしておかれ、多くの若者が高等教育に進学し、その余暇の恩恵にあずかることができた。こうして60年代はますます多くの若者文化を生み出すことになる。その中でも、特にロック・ミュージシャンに好まれたのがアート・スクールである。アート・スクールは普通の大学よりも入学条件がやさしいこと、何よりもアートに関する情報が集まる場所であったことが、若者文化の最先端にいるべきロック・ミュージシャンとその志望者たちをひきつけた。アート・スクールでの経験は、彼らにユニークなファッション、奇抜なステージ・パフォーマンス、そして音楽に対する彼らの姿勢などに影響を与え、それまでは聞いて踊って楽しむだけだったロックを芸術としてとらえさせた。事実、当時の音楽雑誌はそういったアート・スクールやポリテクニク(専門学校)出身のバンドには、そこで学んだことが反映されていると書いている。こういった経験は若者文化のスタイルに幅を持たせ、複数のスタイルを生み出すことを可能にした。しかし、複数のスタイルを生み出したことには、別の理由もあった。それは差異性を特徴とするイギリス社会の伝統である。

やつらとおれたち イギリス文化とロック

新しいアイデンティティを持つ必要があった彼らは、服装などのスタイルによってそれを表し、年齢という単位で新しい集団を作りだしたが、すぐにその集団に対抗して別の新しいアイデンティティを主張する若者集団が次々と現れた。このプロセスは、イギリスの社会を構成している「やつらとおれたち」という階級制度のあり方に似ている。自分たちが「おれたち」であるために、ある集団を「やつら」とみなす、差異性でもって社会的なアイデンティティを確立する方法は、ある意味でイギリス社会の伝統である。古い伝統社会にとに反抗し、新しい文化を作ったと言われる1960、70年代の若者もこの方法を踏襲していたのだ。しかし、そのアイデンティティを表すスタイルの表現方法は、アメリカの映画やアート・スクールから取り入れられたポップ・アートの影響を受け、それぞれがが強く特徴を持ったイギリス独自の若者文化を次々と生み出した。それらのファッションは今日でもリバイバル・ブームを起こすほどの力を持ち、ロックはそのルーツであるアメリカよりとは違う様々なスタイルを生み出した。

この時代、次々に若者文化が登場したように、ロック・バンドも様々な特徴を持ったものが現れた。その中でもQUEENは高等教育の恩恵と、アート・スクールの経験を持つという、1960、70年代の若者文化の特徴を最もよく表したバンドと言える。1991年、ボーカルのフレディ・マーキュリーがエイズによって他界し、バンドは20年間の音楽活動を停止した。彼の死は、音楽ファンにとってジョン・レノンの死に匹敵する大きな衝撃であり、BEATLES以降のある時代の終わりを告げるものであった。

余暇(お金、時間、場所…)が生み出した若者文化

若者文化は社会変動の中で、ある世代のアイデンティティ喪失、消費文化のもたらした余暇という2つの条件がそろったとき、生み出されるいえるのではないか。60、70年代におけるイギリスの若者文化は、差異性を特徴とするイギリス社会の伝統を受け継いで、複数のスタイル、世界にも影響を与え得るほどの個性を持った若者文化を生み出した。この時代は若者に「余暇」が与えられ、彼らはその差異性を表すのに充分な材料と時間と場が与えられたからである。このことは100年前の19世紀末に現れた不良少年「フーリガン」とも共通点が見いだせて興味深い。フーリガンも1960年代以降の若者文化の先駆けとなったテディボーイも「不良少年」であったことから、若者文化は社会的逸脱者が生み出した文化でもある。それが青年期におけるアイデンティティ形成の問題と絡んで、単なる「行動」の問題にとどまらす、「文化」を作り出すに至ったのではないだろうか。また階級社会であるイギリスでは、階級ごとに強い価値観を持ち、それが社会的なアイデンティティとなっている。そして、その価値観からはずれた行動をとる逸脱者に対する社会の態度にも特別なものがある。このようなイギリス社会が生み出した若者文化は、他の国の逸脱から生まれたそれよりも、はるかに凝縮された強さを持っていると考えられる。

また、若者という年齢集団が集まり、文化を形成するには共通の場やスタイルという媒体が必要である。1960年代から70年代のイギリス若者文化の形成においては、高等教育機関という場、そしてロック音楽とファッションがその役割を果たすことになった。ここで生み出された彼らの音楽やファッションが「イギリスの若者文化」となり、その強烈な個性は世界に広がり、時代を超えて愛好されるに足るパワーを持つようになったのである。
                          (了)

お読みくださり、ありがとうございました。
映画「Bohemian Rhapsody」は大変な旋風を巻き起こし、おそらくオスカーもなんらかを受賞するでしょう。とても誇らしく、「やはり、彼らQUEENならでは、だな」と思っています。もちろん個々の才能や努力があってこその成功ですが、もはや歴史上の異世界となった、こんな時代背景や状況があったのだな…と知っていただければ幸いです。
参考文献や解説(特に教育制度)も掲載したかったのですが、OCR起こしが辛くてあきらめました…。もし、リクエストがあればがんばります!


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