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#生と死無常その錯綜
エピローグ(Kawasaki-side)
吉田ユカは、鎮静を始めて1週間後に亡くなった。
実は、鎮静薬の投与を始めた後、ユカは中々眠れずに僕らが試行錯誤することになった。ユカが不安に思っていた通り、薬の効果が出にくかったのだ。ハロペリドールでは眠れないだろうことは予測していたが、その次に使ったミダゾラムも効きが悪く、最終的にはフェノバルビタールという薬剤を使用して、ようやく眠ることができた。
結果的に、ユカにとってはつらい時間をさ
10-1:10日間の涙(前編)
日曜日の朝、自宅マンションでYくんは亡くなった。
奥さんが、朝に様子を見に行った時、Yくんは眠るように息を引き取っていたということだった。
及川から後で聞いた話だが、子どもたちとは金曜日に会えたという。子どもたちを引率するのに、及川に手伝ってくれるよう、キャンプを主催する側から要請があったのだそうだ。普段は保健室利用者の自宅にはうかがわない及川だったが、Yくんたちの事情を考慮して、今回は
6-1:安楽死の議論はやめたほうがいい ~宮下洋一に会う (前編)
幡野広志に会った後、僕にはもう一人どうしても会っておきたい人がいた。
それが、高願寺で安楽死について対談した、在欧州ジャーナリストの宮下洋一だ。
宮下は、吉田ユカがエントリーしようとして断られたスイスの自殺幇助団体・ライフサークルをはじめ、ヨーロッパやアメリカの安楽死事情を取材して『安楽死を遂げるまで』(小学館)という本にまとめて日本に紹介した方。最近は、神経難病を患った日本人がライフサーク
5-3:安楽死に対峙する、緩和ケアへの信頼と不信~幡野広志と会う(後編)
(中編から続く)
耐え難い苦痛とは何か
「先ほど話したAさんのケースの時に、医療者が悩んだことのひとつに鎮静の要件としての『耐え難い苦痛』があったんですよね」
Aさんは「耐え難い苦痛はない」と医療者に判断された。そして、その判断が故に、彼女は傷つけられ、苦しみに耐えることを強いられようとした。
「耐え難い苦痛とは何か、ということが医療者の中でも議論になることがあって、誰が何をもって判断するのか
5-2:安楽死に対峙する、緩和ケアへの信頼と不信~幡野広志と会う(中編)
(前編から続く)
幡野広志と吉田ユカ
「吉田ユカさんとは、お会いになったんですよね」
どうでした、印象は。と、聞いたところで幡野は、
「ええ、お綺麗な方ですよね」
と屈託なく笑う。こういうことを言ってもまったく嫌らしくないところが幡野の、人としての魅力なんだろう。
「ユカさんががんになって、僕のことを知って、どうしても会いたいって話だったんだけど、それだけでは会えませんからね。そしたら、撮
だから、もう眠らせてほしい ~安楽死と緩和ケアを巡る、私たちの物語
僕はある夏、安楽死を願った二人の若い患者と過ごし、そして別れた。
ひとりはスイスに行く手続きを進めながら、それが叶わないなら緩和ケア病棟で薬を使って眠りたいと望んだ30代の女性。そしてもうひとりは、看護師になることを夢見て、子供たちとの関わりの中で静かに死に向かっていった20代の男性だった。
そして僕は医師として、安楽死を世界から無くしたいと思っていた。
それは安楽死制度を無くしたいという