記事ヘッダー

ダブル帽子/新井由木子

「思いついたことはやってみる」と言うのは、とあるおしゃれカフェの中の小さな書店「ペレカスブック」店主であり、イラストレーターでもある新井由木子さんです。草加と式根島を愛する肝っ玉母さんが、関わるヒトや出来事と奮闘する日々を綴ります。

 事態の偶然性は『奇跡的に』とか『奇しくも』という言葉と共に、わたしたちを驚かせます。それは日常でもまれにある事態ですが、あの時わたしたち一家に訪れた偶然性は、ただひとつでは終わりませんでした。わたしたちは冬の浜辺で茫然と、重なる奇跡を見つめていたのでした。

 その日、わたしと幼き娘は冬休みを利用して伊豆諸島式根島に暮らす両親の元に滞在していました。そして、娯楽施設のない島でできる楽しみとして、家族全員で遠足に出かけることを提案したのでした。
 娘も一人前に小さなリュックと水筒を持ち、はしゃいでピョンピョンと跳ねながら歩く姿が、懐かしさと愛しさと共に今もまぶたに浮かびます。
 家族4人だけの遠足の先頭を行く父は、島独特の背負い籠を背に、頭にはお気に入りのハンチング帽をかぶっていました。遠足にかぶっていくには少しおしゃれすぎて防寒機能も少ないこのハンチング帽が、後にいくつもの奇跡を起こすことになろうとは、この時にはまだ誰も想像していなかったのでした。

 早春に新芽を伸ばすツワブキを探したり、明日葉を摘んだりしながら、椿の森を縫って遊歩道を進むと、いきなり視界が開けます。そこは『隈の井(くまのい)』と呼ばれる島の頂上で、この遠足の第一の目的地でした。椿や椎の木で覆われた島の中では珍しく平らに開けた広場になっており、走り回って遊ぶには最高の場所です。
『隈の井』が木々の進出を許さない理由は、一帯の地質が養分を蓄積できないガラス質の『抗火石』に覆われているからですが、そんな過酷な場所でもハイネズだけは岩陰に緑色の厚い絨毯を敷き、わたしたちはそこに座っておむすびを食べました。それから、母とわたしと娘とでハイネズの丸い実を集めてぶつけっこ遊びをしながら『隈の井』の広場を走り回って遊びました。

思いつき書店069送信用

 次の目的地は『中の浦』という浜でした。島の頂上から海辺へ遊歩道を下り、浜へ降りる最終段階は石畳の細道です。丸石を敷き詰めた下り坂は年月を経て凸凹と歪んでいましたが、両側の森の侵食を許さず、浜辺への一本道を立派に保っていました。そしてこの一本道の先に、あの奇跡は待ち構えていたのです。

 石畳の道を下りきり、端にある岩場で貝を収穫するつもりで浜を横切って進み、浜辺の中央まできた、その時でした。
 わたしたちの後方から、一陣の強い風が吹き下りてきたのです。風は背中に当たり海へと吹き抜けながら、父のハンチング帽を中空高く吹き飛ばしました。一同が口をぽかんと開けたまま目で追うと、ハンチング帽は入江の真ん中辺りにポチャンと落ちて浮きました。

 夏ならば泳いで取りに行きますが、冬の海ではそうはいきません。
 しかし、なんとかハンチング帽を取り戻したい。ハンチング帽まで届く長いものは、何かないか?
 そう思ったらしい父の足元に、奇跡的なことに1本の竹が落ちていました。それは式根島に自生するメダケでした。一般的な竹より細く成木でも直径は1~3cmほどなので、虫取り網の手持ち部分や自作の釣竿などに加工できる軽さです。父はこのメダケによるハンチング帽の救出を、瞬時に決断したのです。
 それはなかなか見たこともないくらい長いメダケでした。しかも握りやすい根元の部分が父の足元にあり、すぐに使ってくださいよ、とでも言いたそうなセッティングをされていることも、奇跡のように思えました。

 父はすぐにメダケを手にすると、手首の力を使ったテコの原理で先端を持ち上げました。父を中心として、湾内を時計の針のように弧を描くメダケ。それを追う一同の視線も大きく弧を描き、ハンチング帽に先端が届こうというその瞬間、全員の目が驚きで一回り大きくなりました。何故ならメダケの長さが、湾内に浮かぶハンチング帽への距離と、ジャストフィットだったからです。メダケはその先端で、ハンチング帽を器用に引っ掛けました。

 やったね!

 心の中でガッツポーズをする一同の目の前で、メダケにぶら下がったハンチング帽は弧を描く進行方向を変えずに浜辺へと帰ってきました。父の手首を支点に離れた先から出発したメダケの先が湾内を半周し、わたしたち一行の後ろの地点へとハンチング帽を着地させたその時、わたしたちは、腰を抜かさんばかりに驚きました。
 何故なら着地するハンチング帽を迎えるようにその場にあったのは、誰のものともつかぬ、浜辺に打ち上げられたもうひとつの帽子だったのです。

 大海原を旅して偶然にもこの浜に打ち上げられたものなのか、あるいは島民の誰かのものが風にさらわれこの浜に打ち捨てられたものなのかは、わかりません。いずれにしても、いくつかの奇跡によって救出されたハンチング帽が、もう一つの帽子の上に着地する確率というものは、天文学的な数値を示すことは間違いありません。

 なんという奇跡の連続だったでしょうか。
 浜で拾った帽子は丸い形の布製で、裏起毛で耳あても付いた風の強い島の冬にぴったりのもので、父のコレクションに迎え入れられました。

(了)

【思いつき書店】は、毎週木曜日に掲載します。

文・イラスト:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」
http://www.pelekasbook.com
Twitter:@pelekasbook