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中澤日菜子【んまんま日記】#22 空耳
空耳。あるいは聞き間違い。
かの『タモリ倶楽部』でながねん人気のコーナーでもあるが、「そんなことは言ってないのに、なぜかそう聞き間違えてしまうこと」は、ふだんの生活でも多々あることだと思う。
以前聞いた話で、こんなものがある。
地方から東京に出てきたばかりのとある人物。東京駅から中央線に乗ろうと、慣れない東京駅をさ迷い、ようやく中央線のホームに辿り着いた。そのとき彼の耳に飛び込んできた衝撃的なアナウンス。
「中央線、見境なくまもなく発車します」
驚き、慌てふためいた彼、
「さすが東京。乗客の事情などお構いなく、容赦なく電車は行ってしまうものなのか」
大急ぎで車内に飛び込んだそうだ。
だが落ち着いてよく考えると「見境なく発車」ではなく「三鷹行き発車」の聞き間違いだったと理解したそうである。
嫌ですよねー、見境なく発車されたんじゃ。おちおち電車にも乗れやしない。
同じような空耳を、ついこの前わたしも経験した。
南千住の書店にあいさつ回りに行ったときのこと。もともと東京西部が地元なので、ふだんはほとんど東京の東方面には行く機会もなく、当然路線や地理にも弱い。日暮里の駅だったか、乗り換えのため、うろうろしていると信じられないアナウンスが。
「いなりライナーが発車します」
いなりライナー!?
それってお稲荷さんが連結されてる電車!?
さすが下町、そんな粋な路線が――
だがよくよく聞くとそれは「いなりライナー」ではなく「舎人ライナー」の聞き間違いであった。
でもちょっと惹かれませんか、いなりライナー。美味しそうなお揚げに包まれた巨大なお稲荷さんが、てこてこと地上を走ってゆく。当然車掌さんはおキツネさま。連結部は真っ赤な紅ショウガで……と、仕事を忘れ、妄想に耽ってしまうわたしであった。
さらに別の日には、こんな空耳に遭遇した。前回(#21 ジビエ)書いた長野での法事のようすを友人に話していたときのこと。
わたし「父と弟は別行動で、長野で合流したんだ」
友人 「えっ!? 長野で豪遊!?」
これまた想像すると笑える。
例えば「沖縄で豪遊」とか「ハワイで」もしくは「カリブ海で」ならすぐにイメージが湧く。青い海、クルーザーを借り切って、美女に囲まれ、シャンペンを盛大に開けてどんちゃん騒ぎ。もしくは広大なゴルフ場を独り占めして、青空の下で優雅にプレー――
だが長野県ほど豪遊ということばに縁遠い土地もないのではなかろうか。
海はない。ゴルフ場はあるだろうが、海越えショットといった豪快なプレーはもちろんできない。そもそも長野県民は質実剛健。無駄や華美を嫌い、清貧を良しとし、雪深い冬は静かに読書をたしなむような県民性である。教育県だけあってか、風俗その他が発達している繁華街も見たことがない。食べものだって、蕎麦や山菜といった、もうこれ以上地味なものはないんじゃないかというくらい素朴なものばかり。
そんな長野でどうやったら豪遊ができるだろうか。
蕎麦食い放題。野沢菜漬け放題。温泉浸かり放題。
これでは単なる湯治である。
かように空耳というものは楽しい。妄想たくましいわたしにとって、空耳ほど想像力を刺激してくれるありがたいものはない。
【今日のんまんま】
残暑お見舞い申し上げます。沖縄県・八重山諸島の小浜島で食べたマンゴーかき氷。生のマンゴーたっぷり。アイスももちろんマンゴー。んまっ。
文・イラスト・写真:中澤日菜子(なかざわ ひなこ)/1969年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒。日本劇作家協会会員。1988年に不等辺さんかく劇団を旗揚げ。劇作家として活動する。2013年に『お父さんと伊藤さん』で「第八回小説現代長編新人賞」を受賞。小説家としても活動を始める。おもな著書に『お父さんと伊藤さん』『おまめごとの島』『星球』(講談社)、『PTAグランパ!』(角川書店)、『ニュータウンクロニクル』(光文社)、『Team383』(新潮社)、『アイランド・ホッパー 2泊3日旅ごはん島じかん』(集英社文庫)がある。最新刊『お願いおむらいす』(小学館)が好評発売中。
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