note_第26回レトロ喫茶店

レトロ喫茶店/中澤日菜子

 告白しようと思う。
 じつはわたしは喫煙者である。
 ああっもうこの二行を書いただけで、あちこちから非難のつぶてが雨アラレのごとく飛んでくる気がする。
 わたしが吸っているのは電子煙草であるが、煙草の害についてはそりゃあもう、もちろん熟知している。副流煙による他人への被害だってものすごく気になる。
 言い訳を並べると、煙草を吸いだしたのは作家になってからなのでこの四年くらいだし、本数も一日四、五本というまさに嗜む程度。歩き煙草はもちろんしないし、喫煙所でしか吸わない。ポイ捨てなんて一度もやったことがない――と、こう書き連ねているのも、こころの底にぶっとい罪悪感が横たわっているせいである。
 この連載の担当者・M嬢にも会うたびに「日菜子さん。いい加減止めなさい」と叱られている。家庭でもおもに子どもに「くさい。不健康」と白い目で見られる。

 しかし変わりましたねーこの三十年ほどで、喫煙をめぐる社会環境が。
 わたしが子どものころは、よく父親のおつかいでセブンスターを買いにやらされた。学校の職員室だって会社の仕事場だって紫煙が立ち込めていたし、駅のホームはもちろん電車内でもおじさんたちはすぱすぱ吸っていたものだ。歩き煙草の男性に、傘に煙草の火で穴をあけられたことすらある。
 もともと非喫煙者だったので、嫌煙権が確立したいまの社会はとても素晴らしいと思う。
 けどちょっと、ちょっとね、肩身が狭すぎるのだ。
 特に都内は禁煙化がすすみ、飲食店でも完全禁煙の店が増えた。
 仕事を終え、ひと休みしたいと思う。喫煙席ありの喫茶店を探すものの、これがなかなか見つからない。足を棒にして探しあぐねること何十回、わたしが発見したのは「昭和レトロの喫茶店なら喫煙席がかなりの確率で存在する」という事実。

 昭和レトロ――ガラスのドアには鈴がついていて、押し開けると、からんと涼しい音を立てる。店内は薄暗く、擦り切れたゴブラン織りのソファや椅子が並んでいる。メニューにはブレンドにアメリカン、ややこしい横文字の飲みものはまず載っていない。低めのテーブルには砂糖つぼと銀色の紙ナプキン立てが並び、その横には小ぶりのガラスの灰皿。
「いらっしゃいませ」と声をかけてくるマスターはそっけなく、ながねん愛用しているらしきエプロンをつけている。
 こういう店に入るとほっとする。

 まずはコーヒーを頼む。お昼どきだったら、ランチも見繕う。ランチといっても喫茶店らしく軽食がおもなメニューだ。カレーにピラフ、サンドイッチにピザトースト。そして王道のナポリタン。
 レトロ喫茶のナポリタンって、どうしてこうもこころ惹かれるのだろうか。具材は玉ねぎにピーマン、缶詰のマッシュルームにウィンナー。すでに茹でられた麺に絡むのは、濃いめのケチャップだ。ナポリタンについてくるのは、ちゃんとした(?)イタリアンで供されるような、すりおろしたてのパルメザンや、唐辛子入りのオリーブオイルではなく、粉チーズとタバスコソースという鉄壁の「相棒」だ。
 湯気の立つナポリタンに粉チーズをどっさりかけ、そのうえからタバスコを振りふり。たちまち魅惑的な匂いが立ちのぼる。ひと息に平らげたあとは紙ナプキンで口もとを拭いて、コーヒーでお腹を落ち着かせ、おもむろに一服。この一服がたまらないのである。

 と、こう書いていくうちに、担当者・M嬢の優しげな丸顔が眼前に浮かんでしまった。ゆったりした声まで響いてくる。
「日菜子さぁん。いい加減、煙草は止めなさい」
 ……はい。努力いたします……


【今日のんまんま】
吉祥寺にあるレトロな喫茶店で見つけた「ワンプレートランチ」。ハンバーグにカニさんウィンナー、フライにシュウマイ、ナポリタン。サラダまでついていて大満足。んまっ。

ランチ (1)

(喫茶 ロゼ)

文・イラスト・写真:中澤日菜子(なかざわ ひなこ)/1969年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒。日本劇作家協会会員。1988年に不等辺さんかく劇団を旗揚げ。劇作家として活動する。2013年に『お父さんと伊藤さん』で「第八回小説現代長編新人賞」を受賞。小説家としても活動を始める。おもな著書に『お父さんと伊藤さん』『おまめごとの島』『星球』(講談社)、『PTAグランパ!』(角川書店)、『ニュータウンクロニクル』(光文社)、『Team383』(新潮社)、『アイランド・ホッパー 2泊3日旅ごはん島じかん』(集英社文庫)がある。最新刊『お願いおむらいす』(小学館)が好評発売中。
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