失恋/中澤日菜子
その日はマネージャーと車で山梨県は道志村の取材に行く予定であった。中央自動車道の国立府中インターから高速に乗り、一路道志村を目指すのである。待ち合わせは十二時半。午前中に一件用事を終えたわたしは、マネージャーと合流するやいなや「お腹すいた。お昼食べたい。ちょっとこってりしたラーメン食べたい」と訴えた。
「インターに乗るまでしばらく下道を走るから、そのあいだに入りたい店を見つけよ」
そう言うとマネージャーは車を発進させた。さっそく沿道に注意を向ける。
街道沿いには多くのラーメン屋さんや中華料理店が立ち並んでいる。だがなかなか「これぞ」という店が見つからない。ラーメンの幟が立っていてもチェーン店だったり、いまのわたしの「ラーメン腹」とは違う系統だったり。そうこうしているうちにインター入り口まで来てしまった。
「どうする? サービスエリアで食べる?」
ハンドルを握りながら尋ねるマネージャーに、わたしはきっぱりと首を振った。
「嫌じゃ。せっかくだから町中のお店で食べたい」
わたしの場合、食い意地は取材よりも優先されるのである。
ため息をついたマネージャーはインターを行き過ぎ、しばらく周囲を回ってくれた。と、前方右側に「京都北白川ラーメン」と大きく書かれた赤い看板が。北白川ラーメン。食べたことがない。これは食べなくては。
駐車場に入るためいったん住宅街の細い道へ。すると閑静な住宅街のなかに数人の行列が。あわてて目を凝らす。上品な佇まいの別のラーメン屋さん がそこに在った。平日の一時過ぎだというのに行列ができるとは。これは大当たりの店に違いない。
わたしは方針を一変させ「やっぱこの店にする」と告げた。わたしの食い意地にもはや諦めを抱いているマネージャーは再びため息をつくと、車を止めるべくコインパーキングを探し始めた(住宅街にあるためお店には駐車場などなかったのである)。
ようやくパーキングに車を止め、歩いてその店を目指す。だが、つい先ほどまで出ていた暖簾がない。店内に仕舞われてしまっている。嫌な予感が走る。
「あの、もう閉店したんですか?」
列の最後尾に並ぶ男性に聞くと、彼はすまなそうな、それでいてどこか優越感を漂わせた表情で頷き「ぼくで麺が最後って言われました」と教えてくれた。がーん。見つけたとき、わたしだけ降りて並べばよかった。後悔先に立たず。
とはいえ今日の目的はラーメンではなく道志村の取材である。ぼやぼやしていたら陽が落ちてしまう。仕方なく最初に行くつもりだった北白川ラーメンへと足を向ける。
だが、わたしたちを待っていたのは「二月中旬開店予定。お楽しみに!」という張り紙であった。ががーん。連続二失恋である。
「もう時間がない。道志村近辺で探すべし」
マネージャーの冷たい声が響く。うなだれつつ頷くわたし。すきっ腹を抱えながら高速に乗る。この時点ですでに午後一時半。こらえ性のないわたしのお腹はぶうぶう文句を垂れている。
高速道路に乗り、一路西へ。相模湖インターで降り、そこからは下道をゆく。街道沿いに一軒くらいはラーメン屋さんがあるだろう。そう思い、きょろきょろ辺りを見回すが、これがまったくないのである。いやあるにはあるのだが定休日だったり、昼の営業を終えていたりする。まるでいじわるな神さまがオセロの駒を裏っ返したみたいにことごとく閉まっているのだ。
そうこうするうちに道は山へと分け入っていく。「熊注意!」の看板はあれど、そもそも飲食店じたいまったく見当たらなくなってしまった。
時刻は午後三時。朝からバナナ一本しか食べていないわたしはついに限界に達した。もうどこでもいい。なにか食べられればいい!
ようやく見つけたのは、いわゆる峠の茶屋的な飲食店だった。残念ながらメニューにラーメンはなく、ほうとうを食すことに。ほうとうは野菜たっぷりで、それはそれで美味しかったのだけれども、すっかり「ちょっとこってりしたラーメン腹」になっていたわたしは、たいそう悲しい気持ちを味わうことになった。
遅い昼食を終え、取材開始。陽が落ちる前になんとか取材を終えることができた。休憩しよう、コーヒーでも飲もうということに。今度はコーヒーの飲める場所を探す。だがまたしても我々は「難民」になることになる。
「道の駅ならあるだろう」と向かうも、五時閉店なのになぜか四時半で閉まっている。仕方なく道の駅を出、町中を走っていくうち、ちょっと素敵なカフェを見つける。
やっとコーヒーが飲める! 喜び勇んで入ろうとすると、またしてもドアは閉まっており、今日何回めかの「CLOSED」の札が風に揺れているのであった……
コーヒーを泣く泣く諦めた我々は、早めの夕食を取ることにした。目指すは圏央道の八王子西インターを降りてすぐの、とても美味しいと評判のイタリアン。ずっと訪ねてみたかった店だ。時刻は午後六時半。どう考えてもふたりくらいは入れるだろう。「今度こそ目当ての店に」わたしの鼻息は荒い。けれども、けれども。ようやく探し当てたその店の前には「本日満席です」の看板が……
まだ六時半なのに……しかも平日なのに……しかもしかも八王子の外れという、そんなにひとのいない場所なのに……
「今日はこういう運命だったんだね……」虚ろな目でつぶやくマネージャーに、ただ頷くことしかできないわたしだった。
取材のときは食べられるときに食べておこう。そして行きたいお店は事前に必ず予約しておこう。
取材の成果とともに、大切な教訓を得た一日であった。
【今日のんまんま】
渋谷スクランブルスクエアのアラビア料理店。豆と香辛料で作られたペーストをアラビアのパンでいただく。豆の優しい甘さと香辛料の香りが合わさって、んまっ。
【んまんま日記】は、ほぼ隔週水曜日に掲載します。
文・イラスト・写真:中澤日菜子(なかざわ ひなこ)/1969年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒。日本劇作家協会会員。1988年に不等辺さんかく劇団を旗揚げ。劇作家として活動する。2013年に『お父さんと伊藤さん』で「第八回小説現代長編新人賞」を受賞。小説家としても活動を始める。おもな著書に『お父さんと伊藤さん』『おまめごとの島』『星球』(講談社)、『PTAグランパ!』(角川書店)、『ニュータウンクロニクル』(光文社)、『Team383』(新潮社)、『アイランド・ホッパー 2泊3日旅ごはん島じかん』(集英社文庫)、『お願いおむらいす』(小学館)がある。小学館P+D MAGAZINEにてお仕事小説『ブラックどんまい! わたし仕事に本気です』連載中。
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