中澤日菜子【んまんま日記】#18 韓国編 最終回
ソウル四日目、最終日。今日も朝から快晴だ。
泊っていた韓屋(ハノク)を出て、オンニの自宅で朝ご飯。オンニが炊いてくれた松の実粥に数種類の漬物、そしてお茶。とろとろに溶けた白米は濃厚なポタージュみたいで寝起きの胃に優しい朝ご飯。あっさりしているけれども、出汁がしっかり利いていてこの一椀でじゅうぶんなご馳走だ。
お粥をいただいたのち、オンニの案内で近くの通仁市場(トンインシジャン)を観光にゆく。
通仁市場はふだんからオンニが利用しているという庶民的な市場。アーケードで覆われた全長二百メートルほどのこじんまりした市場には、野菜や肉、魚にお惣菜、さらには洋服や雑貨など多種多様なお店がぎっしりと並んでいる。オンニは店主さんたちと顔なじみらしく、あちこちのお店で立ち止まっては、説明しながらいろんなものを食べさせてくれる。
まず立ち寄ったのは、日本でもおなじみキンパッのお店。日本から伝わった海苔巻きが発展したものと言われており、味のついたきゅうりや人参、ごぼうが白いご飯とともに胡麻油を塗った海苔で巻かれている。よく見かけるのは太巻き状のやつだが、このお店では直径二センチほどの細巻き。ぱくっと立ち食いするのにちょうどよい太さだ。
つづいて連れて行ってもらったのは、ちょっと不思議な食べ物屋さん。卵を白身と黄身に分け、それぞれを薄焼き卵のように薄く焼く。それを皮代わりにして、ホウレン草やお肉を巻いてある。キンパッの進化系というか、棒状のクレープというか……とにかく生まれて初めて食べる味だった。
他にもトッポッキの大鍋を店先に据えた店、各種キムチを大皿に盛った店、湯気を上げてまんじゅうを蒸かす店とさまざまなお惣菜店が並んでいる。この市場だけで半日は楽しく過ごせそうだ。
とはいえ最終日、夕方には帰国しなくてはならない。後ろ髪を引かれながら市場をあとにし、歴史ある韓屋が並ぶ北村(プクチョン)の町並みを散策しに移動。
車一台がやっと通れるほどの道の両側に、石積みの外壁で囲まれた瓦屋根の家々が建っている。整然と区割りされた道を、美しい韓屋を鑑賞しつつ歩く。わたしたちと同じように散策する観光客も多数いるが、これら韓屋にはいまもひとが住んでいるため「静かに歩いてください」「勝手に私有地に入らないこと」といった看板をよく見かけた。わたしたちにとっては観光地だが、住民にとっては生活の場だ。このふたつを両立させるのはさぞ苦労も多いに違いない。
そんなことを考えながら歩いているうちにタイムアップ。そろそろ金浦(キンポ)空港に向かう時間になってしまった。オンニにお礼を言い、再会を約してさようなら。「空港まで送る」と、わざわざ来てくれたフナくんとともに北村をあとにする。
空港でチェックインして手荷物を預け、残った時間を空港に隣接するロッテモールで過ごす。
ここで韓国で人気のかき氷パッピンスを食べるというRちゃん、フナくんと別れ、わたしはひとりで韓国最後の食事を取ることに。思えばこの四日間、フナくんやオンニ、そしてRちゃんに頼りきりで、ひとりで行動することがなかった。せめて最後くらい単独行動をしてみようと思ったのだ。
二階のレストラン街に上がり、チゲを商うお店を探す。
おお、あった。ありました。写真付きのメニューなので、韓国語の話せないわたしでも簡単に注文することができる。メニューのなかでいちばん辛そうなチゲをオーダー。運ばれてきたチゲは、鉄鍋のなかでぐつぐつと煮えたち、熱い、そして辛い! キムチやナムル、ご飯がセットの定食風。チゲを掬(すく)っては食べ、ご飯にかけては食べ――ひぃひぃ言いながらも美味しくて完食してしまう。
そうこうしているうちに、ついに別れの時がやって来た。出国ゲートで、ほぼ毎日、ガイドをしてくれたフナくんに感無量で別れを告げる。と、フナくんがRちゃんに韓国語でなにやら話しかけている。ことばがわからないわたしは「?」。そのうちRちゃんが泣き出してしまった。驚くわたし、おろおろするフナくん。Rちゃんを一所懸命「笑わないでください、ヌナ(お姉さん)」となだめている。
泣いてるRちゃんに、なぜに「笑わないでください?」ますます脳内を「?」が駆けめぐる。
抱き合って別れを惜しみ、Rちゃんと機内へ。そこでようやく「フナくんになんて言われたの?」と問う。滲み出る涙をハンカチで押さえながらRちゃんが理由を教えてくれた。
「フナにね、なんで今回こんなに熱心にガイドをしてくれたのか教えてもらったの。まずひとつめは日本語が上手くなりたいから日本人の友だちが欲しかった。ふたつめは、じぶんには女きょうだいがいないから『お姉さん』と呼べるひとに出会いたかった。そして三つめはね――最初の日に、タクシーに乗ったでしょう。そのときのドライバーさんが日本人に対していい感情を持ってなくて、で、わたしたちにはわかるまいとフナに日本の悪いところを喋っていたんだって」
そうなのか。ぜんぜん知らなかった。ひと息ついてからRちゃんがつづける。
「でももちろんわたしには全部聞こえてた。それをフナはずっと気にしていて。『日本を悪く言う韓国人も確かにいます。でもぼくのように、日本に対して親しみを持っている人間だってたくさんいる。それをヌナたちにわかってもらいたくて、ぼくはソウルを案内していました』と」
Rちゃんの頬を涙がつたう。フナくんの熱い思いを知り、わたしもつい涙ぐんでしまう。
「ところでなぜ『笑わないでください』だったの?」
「それがね、慌ててて『泣かないでください』と『笑ってください』がごっちゃになっちゃったみたいよ」
泣き笑いでRちゃんが言う。優しくて真面目でちょっとおっちょこちょいなフナくんらしい、素敵なエピソードだ。
今回の旅で、わたしはすっかり韓国が好きになった。フナくん初め、オンニや優しく接してくださったたくさんのひとたち。きっと一生忘れないだろう。
そしてなによりこの旅に誘ってくれたRちゃん、ほんとうにありがとう。また絶対に行こうね、みんなの待つ韓国へ。
【今日のんまんま】
山菜やお肉のたっぷり入ったチゲ。唐辛子が効いていていくらでも食べられる。んまっ。
(ロッテモール金浦空港)
文・イラスト・写真:中澤日菜子(なかざわ ひなこ)/1969年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒。日本劇作家協会会員。1988年に不等辺さんかく劇団を旗揚げ。劇作家として活動する。2013年に『お父さんと伊藤さん』で「第八回小説現代長編新人賞」を受賞。小説家としても活動を始める。おもな著書に『お父さんと伊藤さん』『おまめごとの島』『星球』(講談社)、『PTAグランパ!』(角川書店)、『ニュータウンクロニクル』(光文社)、『Team383』(新潮社)、『アイランド・ホッパー 2泊3日旅ごはん島じかん』(集英社文庫)がある。最新刊『お願いおむらいす』(小学館)が好評発売中。
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