note_第5回醤油か塩か

中澤日菜子【んまんま日記】#5 醤油か塩か

 ふだんは仕事場にこもり、ひたすら小説やエッセイを書く毎日だが、たまにイベントや講演会に呼ばれることがある。十一月末には、香川県・小豆島にある土庄(とのしょう)町立中央図書館の開館十五周年記念の行事に招いていただき、そこで「小説家の仕事とは」というお題で講演会を開かせていただいた。

 なぜ小豆島で? と不思議に思われるかたもおられよう。
 じつは2015年の夏に、講談社からデビュー二作め となる書下ろし長編小説「おまめごとの島」を出したのだが、その舞台が小豆島の土庄であり、そのご縁で今回招いていただいたのだった。
 ちょうど寒霞渓(かんかけい)の紅葉がいちばん美しい時期でもあり、せっかくだからと友人のCちゃんとIくんを誘って「小豆島講演ツアー」に出た。

 羽田から高松空港、そこからリムジンバスで高松港へ。高速船で瀬戸内海を行くこと約六十分、土庄港に到着である。
 船外に出たとたん、ぷぅん、胡麻油のよい香りが鼻腔をくすぐる。
「え、なんで胡麻油? オリーブの島じゃないの?」小豆島初上陸のCちゃんが驚きの声をあげる。
 じつは土庄港に面して胡麻油製造の老舗「かどや製油」の工場があり、その煙突から港、いや土庄の町じゅうに胡麻の香りが漂っているのである。ここちよい潮風に乗って流れてくる胡麻の香りをかぐと脳内は「オリーブと素麺の島」というイメージから即座に「塩ラーメンの島」へと切り替わる。

 ともあれ図書館や町の職員の方々に迎えられて、講演会の開かれる中央公民館へ移動。「おまめごとの島」をメインテーマに小説の仕事あれこれを話す予定である。スケジュールは講演が四十五分で、のちパネラーのおふたりとの鼎談が四十五分。最後は質疑応答で終わることになっていた。
 だが、わたしには自信がなかった。なににって? 時間通りに講演を終わらせる自信が、である。一度喋りはじめたら最後、いま何時なのか、どれくらい話したのかすべてぶっ飛んでしまう超単細胞人間、とても時間通りに終わらせられないだろう、という確かな自信に満ちていた(どうでもいい自信にだけは満ち満ちているのである)。
 そこで一計を案じた。三人のなかでいちばん冷静なIくんに客席最後列に座ってもらい「終了時刻まであと十分」になったら、高々と挙手してもらう作戦だ。これならいくら単細胞なわたしでも気づくに相違ない。

 いよいよ講演が始まった。拍手に迎えられて壇上へ。ゆったりと場内を見渡すわたし。だがそこで愕然とする。
 いない。最後列に座っているはずのIくんがいない。あわてて視線をさ迷わせる。と、壇上から向かって左手、客席のほぼ中央あたりにのうのうと座っているIくんを見つけた。
 なぜそんなところに!? あそこで手を上げたら観客にまるわかりではないか!?
 とはいえ冷静沈着なIくんのことだ、なにか秘策があるに違いない。内心の動揺を押し隠し、わたしは講演を始めた。予想通り、興に乗ってきたわたしの頭から時間の概念がすっ飛ぶ。
 もうそろそろだろうか。ちらちらIくんを窺うも、いっかな手を挙げる気配がない。ということはまだ喋り足りないのだろうか。焦ったわたしはさらに脱線して話しつづける。
 さすがにじゅうぶん喋ったろう、そう思い、再度Iくんを見やる。と、右手の拳を握りしめ、太ももの横でなにやらくるくる回している。なんだあれは? あんな合図、決めてないぞ。巻けということか? それとも単なる手首の運動だろうか。ますます混乱に陥るわたし。
 混乱したまま司会者に「もう時間ですかねえ」とおもいきり直球で尋ね、「はい、お時間です」と言われて大慌てで話を切り上げた。けっきょく十五分オーバーして、一時間も喋ってしまったのだった……

 鼎談のためいったん中座して控え室に戻る。先に来ていたIくんに詰め寄るわたし。
「どうして手を挙げなんだ!」
「挙げたよ! そっちが見逃したんだろう」
「それになんだあのくるくるは? 押してる、巻けという意味か」
「そうに決まってるだろう!」
「だったらもっと分かりやすく回せ!」
 見苦しい言い合いをしていると、温和なCちゃんが仲裁に入ってくれた。
「まあまあふたりとも。お客さんが楽しそうだったからいいじゃない」
 関係者の皆さん、すみません……今度からもっと有効な策を講じます……

 ところで小豆島には草壁港から東にかけて、醤油蔵の立ち並ぶ有名な一角がある。醤油もまた小豆島の名産品なのだ。古い蔵の町に入ると、醤油のかぐわしい香りに包まれる。そしてやはり漂う胡麻油の匂い。醤油×胡麻油。塩ラーメンから今度は醤油ラーメンへと島のイメージが変わる。
 小豆島はとにかく美味しくて、ひとのこころが温かい、そんな素敵な島なのである。


【今日のんまんま】

お米

ごはん-1

お土産にいただいた豊島(てしま)の棚田で穫れた新米。ふっくらぴかぴかで、甘く、なおかつ新米ならではの香気が舌に広がる。んまっ。
NPO法人豊島観光協会


文・イラスト・写真:中澤日菜子(なかざわ ひなこ)/1969年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒。日本劇作家協会会員。1988年に不等辺さんかく劇団を旗揚げ。劇作家として活動する。2013年に『お父さんと伊藤さん』で「第八回小説現代長編新人賞」を受賞。小説家としても活動を始める。おもな著書に『お父さんと伊藤さん』『おまめごとの島』『星球』(講談社)、『PTAグランパ!』(角川書店)、『ニュータウンクロニクル』(光文社)、『Team383』(新潮社)、『アイランド・ホッパー 2泊3日旅ごはん島じかん』(集英社文庫)がある。最新刊『お願いおむらいす』(小学館)が好評発売中。
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