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今、私が日々できること。

あの東日本大震災から10年。

当時、神奈川県に住まいがあり、そこで家族と共に経験した。

関東でも比較的影響があまりなかった地域で、とても恵まれていたが、夫は、車で10分程度だった職場から自宅へ帰ってくるのに、2時間以上もかかった。携帯電話の電波状況もとても悪い状況で連絡も取れず、とにかく無事に帰ってきてほしい!と思った感情を昨日のように思い出す。

いつまた余震が起きるかわからない状況。

いつでも逃げられるように準備し、炊けるときにご飯を炊き、味が無いと食べにくいため、焼きおにぎりを大量に作って冷凍して、それを少しずつ食べて生活をしていた。

スーパーやコンビニから食料や日用品が全て無くなり、息子のオムツももちろん無くなった。

布オムツを持っていたことで救われたが、水道も止まるかもしれないという不安も持ちつつ生活していた。

一時して、ガソリンスタンドにガソリンが届いたが、給油するのに1日かけて並び、みんな平等に2000円まで給油することができた。

震災が1つのきっかけとなり、家族で近くに住んでいたい、という思いを強くし、夫の実家近くへ引っ越しをした。

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この10年で考え方が変わり、子供も成長し、働き方さえも変わった。

しかし、メディアで聞く現地の様子は変わらないことも多く、常に衝撃を受ける。

ご家族を探していらっしゃる方もとても多く、原発の影響により住み慣れた場所へ戻ることもできず、不安な思いをずっと抱えていらっしゃる方も多い。

もちろんメディアで語られない事実もそこにはたくさんあるから、私が知ることができないことの方が多いのだと思うと何とももどかしい気持ちになる。

地球の悲鳴を無視することをしないために、私は、合成洗剤を使わない、無駄な物を買わない、なるべく地域のものを食べるということを10年実践してきた。

時間を無駄にしないということも大切なことだと強く思う。

それだけで変えられるわけではないが、たった1人でもやり続けていこうと思うし、生活しながらもっとできそうなことは取り組んでいきたい。

これから先の10年で、地球はどう変わるのだろうか。

このまま、悲鳴を聞き続け、そしてまた犠牲となる人やことを増やすのか。

私は笑顔がたくさんあり続ける未来であってほしいと願う。

今日は、離れ離れになっている方々が、1日でも早くお会いできる日が来ることを祈ります。

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