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デジタル断ち、山寺でセルフ修行へ_自分を取り戻す2泊3日の旅【後編】

新年が明けて間もない2025年1月。
身延山への修行を決行した私は、準備万端で早朝の出発。
目的は「自分を取り戻す」こと。修行という非日常の体験を通じて、自分の内面と向き合いたいと考えました。

身延山は雪こそ降っていませんでしたが、朝の気温は氷点下5度。極寒の山間部独特の静けさと厳しさが漂い、どこか神聖な空気感に包まれていました。この場所を選んだ自分を、到着早々に褒めたくなりました。

身延山で実際にやったこと

行けるところまで散策、偶然の出会いや発見を大事にしよう、
というスタンスで様々なことに取り組んできました。

①菩提梯の287段の石段

287段を登り切った瞬間、息を切らしながらも感じたのは、背後に広がる山々の静寂と、自分の小ささ。それでも一歩ずつ登るたびに、確かに自分がそこに存在していることを感じられました。修行期間中は毎日上りました。

身延山久遠寺HPより

②朝のお勤め

朝5時半(夏季は5時)、まだ暗い本堂での「朝のお勤め」。おかみさんが貸してくれた懐中電灯を手に、山本坊から三門前の道路沿いに久遠寺を目指しました。※ちなみに夜間は危険なので菩提梯の通行禁止になっています。

本堂に響く読経は、まるで身体の奥に直接触れるような力強さがありました。40~50分の正座の苦痛を感じながらも、徐々に心が静かになり、周囲の暗闇に溶け込んでいくような感覚に包まれました。
本堂の天井には身延山久遠寺を守護する『墨龍』が描かれています。

身延山久遠寺HPより

③心を映す鏡、初めての写経体験

写経は「心を映す」と言われますが、まさにその通り。筆が進むたびに、自分の未熟さや集中力のなさが浮き彫りに。それでも最後まで書き切った時には、小さな達成感が得られました。
大本堂の地下にある宝物館の入館料300円を支払うと、
入り口前で写経ができるようになっています。

④偶然が導く発見――山内散策と素敵な出会い

今回の修行のテーマは「偶然を大事にする」こと。散策中にはさまざまな発見がありました。

  • 御草庵跡
    緑が生い茂って荘厳な雰囲気になっています。もともとは日蓮上人の御骨はこちらにあったのですが、川が近く水害を懸念し、今の久遠寺に移動されたとおっしゃっていました。

  • ロープウェイで奥の院へ
    往復1500円のロープウェイで7分のところにある奥の院へ。眼下に広がる景色は圧巻で、「日常の喧騒から離れた」ことを実感。景色が良い時は迷わず上ってくださいね。

  • 七面山の礼台からみる山々
    奥の院は山の頂上であるため、富士山を初めて、周辺の巨大な山脈を一望することができます。壮大な自然に囲まれた礼台で、心が解放されるような感覚を味わいました。

  • 数々の宿坊
    事前リサーチで調べていた、志摩坊や奥ノ坊などさまざまな坊や宿坊が見つかったのも面白かったです。百聞は一見に如かず。各宿坊の外観、バックストーリーなど現地で体験でき刺激的でした。

https://www.minobusanropeway.co.jp/guide/view.php

偶然の出会い

  • 参拝のおばちゃん
    初めてのお勤めで右も左もわからない私を助けてくれたおばちゃんの存在は、本当にありがたかったです。
    本堂での座り方、本堂ではその日のお経に関する冊子を無料で提供してくれること、お焼香のタイミング、これらはどこにも書いていないので、とても助かりました。
    おばちゃんに教わったことを翌日、新たな参拝者に伝えることで、まるで小さなコミュニティが生まれたような感覚がありました。

  • 身延山の説教師
    厳しい朝のお勤めの最後に語ってくれた説教師の言葉が心に響きました。
    心はリアル、身体がバーチャル」:仏教では宗教の思想こそが本物のリアルで時がたっても存在し続けるもの。身体は一時的なものにすぎない。という趣旨で、AIの学びを深めている私にとって、この考え方は特に印象的でした。リアルとバーチャルの境界線が曖昧になる現代において、心こそが人間らしさの本質を支えているのかもしれないと考えさせられました。
    ちなみに情報セキュリティにて最も脆弱なのは人間の身体と言われることがあります。宗教とセキュリティが、実はとても深いところでつながっていると感じました。

    世の中にあたりまえなどない」:すべての事象の裏には、必ず誰かがいる。朝のお味噌汁はお母さんや奥さんが一生懸命作ってくれている、きれいな道を歩けるのは、毎朝町民の方が掃除をしてくれているから、当たり前などこの世にはありません。あらゆることに感謝をしましょう、とのこと。

    苦行が悟りをもたらすわけではない」:日蓮上人は悟りを得るために非常に過酷な修行をされたということでしたが、それによって悟りは得られなかったようです。宗教では常日頃の信仰心の大切さを訴求していましたが、私はこれを「信じる力」ととらえました。自分ならできる、これはやれると信じる力があれば、行動は変わり、自分は変わり、望んでいた結果が訪れる、そのようにもとらえられるのかなと。 
     

  • 宿坊の女将さん
    今回泊まった山本坊の女将さんは、温かく迎えてくれる優しいお母さん的な人柄が印象的。傘や懐中電灯を貸してくれたり、ちょうどよい距離感で気遣ってくれたり、修行初心者の私を心から支えてくれました。デジタルが遮断されると情報源の大半はヒトからになります。ありがたや。

  • 野生の動物たち
    朝のお勤めに行く道中で、鹿や正体不明の野獣(おそらく猪?)に遭遇。一日目はびくびくしながら60分かけて上りましたが、二日目は慣れたのかサクサク進んで30分で着きましたw。
    おかみさんに聞くと、1月は近隣の山が猟の解禁期間のようで、唯一お寺の周りは狩猟禁止のため鹿が逃げてきているのかもしれないと。賢い。

  • 徐々に穏やかになるSHIBAと最後までキレ狂う憤怒プードル
    宿坊では2匹のワンちゃんを飼っているのですが、一方は出会うたびに穏やかになる柴犬、もう一方は最後まで怒り心頭のプードル。この対照的な二匹との出会いが、修行中の私を不思議と和ませてくれました。

脳内イメージ

振り返り:何ができたのか

さて、私は修行を通じて、「自分を見つける」ことはできたのでしょうか?

  • 修行らしいことはできた
    滝行や厳しい修行を期待していましたが、朝のお勤めや287段の菩提梯、写経だけでも十分に心が動かされました。

  • 写経は心を映す
    筆跡に自分の未熟さが表れる。次に挑戦するときはもっと心を整えて、より長く緻密な写経に向き合いたいと思いました。

  • 寒さと温かさのバランス
    極寒の中での修行は厳しいものでしたが、宿坊のお茶の温かさや身延の人々の優しさが心を癒してくれました。1月は新年の新鮮さもあり、とても良いタイミングだったと思います。

  • デジタル的なつながりを断つ
    これが意外にも平気で、「つながらない時間」の心地よさを実感しました。時計を忘れたので携帯のアラームだけは使用しましたが、通信は遮断していました。

  • 自分を感じる
    自分には意外と行動力と忍耐力があることを再認識しました。また、自分自身を信じる力の大切さにも気づくことができました。これからは、この気づきをどう生かしていくか考えていきたいと思います。


日蓮宗、身延山、そして未来への思い

今回の体験を通じて、日蓮宗への考え方も少し変わりました。
中高生の歴史の授業で習った他宗排斥という偏見がありましたが、
今回はそれを感じることはなく、宗教の根底にある優しさや寛容さを感じました。また、「苦行をしたからと言って悟りが開けるわけではない」という気づきも得ました。

さらに、身延町そのものにも感銘を受けました。過疎化が進む地方の現実は厳しいですが、それでもここには自然と調和した静かな魅力がありました。
また、あたらしい風として身延町が舞台になる「ゆるキャン△」というアニメとのコラボも自然に取り込んであり、体験しやすさの高い町でした。
総合的に、地元の人々が大切にしている文化や伝統を守る姿勢が美しかったです。

これからに向けて

修行を通じて見つけたのは、完璧な『自分』ではなく、『変わり続ける自分』でした。この旅で気づいたのは、自分を信じる力の大切さ。そして、それは日常の中でも少しずつ育てていけるものだということ。

この修行体験をきっかけに、今後も「自分を知る」旅を続けていきたいと思います。そして、身延町の自然や文化を楽しむ余裕も大切にしながら、日々の生活に生かしていきたいです。

次の修行の地がどこであれ、この気づきを胸に、また新たな一歩を踏み出したいと思います。青森県の恐山や福井県の永平寺など、まだまだ魅力的なお寺があるので、3日休めるときはめぐっていきたいと思います。

以上、【デジタル断ち、山寺でセルフ修行へ_自分を取り戻す2泊3日の旅】でした。お読みいただき、ありがとうございます!

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