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日本・チェコ共同制作人形劇『チャスラフスカ・東京・1964』の記録 (楽しかったし勉強になった)

 本日(2024年9月11日)、『チャスラフスカ・東京・1964』ヨーロッパ公演の初日が明けた。足かけ3年ほどのプロジェクト。スタッフもテーマも何もかもゼロから始める国際共同制作公演は初めてだったので、始まったときは今日のこの日を想像することすらできなかった。何事も終わりがあるものだ。やった、やった。

 今日撮った、上の舞台写真を見て下さい。この子どもたちの熱狂! これでようやくこの事業は一段落することになる。もちろんこの後、チェコ最大規模の演劇祭である Festival DIVADLO (今年のオープニング作品はコメディー・フランセーズの『Hecuba, not Hecuba』)や、ブルガリアのソフィアのフェスティバル Sofia Puppet Fair 、そして全東欧圏を見わたしても最大規模のスロヴェニア現代人形劇祭 LUTKE  での上演が予定されている。さらに、来年2025年春にはまたチェコでの公演が決まっている。というわけでこの作品はようやくこれからヨーロッパの人々の目に触れることになるのだが、クリエーション段階はとりあえず一段落した。

 このプロジェクトの始まりは、チェコのアルファ劇場のホラが、「共同制作にだけ使うことのできる特別な助成金がチェコ文化省から出る。日本とチェコでなにかやろうか?」と持ちかけてきたことだった。
 日本人とチェコ人、両方の観客に親しみ深い主題を択び、子どもから大人まで見られる人形劇作品を作ること。アーティスティックチーム(脚本・演出・美術)はチェコ側が担当し、俳優はチェコ側から3名、日本側から3名ずつ担当すること、という枠組みをまず決めた。アーティスティックチームは誰にするか? 通常ならプロデューサー主幹を務めるアルファ劇場から出すところだが、当時のアルファは芸術監督の交代時期で少しごたついており、うまく適任が見付からない。そこで、チェコ人形劇界をアルファと並んで牽引する、ドラク劇場(https://draktheatre.cz/en/)から呼ぶことにした。そして、俳優はアルファ劇場から3名、そして当時私が学振研究員の傍ら手伝っていた「人形劇団プーク」から3名、ということで話がまとまった。

 私自身は、この作品に「ドラマトゥルク」として——脚本・演出を務めるチェコ側のアーティスティックチームが呈示するものに対して、日本側からの目線でファクトチェックしたり意見を言ったり、必要な資料を翻訳して渡したりして——、関わる予定だった。裏方の裏方っていう感じ。しかしいろいろあって、台本翻訳をすることになったり、脚本の一部を書き改めたり、演技の方向性について演出家に要望を出したり、熱血ドタバタしていた。ヨーダのように森からアドバイスだけするつもりが、ルーク・スカイウォーカーとして宇宙戦争に参加していたというか。ゾシマ長老のつもりがアリョーシャ・カラマーゾフだったというか。いや違うか。

 というのも思い返せばリハーサル初日、チェコ側が委嘱したチェコ人翻訳家の日本語水準が、演劇公演に耐えうるものでは無いことが判明し(そう。脚本執筆の遅れもあって、翻訳台本がリハーサル初日の朝に届いた)、一晩で翻訳台本をすべて書き直さなければならない事態が生じたのだった。国際共同制作のリハーサル期間は限られている。ホテル代もかかるし、頭もお尻もスケジュールが詰まっている。背に腹は代えられない。英語が話せる脚本家のヤルコフスキ—と、プロデューサーのホラに言葉の意味を逐一確認しながら、私が英語版からの重訳をやることになった。
 この時のことを、今でもときどき振り返る。「日本語の翻訳台本の作成は、チェコ人に頼みたい」という脚本家の強い要望に、安易に肯んじるべきではなかった。いや、安易というかだいぶ怪しんだのだが、「日本語で演劇台本を作るのはすごく難しいですよ」というあたりまえのことをわざわざ言いたくなかった。そんなわけで、Google翻訳をもう少しだけ変にしたような翻訳台本が出てきたときには、天を仰いで、自分で責任を取るしかなかった。でも結果的には良い勉強になったと思う。まあそう言ってしまえばすべては良い勉強になってしまうんだけれども。犬の糞を踏んだりとか。払った税金がゴジラのプロジェクションマッピングに使われたりとか。

 ところで創作段階で一番悩ましかったのは、日本表象をどう扱うかということだった。演出陣は人形劇を作る点においては百戦錬磨でとても鋭い感覚を持つすばらしいアーティストばかりなのだが、しかし一皮むけば国際感覚に乏しいチェコの田舎者たちなので、彼らが「東京」を描く時、どうしてもステレオタイプな「ミステリアス・ジャパン」が出てしまう。例えば車人形の技術を用いて「宮本武蔵」が登場し、文楽的な三人遣いの人形で「武道のお師匠」みたいな人が登場する。日本人にとってはあまりに脈絡のない登場で、しかもそれが日本人の間でなぜ違和感を生ぜしめるか、どう説明してもなかなか分かってもらえない。合計するとたぶん5時間くらいは説明したと思うが、このあたりの「ミステリアス・ジャパン」表象は演出陣が心から気に入っていて、どう変更しようもなかった。

 そんなわけで私はこの作品の日本表象には忸怩たる思いをもっていたが、しかしヨーロッパ公演を見て、かなり気が変わった。というのは、車人形と文楽がヨーロッパでそのまま紹介されるとき、太夫/三味線/操りという三業構造や、浄瑠璃の長々しく難解なストーリーがうまく伝わらず、「なんかエキゾチックなものを見たけど、長いし退屈だったな」という印象になってしまうことも多い中、本作品のようにあくまでチェコ人に対して分かりやすい体裁を採りつつ同時に技術的にきちんとした車人形と文楽式三人遣いが日本文化の象徴として登場することで、むしろ車人形と文楽の魅力をスムーズに伝えることができるという側面があるのではないかと、観客の反応を見て感じたからだ。
 なにしろ、チェコ人は大熱狂だったんだから。川尻麻美夏(プーク創設者の孫、現在はウニマ会長、シャイな美人シャン)がやる車人形と三人遣いに。そして子どもたちの屈託のなさ、喜びようときたら。この芝居を見た後、なにやら国際親善の思いで胸が一杯になったらしい子どもたちが、周りにいる日本人(舞台にも出ていない私とか)に手当たり次第握手を求めてきた。こういった素朴な友愛の情を、「浅薄な日本表象を子どもに見せたくないんで〜」なんつって切り捨てるのはむしろ愚かなことだろう。
 あと、チェコは己のみじめな境遇をひたすら笑い飛ばすという姿勢が骨身にしみわたっているので、私が「我々はオリエンタリズム的表象に長らく苦しめられてきた〜」的な話をし出すと、「人も死んでないし何が問題なわけ? チェコ=バカな田舎者で表象されてもこっちは全然構わないんだけど。誇り高すぎ」って感じの反応で、私もだんだん誇り高い自分が恥ずかしくなってきて議論が終わるのだった。

 話を戻すと、今日はヨーロッパ公演の初日だった。さて、反応はどうだったのか? チェコの人形劇場の朝は早い。ほんとうに。初回上演は、なんと朝9時から始まった(そして二回目の上演は10:45から)。共産主義時代、始業時間が朝6時半だった習慣がいまだに劇場にも残っているのではないかと思う。
 朝の回なので、観客席の多くを占めるのは小学校高学年くらいの子どもたち。世代的にチャスラフスカを知らないチェコの子どもたちは少しでも理解できるのかしらん? なんて思っていたら、ワ〜キャ〜⚡︎⚡︎ってバケツをひっくり返したような大騒ぎ。 最後にはカーテンコールが4回、スタンディングオベーション。ずっと手で♥️(ハート)を作って舞台に見せつけてる少年なんかもいて、とにかく笑っちゃうくらい大盛り上がりの大反響。もちろん役者も大喜びで、ノリノリったらない。日本人の三人のキャストも、それぞれ魅力的に見えた。チェコ人役者の一人、ダン・ホレチュニーはリハーサルでも一足靴を壊したのに、ハッスルしすぎて、また初回の舞台で新しい靴をバラバラにしてしまった。二日で二足履きつぶすって、どういうことだよ。 
 子どもたちを連れてきた保護者や先生などの大人も、なんだか半泣きで「すっごくよかった。ありがとう・・・ううっ」て感じで、感極まっていた。演出家のヴァシーチェクも、ようやく我が意を得たりって感じで、いつも赤い顔をますます赤くして喜んでいた。ヴァシーチェクは制作途中で酔っ払って窓ガラスをぶちわり、床が血まみれになるほどの大ケガを負ったりしていたので、ああ、本当に良かったなあ! 

 それから、ある程度予想はしていたが、両国の反応の違いがあまりにも顕著でちょっと驚いた。この作品のタイトルは「チャスラフスカ」だけど、実際舞台を見ると、日本の遠藤とチャスラフスカのダブル主演になっている。そのどちらに注目するか、どこで笑うか、それがことごとくズレている。日本では遠藤が金メダルを貰うシーンで自然と拍手が沸き起こってしまうのだが、チェコではシーンとしていた(笑)。いまいち日本では受けなかった「スロヴァキア語なまりのチェコ人コーチ」の熱血指導の場面は、チェコでは大ウケ。チャスラフスカが観客席を回りながら、スターとして観客にサインをして回るシーンでは、日本ではちょっとヤラセ感というか盛り上がりに欠けていた気もしたが、チェコでは観客が超熱狂してもう芝居が先に進まないくらいの状態になったりして、ああチャスラフスカという人は今でもこんなにも国民的ヒロインなのかと驚かされた。
 演出家のヴァシーチェクも、「日本では遠藤がヒーローになるけど、チェコではチャスラフスカがヒーローになるんだね」と言って面白がっていた。

 さあ、クリエーションの第一段階はこれで終わり。これからは、魅力的な俳優たちがこの劇を生き生きと現前させることで、観客を楽しませていくことだろう。がんばれ、『チャスラフスカ・東京・1964』!

 チェコ側が制作したオフィシャル・ウェブサイトはこちら。写真が豊富でみやすい! https://divadloalfa.cz/caslavska-tokio-1964/

Festival DIVADLOのプログラム。コメディー・フランセーズの隣が、人形劇『チャスラフスカ・東京・1964』。

追記:2024/9/12、大人の観客ばかりのFestival DIVADLOでの上演は、子どもよりもワ〜キャ〜的な歓声こそ少なかったが、カーテンコールは圧巻の6回、そしてみんな半泣きと笑顔で批評家連からも絶賛だった。本当によかった。


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