佐渡の人形芝居
佐渡には三つの人形芝居がある。
①説教人形、②のろま人形、③文弥人形。
そのうち、①説教人形、②のろま人形のほうが歴史が古く、これらは享保年間(18世紀前半)、あるいはもしかしたら元禄年間(17世紀末ごろ)に、上方から移入したとされる(佐々木義栄『佐渡が島人形ばなし』 pp. 6-9)。
昔は一興行が5幕で、説教人形3幕/(間狂言として)のろま人形1幕/説教人形2幕という形式だった(同 p.33)。
新青座(のろま人形)の土屋さんによれば、残念なことに、説教節ができる太夫さんは佐渡にはもういなくなってしまったそうだ。説教人形とのろま人形の遣い方は同様らしいので、テープなどに合わせて説教人形を上演することはできるだろうが、いまでは説教人形の上演はやっていない。今回私が見ることができたのも、のろま人形単体の上演だった。
のろま人形のすじは、のどかで、笑える。ヨーロッパの手遣い人形(プルチネラ、パンチ、ハンスヴルスト等)の笑いとかなり似ているように思った。私が見た「生地蔵」のほか、「そば畑」「お花の嫁入り」など台本はいくつかあるが(佐々木義栄『文弥節浄瑠璃集 下巻』所収)、そのいずれも、主人公の木之助(まさにデクノボー)がなんやかやと言って裸になり、珍棒を出して放尿するという結末。
のろま人形が舞台から退場するときの、「そっ、そっ、そっ、そっ・・・」という擬態語のようなセリフがおかしくて、その度に笑ってしまう。
佐渡の人形芝居には説教人形とのろま人形だけでなく、古浄瑠璃として有名な文弥人形がある。説教人形とのろま人形をやっているのが、廣栄座と新青座の二つしかないのに対し、文弥人形はまだもう少し沢山残っている。そのうちの一つ、猿八座の西橋八郎兵衛さんは色々と新たな試み(ドビュッシーの牧神の午後に合わせて文弥人形を遣う、など)をして活発に上演活動をされている。去年は、サントリー地域文化賞も受賞された。
今回の佐渡滞在中に、いまだ活動しているらしいという話を(多少なりとも)聞くことができたのは、次の7団体。
説教人形、のろま人形:廣栄座、新青座
文弥人形:真明座(現在は座員4名)、常盤座(常設劇場あり)、猿八座(新潟の新発田に練習場あり、現在は座員9名)、大和座、大崎座、野浦双葉座、閑栄座(?)。
佐渡の文弥人形は、20世紀には14はあったようだ(宇野小四郎『日本の人形戯・人形芝居』pp.140-147)。そのほとんど全てで、浜田守太郎さん(1900-1998)という名人が教えていたらしい。今回の旅でも、浜田さんの写真を色々なところで見かけた。しかし猿八座の西橋さんによると、浜田さんの上の世代に、より優れた人形遣いたちが幾人もいたとのことだ。