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風の啼く谷(#シロクマ文芸部)

 金色こんじきに染まる谷に濛々と砂塵が巻きあがり、馬脚がこだまする。
 谷の上空で一羽の鷲が旋回し、陽光をうけて翼を翻した。

 赤土の急峻な砂岩の壁がそそり立つ。かつてこの深い谷底にも川が流れていた。数千年かけて川が削った谷が、涸れ谷ワディとなってさらに数百年過ぎた。アリゾナの荒野を駆ける風は、狭隘な谷に先を争って吹きつけ、高く屹立する細く長い岩の回廊の側壁にぶつかっては、甲高い嬌声をまくしたて、咆哮を轟かせていた。昼夜分かたず谷に風の絶えることはなく、不気味な声が途切れることもなかった。
 荒野にたおれた魂が泣きさぶ声と云われ、『風の啼く谷』は生きて帰れぬ谷と恐れられた。

 額に白い三日月をもつ鹿毛の駿馬で荒野を駆けて三日。
 突如、天高く聳える断崖が現れた。赤土の大地に錆びた巨大な箱が置かれているようだった。並び立つ岩の屏風。乾きしか知らない太陽が砂岩の壁を金色に灼いていた。
 馬上から手をかざし岩山の上に目をやる。翼を広げた鷲がテーブルマウンテンの上を滑るように飛んで行く。
 狂ったように響く風の啼き声が聞こえた。声を頼りに、地獄の門とされる谷の入り口を探す。
 一週間前に刑務所を出たばかりの俺に、失うものなど何もない。
 ならば、務所でまことしやかに噂されていた地獄の宝とやらをいただきに行くだけだ。

 五年前、マックスウェル保安官にはめられた。
 保安官代理だった俺は、資料を整理していてマックスウェルによる金の横領に気づいた。州知事に告訴したら、逆に横領犯として逮捕収監された。知事もグルだった。身寄りのない俺は罪をなすりつけるにはうってつけだったのさ。保安官なんて所詮、無頼者の親玉みたいなもんだ。青かったのは俺だけ。反吐へどが出る。

「風の啼く谷には黄金に輝くお宝があるっていうぜ」
「けどよ、生きて帰ってきたもんはいねぇ、地獄の谷だぞ」
 何一つ楽しみのない劣悪な刑務所では、海千山千の話だけが山っ気と血の気の多い連中の胸を高鳴らせる。家畜の餌より酷い飯を喰らいながら、俺たちはこの手の与太話で腹を満たしていた。
 務所には毎週、神父が来て「神の道」とやらを説いていた。
 罪を悔い改めよ、さすれば天国への道も開けるとかなんとかね。
 なに言ってんだ。俺は無実の罪で裁かれたんだ、神なんて糞くらえだ。天国よりも地獄の方がよほど信じられる。
 地獄の谷。上等じゃねえか。
 無論、マックスウェルへの復讐は考えたさ。けど、復讐を果たしても務所に戻ってくるだけだ。こんな飼い殺しの場所は、二度とまっぴらごめんだ。

 出所した日の夜、町から離れた農場で鹿毛の馬を一頭盗んだ。
 盗んだというのは語弊がある。務所作業で得た金をぜんぶ、厩舎の柵に置いてきたんだからよ。馬代には足りねえかもしんねえけど。
 銃は‥‥諦めた。
 俺の出所を知ったマックスウェルが町中に網を張っているだろう。そんな所にのこのこ出かけて行く馬鹿はいねえ。それに、地獄に向かうんだ。撃ち殺されりゃあ、地獄行きが早まるだけさ。

 鹿毛は、気性は荒いがよく走るいい馬だった。ムーンと名付けた。生まれてはじめての身内。俺たちは野宿をしながら三日走り続けた。
 いいかげん尻が痛くなった頃、そそり立つ岩の壁をえぐる谷を見つけた。
 『地獄の門』と呼ぶにふさわしく、断崖が左右に屹立していた。
 谷に向かって背後から突風が吹く。崖の上で何かがきらりと光った気がした。太陽が眩しい。細い谷の奥は昏くてよく見えない。
 いざ地獄へ――俺はムーンの横腹を蹴った。

 ひゅん。
 風のとぐろを巻く嬌声に紛れ、微かだが鋭角的な音を耳が拾った。
 俺は耳がいい。先天的かどうかはわからない。ただ、みなしごが他人に怯えながら生きていくには、役立ったことは確かだ。
 音は右の崖上から聞こえた。
 右上に顔を上げる。矢が降って来るのが見えた。
 太陽を背にした黒い影が一つ、断崖の上を走り次々に矢を射てくる。
 左の崖に人影はない。
 ムーンの尻を鞭でひと打ちすると、鞍から身をずらし馬の左腹に隠れて全速力で疾走させた。
 矢が雨となって降り注ぐ。反撃する銃はない。
 ここまでか。まあ、それもいい。
 ムーンの首に抱きつき、ごめんな、と謝った。 

 どおっとムーンが前のめりに倒れ、俺の体が放り出された。二転三転し、したたかに肩と背を強打した。呻く間もなく、鋭い鈎爪が肩をつかむ。鷲に肩を押さえつけられていた。
 伏せたまま、辛うじて顎を起し顔を上げた。
 周囲は明るく、広場のような場所にいた。谷を抜けたのか。
 鷲の羽根飾りを頭に挿した小柄な若い男が矢をつがえて立っていた。矢先はまっすぐに俺の額を狙っている。男を中心に顔を赤く塗りタトゥーをした連中が、弓を構え半円を描いて俺を取り囲んでいた。
「いい馬だ」
「ああ」
「いい乗り手だ」
「そうかよ」
「馬は無事だ。痺れ矢で止めただけだ。手当する」
「ありがとよ」
「武器を出せ」
「持ってねえ。撃ち返さなかっただろ」
 若い男が脇にいた配下に顎で指示する。一人がすばやく駆け寄って、俺の体をまさぐり首を振る。俺の両手を後ろ手に縛りあげると、抱え起こして座らせてくれた。鷲はいつのまにか男の肩に止まり俺を睥睨している。
「族長のアイラだ。お前は?」
「ライ」ぶっきらぼうに名乗った。矢はまだ俺を狙っている。
「谷に侵入した目的はなんだ?」
 黄金の宝と、答えようとしたときだ。
「ライ、ライじゃねえか」
 酒で焼けた掠れ声が人垣を搔き分けて近づく。
「ビル‥‥か」
 見覚えのある顔に呆然とする。頬に十字に走る傷。間違いない。二年前に出所していった『切り裂きビル』の異名を誇ったビルだ。
「ライの野郎が来たって!」
 刑務所で馴染みだった顔が次々に現れた。
「ビル、ここは、どこだ」
「おめぇ、知ってて来たんじゃねえのか」
「務所じゃねえ‥‥よな。地獄谷で合ってるか?」
「務所ではそう呼んでたな。風の啼く谷。ナバホの谷さ」
「ビル、お前、なんでここにいる?」
「黄金を求めてさ。ライ、おめぇもそうだろ」
「で、あるのか。ここに、黄金が」
 刑務所仲間を順に見回す。皆、にたにたしている。
「ああ、見ろ」
 集まって来ていた野次馬たちが左右に分かれる。
 たわわに実った小麦が、陽光を受けて黄金に波打っていた。
 谷に吹きすさぶ強風とは違う、穏やかな微風にそよいでいる。
「黄金だ」
「これが?」
「ここは、ナバホの隠れ里だ。そして、俺たちはぐれ者の楽園さ」
 務所では険しくすさんでいたビルの鋭い眼光が、穏やかに笑んでいる。
「うまい酒とうまいパン。労働のよろこびと悠々自適のくらし」
「門の外じゃ、俺たちは受け入れられない。いつまでたってもはじき者で、しょうもない悪さをしては、また務所に逆戻りさ。そんな奴を、おめぇも嫌というほど見てきただろ」
 そうか、ここはあぶれ者の楽園か。
「金は食えない。だが、この黄金はうまい」
 若き族長のアイラがビルの横に立って、にやりとする。
 はじかれた者たちが肩を寄せ合う谷。ここにあるのは、人が人であるための黄金の時間だ。
「ライ、ようこそ。黄金の涸れ谷へ」
 ナバホは、彼らの言語で『涸れ谷の耕作地』を意味する。

<了>

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今週も、なんとか間に合いました。
小牧部長様、よろしくお願いいたします。


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