【連載小説】「北風のリュート」第7話
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第7話:奏でるもの(3)
「このリュート、どこで手に入れたの?」流斗が尋ねる。
「代々、母から娘に受け継がれてきたもの、らしいです」
「家宝ってこと?」
「いえ。結婚するときに母が祖母から持たされたそうで。私がお嫁に行くときにあげる、といわれました」
「母系で伝えてるのか。興味深いね。そうとう古いものなのかも」
納戸の片づけをしていた母が「お嫁に行くときにあげるね」と桐の箱を開け、銀に光る楽器を取り出した。「でもねえ、鳴らないのよ」母は弦を一本はじいたが、空気をかする音すらしなかった。当時小学生だった私も弾いてみたけど、鳴らなかった。それからずっと忘れていた。
今年の二月に客用の伊万里の大皿を取りに納戸に入って、ぎくりとした。楽器の箱の上に透明の魚が横たわっていたのだ。箱の上の魚は少しぐったりして見えた。手で追い払って蓋を開け、戯れに弦をはじいてみた。すると驚いたことに鳴ったのだ。透明の魚が近づいて来た。あれからだ。ないしょでリュートを持ち出すようになった。
透明の魚のことは伏せ、突然鳴るようになったことだけを伝えた。
「おもしろいね。成長して弾けるようになったってことかな?」
「わかりません」
わからないのは、なぜ初対面の人に、こんなことまで話しているのかも。これまでのレイでは考えられない。
一つ気づいたことがある。弦を適当にかき鳴らしているだけなのに、魚たちが寄ってきて、くるくると回り、またどこかに去っていくのだ。
「君が弾くと、風がくるくる踊るね」
レイは膝のリュートを落としそうになった。
「見えるの?」声が裏返る。
「空を泳ぐ透明の魚が……あなたも、見えるの?」
膝を立てて流斗に詰め寄る。
「透明の魚か。残念ながらぼくには見えないけど。それは空中にいるの?」
落胆がレイの瞳を陰らせる。
「ぼくも見てみたいな」
はっ? 聞きまちがえたのかと思った。
ギュィイイイイイイイン。
流斗の声が戦闘機の爆音に蹴散らされる。
機影がレイの頭上を翔け、土手の草波を撫でてゆく。
魚たちが飛行機雲に飛ばされる。
「ぼくは、あれに乗りたかったんだ」
流斗が直線で飛び去った戦闘機を見上げる。
「子どもの頃の夢は戦闘機パイロットだったけど、目が」と眼鏡を指さす。
「悪くなってパイロットはあきらめた。興味のベクトルが空に向いて、気象オタクへまっしぐら」
ははは、と空に向かって笑う。
「それからかな。風の動きをイメージする自主トレをしている。漫画なんかでよく風を線で表現するだろ。あんなのを頭の中で描きながら、空気の流れを見ている」
「気象研究官の人って、そんなトレーニングをするんですか?」
「ぼくだけだよ」
そのうち出世したら実習メニューに入れるよ、と片頬をにっとあげる。
「どんなふうに見えてるの、その魚」
この人は透明な魚の存在を否定しないんだ。レイは驚きで胸がいっぱいになる。
「リュウグウノツカイって……知ってます?」
「太刀魚の親玉みたいな深海魚だよね。白っぽい銀色で細長い」
あんなのが見えてるのか、と感心する。
「私のこと、変だとか嘘つきだとか、思わないんですか?」
「どうして? 羨ましいとか、ずるいなあとは思うけど」
「ずるい?」
「イメージしなくても見えてるんでしょ、その透明な魚が。ずるいよなあと思う。ぼくもその目が欲しい」
心底羨ましそうな顔を向ける。
「天気はさ、データの世界なんだ。数字が表すもの、データが教えてくれるものを必死で想像して頭の中で画像にしなくちゃいけない。でないと、ただの数字の羅列だからね」
そろそろ十時半か、と流斗は時計を確認する。
「その透明の魚って、今もこの空にいる?」
尻を払いながら立ち上がる。
「雲の中に赤いものを見たっていう人とこれから会うんだけど、君もよかったらいっしょに来ない? イーグルドライバーだよ」
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