潮騒のミントキャンディー(#シロクマ文芸部)
海の日を齧ったような波が岸壁に打ちつけては崩れる。鴇色がしだいに濃くなる。昼間の熱気は粗い砂まじりのコンクリートの護岸に貼りついたままだ。紗良はテトラポットに腰かけ、目を眇めて水平線を追う。
針のような黒い影がひとつ、沖を斜めにすべって朱色の波間に消える。
ここは内浦で半端な波しか立たない。
影は起き上がったと思うまもなく、また沈む。
狭くて岩場の多い浜を、灰色に透ける波が洗っている。
誰もいない浜で、つばの広い麦わら帽子に白のワンピースが膝を抱えて沖を見ている。たぶん何時間も、ずっと。ただ見ている。
麦わら帽が振り返って、紗良に手を振り、降りてこいと手招きする。
小学六年生にしては小柄な紗良は、いつもならテトラポットをひょいひょいと器用に降りていくのだが、「ここで見てるー」と首を振った。
青年と女は、梅雨の雨が残るころに連れだって島にやって来た。
島の西岸にグランピング用コテージができたのは、三年前のことだ。
潮のこびりついた瀬戸内の小島には、煤けた単色の風景しかなかった。 ウッドデッキ付の二等辺三角形のコテージが海沿いに建つと、空気にまで色がついた。パレットいっぱいに絵の具がこぼれたような、きらきらした色があふれ、島の日常を塗りかえてくれると思った。
けれど、熱気は流行性感冒のように一時的で、ゴールデンウィークや夏休みが終わると、人波は潮が引くように去り、錆びついた海だけが残る。けっして交差することのない人の群れ。残されるのは、極彩色のごみだけだ。
浮ついた熱が紗良たちに感染することはなかった。
紗良は下校途中だった。
ぽつぽつと雨粒が熱気の滞留した空から落ちてくる。水滴を口で受けようと空を見上げて、コンクリートの護岸の切れめにふと目がいった。狭い入江の渚に白いワンピースが三角座りをして海を眺めていた。サーフィンをする人影が夕波に揺れている。先日からコテージに滞在している二人だ。
紗良はテトラポットのすきまに身をひそめた。
雨が海原に点をぱらぱらと打ちはじめると、青年が沖から戻ってきた。女が立ちあがる。海水に濡れた黒いウェットスーツが、白いワンピの女の腰に手をまわす。
ただそれだけなのに。キスをしたわけでもないのに。
紗良は見てはいけないものを見てしまったような背徳感でどきどきして、なぜか股の間がきゅっとすぼんで熱くなった。下腹部がぎゅっとよじれるような奇妙な快感が、体の芯をあがってくる。もぞもぞして何かが蠢き縋りつきたくなる。
紗良は夕立のなかを走って帰った。
あの奇妙な快感をもう一度、という誘惑に紗良は勝てなかった。
毎日、下校途中に渚に寄り、テトラポットに隠れて二人をただ見ていた。
少しだけ伸びあがった瞬間、白いワンピが振り返り目が合った。
おいで、と手招きする。のぞき見をしていた罰の悪さから、紗良はすごすごと浜へと降りていった。
「はい」
ワンピースのポケットから何かを取り出し、紗良の手に置く。
シーグラス色をしたキャンディーだった。海の色だと思った。掌に乗せたままためらっていると、女が一つ自分の口に入れ微笑む。紗良もぽんと口に投げ入れる。ツンとする刺激が口から鼻孔へと抜け、紗良は、うげっと鼻をしかめた。
くすっと女性が口角をゆるめる。
「ミントはにがて? 甘いほうがいいかしら」
「これでいい。これがいい」紗良はあわてて告げた。
名前を訊かれたので正直に「紗良」と答えた。お姉さんは?と尋ねると、
「そうね。あたしはスズで、彼はリン」
そよ風のような笑みを浮かべた。たぶん本名ではない、そんな気がした。それでもかまわなかった。
紗良は青年の声を聞いたことがない。たまたまなのかもしれないが、沖からボードを抱えて戻ってくると、スズは「お帰り」と声をかける。リンは海水に濡れた顔をひと撫でして笑いかけるだけで、何も言わない。
毎日、サーフィンをするリンを見ているだけで退屈でないのかと訊いた。「待ってるの」という。
「何を?」尋ねても、ふふ、と笑う。
紗良にはわかる。夏休みが始まる前に、二人は島を出ていく、たぶん。
あの賑やかで一過性の色が押し寄せる前に。
リンが夕陽を背に渚に戻ってくる。
紗良はテトラポットの上に腰かけて、その黒いシルエットを見つめる。
スズが砂をはらって立ちあがる。白いワンピースが潮風に裾を揺らす。
黒く滑らかなウェットスーツの腕が、スズの腰に手をまわす。
紗良の股の奥がきゅっと縮む。疼きが体の芯を昇りつめた瞬間、ぬるりと生温かいものが内股を這うのを感じた。スカートの裾から手を入れる。初めての血が指先にぬめっていた。紗良はそれをテトラポットに擦りつけた。
黒いウェットスーツと白いワンピが肩を寄せ合い去っていく。浜に長いシルエットを残して。
紗良はミントキャンディーを舐めた。鼻の奥がツンとした。
<了>
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創作大賞の応募も一段落し、2か月以上ぶりで「シロクマ文芸部」に参加します。といっても、あいかわらず提出期限にまにあいませんでした。
小牧部長さま、また、どうぞよろしくお願いいたします。
サポートをいただけたら、勇気と元気がわいて、 これほどウレシイことはありません♡