ワラシ様のあるバイト(#シロクマ文芸部)
「働いてみたいんじゃ」
小春日和の昼下がり、燈子はワラシ様と抹茶ラテを飲みながら、裏庭で色づきはじめたイロハモミジを眺めていた。
ワラシ様は紅葉柄のきものを着て、縁側に行儀よく正座している、のだけど。口のまわりに抹茶の緑のにじんだミルクの泡をつけている。ほんまに可愛い神様やなあ、と燈子が笑みを浮かべていると、ラテの湯気にまぎれるようにワラシ様は「妾も働いてみたいんじゃ」とつぶやき、上目遣いに燈子を見あげた。
ワラシ様は、燈子が借りている築八十年の京町家の気から生まれた座敷童神である。家と一体のワラシ様は、屋敷から出ることはできなかった、はずなのだが。納戸の桟の欠片を持った燈子と手をつなげば外出できるとわかってからは、京の町の散策を二人で楽しんでいる。(もちろん、他の人にはワラシ様の姿は見えへんよ)
先日、寺町二条の茶舗をめぐり、茶壺の封を切ったばかりの抹茶を買ってきた。新茶の挽きたてだけあって、お茶についてはまったく素人の燈子でも、その薫りのふくよかさに陶然とした。茶筅の使い方もままならない燈子に代わって、ワラシ様が点ててくれた一服のおいしかったこと。ここ最近、抹茶で一服が燈子とワラシ様のブームになっている。
「お薄もええけど、今日は抹茶ラテにしてみいひん?」燈子が尋ねると、
「抹茶ラテとは何え?」とワラシ様がつぶらな瞳を大きくする。
ワラシ様が点てた抹茶に温めた牛乳を注ぎ、ミルクフォーマーで泡立てる。秋風がさやかに抜ける縁側で二人並んでぼんやりと、抹茶の薫るふわふわのラテを楽しんでいたら――。「働いてみたいんじゃ」とワラシ様が話の接ぎ穂にもらしたのだ。
それもええねえ、と考えなしにあいづちを打ちかけ燈子は、口にふくんでいたラテで激しくむせた。
「え、なんて!」
「せやから、妾も働いてみたいのう」
むせる口を手で覆ったけれど間にあわず、ラテの緑のしずくがワラシ様の膝に飛んだ。
「あ、かんにん」
「よい、よい。気にせんでも、妾のきものに汚れはつかぬ。ほれ、このとおり」とワラシ様がにこりとする。
にわか雨に濡れても、鴨川べりで転んでも、ワラシ様のきものは汚れない。泥はついても、まばたきのうちに消えている。神様って便利やねえ、と燈子は妙な感心のしかたをする。
いや、今はそれやない。
働いてみたい、か。燈子はため息をついた。
「ワラシ様は、この家の座敷童神やん」
「いかにも」
「座敷童として、立派にお勤めはたしてるんとちゃうの?」
「人のように働いてみたいんじゃ。人は働いたらお銭をもらうんやろ」
知っておるぞ、と得意げな顔をする。
「せやったら、うちがワラシ様に『座敷童代?』を払ったら、ええ?」
「それじゃあ、あかん。妾が働いたにならん」
どうやら、労働の対価としてのお金が欲しいらしい。『じぶんのお金』で買い物がしたいという。
「お茶点ててくれたり、掃除してくれはる度に代金を払おうか?」
「家事にはふつうお銭は払わんと聞く。妾は『仕事』というもんがしたいんじゃ」
燈子にもらったお銭では、燈子に物を買うてもらうのと変わらん、と論理的に攻めてくる。見た目は十歳そこらの童女でも、中身は八十ウン歳。ごまかしがきかない。
ウェブデザイナーの燈子は、家で仕事をすることもある。ワラシ様は興味しんしんで「これは、なんぞ?」「今、どないやった?」とうるさいほど尋ねてきて仕事が進まないため、最近は家での仕事を控えているが。
「時どき、あたし、うちで仕事するやん。あれをしてみる?」
燈子が持ち帰る仕事を手伝ってもらおうか、と考えた。
「それは給料とやらをもらえるんか。妾名義で」
燈子は絶句した。そんなん、どうすればええんやろ。
困ったときの島ちゃん、ではないけれど。島ちゃんくらいにしか、こんなこと相談できない。幸い、先日の茶舗めぐりのあと、島ちゃんにはワラシ様を紹介している。次の土曜に燈子の家で相談会議を開くことになった。
客を迎えるいうんは張りがでるのう、とワラシ様は朝からたすきがけで畳を掃いたり、テーブルを拭いたりいそいそと働いている。燈子はワラシ様お気に入りの抹茶ラテを用意した。
からから、と格子戸の開く音がして「ごめんください」と島ちゃんの声が響くと、ワラシ様は玄関土間に走り寄る。
「ワラシ様は、燈子と一緒でないと家から出られへんねやろ」
ワラシ様に手を引かれ座敷に腰を落ち着けた島ちゃんは、はしゃぐワラシ様に目を細めながら尋ねる。
「せやなあ」
ワラシ様はもったいぶって答えるけれど、口もとはラテの泡で真っ白だ。
「ほんなら、やっぱりオンラインで仕事するのが、ええんとちゃう?」
「オンライン、とな?」
「パソコンで仕事して‥‥」燈子は通りに面した窓辺に置いているパソコンを指さす。「できあがったら、メールで送るんよ」
「そうそう。ウェブ記事の募集とか、けっこうあるし。簡単そうなんから挑戦したら、ええよ。ほら」
島ちゃんがタブレットで募集サイトを開く。
ワラシ様はおかっぱの黒髪がつきそうなくらい顔を近づけ、真剣な表情で画面をスクロールさせる。それを横目に「あんな、島ちゃん」と燈子が、もう一つの懸念事項を持ちかける。
「仕事料は銀行振り込みやろ。でも、ワラシ様の口座は‥‥身分証明書がないから作れへんねんけど」
どないしよ、と燈子と島ちゃんが顔を見合わせる。
「ねえ、ワラシ様」と島ちゃんが声をかける。
「ワラシ様には戸籍がないやん。せやから、マイナンバーとかの身分証明書がないんで、銀行に口座を開かれへんの」
「神籍はあるえ」
そんなものがあるのか、と燈子は内心で驚く。
「神籍なあ‥‥」と島ちゃんも言い澱む。「たぶん、それでは、あかんのとちゃうやろか」
ふむ、とワラシ様は首をかしげる。
「仕事料の振り込みは燈子の口座にして、仕事はワラシ様の名義で応募したら、どうやろ? 振り込みには入金明細が載るんで、ワラシ様の仕事料やってわかるし。振り込まれたら、燈子に下ろしてもろたらええやん」
ふむむ、と島ちゃんの提案にワラシ様はまた首をかしげる。
「‥‥銀行口座とやらは、そういう事情ならしかたあらへんな。けど‥‥家の中やのうて、外で働いてみたいんや」
外、外かあ――島ちゃんと燈子は、互いに顔を見合わせフリーズした。
そうか、と燈子は思う。ワラシ様は人好きなんや。せやから、この家の元住人たちにも、気を引こうとあれこれいたずらをしては失敗してたんやな。人と関わりたいんや――せやけど。
「あんな、ワラシ様」と燈子は正座し直す。
「外ではうちと手をつないでんとあかんやろ。片手でできる仕事って、たぶん、ないんとちゃうやろか。万に一つあったとしても、うちの休みの日やないとあかんし‥‥」
燈子が困難をあげるごとに、ワラシ様がうつむく。それが燈子の胸を締めあげるけれど。現実の前にどうしたらええのか、さっぱりわからない。
じっと腕を組んで黙っていた島ちゃんが、ああ、そや、と顔をあげた。
「なあ、うちらの事務所でバイトしてもらうのは、どうやろ?」
へ? と燈子の声が裏返る。
「うち今、京都の観光PRのウェブマガジンを担当してるんやけど。コラム欄をどうしよかと悩んでたん」
島ちゃんは、うちの事務所のライターだ。
「うちのコラムじゃ、名所や店の紹介と差が出ぇへんし。著名人に頼むと原稿料かかるし、依頼交渉も面倒やし。せやけど、特色は必要やしなあ、と頭悩ませとったんよ。<座敷童様の目でみた京都>って、なんかおもしろそうやん、どう?」
燈子はワラシ様と目を合わせる。ワラシ様の顔がたちまち明るくなる。
「それ、いい! いいけど、そんなんできる?」
「まあ、いろいろ根回しは必要やけど」
島ちゃんは抹茶ラテをひと口すすると、「ワラシ様」とワラシ様に向かって膝をそろえ、その目を見つめる。
「事務所には燈子とうちの二人以外に、社長と経理の原さんに男性デザイナーが二人で合計六人いるんやけど。みんなに身バレしても、かまへん? つまり事務所にいるときは姿が見えるようにしてもらえる? それとも、社長だけに事情を話すんにとどめとく?」
「それは、かまわん。外で働きたい云うんは、妾のわがままやからのう」
「よし、じゃあ、社長を口説くわ」
まかせとき、と島ちゃんが抹茶ラテを飲み干す。
口のまわりはワラシ様のように泡で真っ白。それを見てワラシ様が笑う。島ちゃんも笑う。笑い声が走り庭の吹き抜けの天井を抜けていく。
「あ、ちょっと待って。片手をつないだままやと、ワラシ様が入力はできるかもしれんけど、うちの作業が‥‥」
燈子は、また水を差すようなことを言う自分が嫌になる。でも、解決しとかんと。仕事は遊びやないんやもん。
「うん、それな」と島ちゃんがうなずく。「要は、依り代を持ってる燈子の体のどっかとつながってるとええんとちゃうの?」
「え、どういうこと?」
「せやから、燈子の膝にワラシ様を抱っこしてたら、ワラシ様も燈子も両手が使えるやん」
あ、と燈子は口を開け目を見開く。そうか、その手があった。感心する燈子を尻目に島ちゃんは、ワラシ様のほうに身を乗りだす。
「それでさあ、ワラシ様。記念すべき第一回目のコラムやねんけど。座敷童がいるって云われてる若一神社は、どう?」
まだ社長のゴーサインも取れてないのに、さっそく打ち合わせモードだ。
「若一か、それもええけど。もうすぐなんとちゃうか?」
「何が?」
「南座の顔見世じゃ」
「せや、もうすぐ招きが揚がるわ。京の冬を彩る風物詩やし、華やかで第一回を飾るには、ぴったしや」
さすがワラシ様と、島ちゃんが胸の前で手を叩く。
「ええコラム、頼むよ」
「まかせとき」
ワラシ様の鼻が心なしかふくらんだ。
<了>
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ちなみに、若一神社とは、こんなところです。
また、いつかワラシ様がコラムで紹介してくれるかも。
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ワラシ様のお話は、他にもこんなのがあります。
よろしければ、お楽しみください。
▶シリーズ1作目。燈子とワラシ様の出会い譚です。
▶シリーズ2作目。
▶シリーズ3作目。
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今週は、なんとかセーフでした。
小牧部長様、よろしくお願いいたします。