ボウズの翼(#シロクマ文芸部)
――風の色を読むんだ、ボウズ。
三半規管のイカレタ耳奥で、かすかな耳鳴りを聞いていた。
翼はもげてしまったのだろうか。
不意打ちだった。
すれ違いざまに顔面を拳で殴られるような衝撃波。
正面から予期せぬ突風に呷られた。
気持ちのいい気流に乗ってなめらかに飛翔していた。凪いだ湖面のごとき雲の波が秋の陽光をやわらかく反射する。うまく上昇気流をつかまえ雲の上に舞い上がりさえすれば、慣性の法則に身をゆだねればいい。旅団の中ほど後ろ寄りに位置をつけることもできていた。
初めてにしてはやるじゃないか、いいぞ、ボウズ。
仲間から褒められて気分も上々だった。
暑熱がやわらぐと、ひと息に季節が進んだ。山の緑が減衰し、黄に色づくにつれ、胸の深奥に得体の知れない焦燥がつのった。
――ここにいてはいけない。
――飛ばなければ。
――旅立たなければ。
どこへ?
夏に巣立ったばかりなのに、本能が叫ぶのだ。
南へ。南へ。風が呼ぶ。
突風に、真下から突き上げられ斜め後方に飛ばされた。
上か下か。東か西か。いずれを向いているかもわからぬ混沌に放り出された。蒙昧とした大気の層に翻弄され、制御を失った翼は重力に引かれ落ちていく。
雲が美しいのは、外見だけだ。
内に呑み込まれると、氷の礫と雨滴の嵐が容赦ない。視界は灰白色の煙幕で覆われ、氷点下の冷気と不規則に螺旋を描く回転落下運動に意識がちぎれる。未熟な飛行。ここまでか。
感覚の軸を失っていた側頭葉を声が叩いた。
――風の色を読め。
怖くて硬く閉じていた瞼を開けようとした。風圧に押される。
――風の色を読むんだ。目を閉じるな。
――風の色を見ろ、目をそらすな、ボウズ。
雄々しい翼が、次々に飛来しては併走し叱咤し、高度を変える。
若鳥は鋭い鷹の目を必死で見開いた。
見えた、あそこか。
体勢を立て直し、風の流れに身をゆだねる。
風は吹く。
つごうの良い風もあれば、奈落に突き落とす風もある。
目をそらさずに、風の色を読むんだ。
<了>
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鷹の一種のサシバは、9月の末から10月初旬にかけて大群で壮観な渡りを行い、ニューギニア島やフィリピンなどで越冬します。上昇気流をとらえていっせいに空高く飛び立つ光景は「鷹柱」とも呼ばれるとか。
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今週も、まにあいました。「ほっ」
この調子をキープしたいと思っています。
小牧部長様、よろしくお願いいたします。