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【ミステリー小説】腐心(35)

第1話は、こちらから。
前話は、こちらから。

<前話までのあらすじ>
住宅街の空家で高齢男性の遺体が発見された。死後4日経つ死体は、連日35度超えの猛暑日のなか腐っていない。腐敗しない遺体についてヒ素の摂取が疑われた。検視の結果、死因は吐瀉物による窒息死。死亡推定日時は7月30日。未必の故意も疑われるなか、防犯カメラの映像から佳代子が柳一郎を連れ出していた映像を発見。だが、佳代子にはアリバイがあった。29日から出張中の和也にも不審な点が。柳一郎がタオルで窒息させられた可能性と、不審な土がズボンに付着していたことが判明し謎が深まる。和也が妻の愛車と同じ車種のレンタカーを借り、妻の車と同じ番号にナンバーを偽造していたことが明らかに。30日の出張のアリバイも崩れた。犯行計画を立てたのは、和也か佳代子か。単独犯か共犯か。最後の詰めへと向かう。

<登場人物>
香山潤一(30)‥H県警東野署刑事課巡査部長
樋口武史(24)‥巡査・香山の部下
小田嶋裕子(33)巡査・香山の部下
田畑(24)‥‥‥巡査・樋口と同期・遊軍扱い
浅田‥‥‥‥‥‥鑑識係員
木本柳一郎(87)‥被害者・遺体で発見
木本和也(57)‥‥柳一郎の次男・宮下メディカル営業課長補佐
木本佳代子(52)‥和也の妻
木本幹也(23)‥和也と佳代子の一人息子・大学院生
木本雅也(59)‥柳一郎の長男

 切るべきカードは手の内にある。問題はどの順に切るかだ。香山は持ち札を反芻し、脳内シュミレーションしながら取調室の扉を押した。
「よお、さっさと全部吐いて楽になろうぜ」
 ペットボトルの茶を飲んでいた和也は、香山の登場に激しくむせた。
 小田嶋がすっと立ち、滴が飛散した机の上をティッシュで軽くふきとる。
「ゆっくり飲んでくれてかまわないんだぜ。熱中症には水分補給だからな。あんたの親父は、サウナ状態の部屋で、水も飲めず、窒息して亡くなった。さぞ苦しかったろう」
 ぐぅうと和也が喉仏を鳴らし、ペットボトルを両手で握りしめてうなだれる。がたがたとまた貧乏ゆすりが始まった。
「7月30日のあんたの行動を整理する」
 違ってる箇所があれば指摘しろ、と言って香山は事件の経過を時系列にまとめているメモアプリを開いた。

「10時にコンベンションセンターで受付を済ませたあと、博多から10時36分発のぞみに乗車。13時55分にD駅到着。14時32分に横手テクノパークで偽造レンタカーに乗車。14時56分にウエステ駐車場に入庫。16時21分に妻佳代子がウエステに入庫するのを確認後、16時23分にウエステを出庫。16時34分に若草3丁目の自宅に帰宅。16時42分に車を車庫から門前に移動させるまでの8分間に二階自室にて水色のブラウスを着用し妻佳代子に変装する。16時48分に柳一郎氏を乗車させて発車。17時8分に桜台2丁目4-13の空家前で柳一郎氏を置き去りにし空港に向かう。18時発、19時40分福岡着のフライトにキノシタユウスケの偽名で搭乗。20時にホテルロビーにて足立衛と合流。
 以上、すべて防犯カメラで確認済みだ」

 読みあげとシンクロして、貧乏ゆすりが激しさを増す。
「どうだ、まちがいないか」
「……」スチール机が激しく振動する。
「まちがいないかと、訊いているんだ」
 びりっと取調室の空気に電気が走る。和也は、は、と顔をあげ、「まちがい……ありません」と尻すぼみにうなだれた。
 小田嶋が香山を振り返る。香山は腕時計を確認する。
「8月8日11時24分、木本柳一郎に対する刑法219条保護責任者遺棄致死罪で木本和也を逮捕する」
 今朝、小田嶋が地裁でもぎ取ってきた逮捕状を和也の目の前に掲げた。
 これで時計はリセットされた。今から48時間で第三の共犯者を自供させ、未必の故意による殺人罪も視野に入れて事件の全貌を解明する。香山は机の下で軽く拳を握りしめる。喉の奥がくっと締まる。
「なぜ妻の佳代子に変装して犯行を実行した?」
 罪状を認め気が抜けたのか、和也は焦点の定まらぬ瞳を向ける。
「レンタカーのナンバーを偽造する小細工をかまし、水色のブラウスを着用して佳代子の犯行に見せかけるより、どこの誰かわからん謎の女に変装したほうが、簡単だったんじゃねえのか?」
 和也の視線は左の壁あたりを浮遊したままだ。
「なあ、なんでそんなに奥さんが憎い?」
 ぴくりといかり肩が反応する。
「理由は、これか?」
 香山は動画の再生ボタンをクリックする。
 横目でちらりと見やった和也が、眉をあげ白目を剥いて急停止する。
「あんたのスマホに保存されてた。撮影は6月4日。撮ったのは、おまえだろ」
 え、と香山があおっても、和也はフリーズしたままだ。
「佳代子さんは、日常的に柳一郎氏から性的暴行を受けてたのか」
 和也はふんと鼻を鳴らし、「性的暴行じゃない。不倫だ」と吐き捨てる。
「不倫?」
「そうだ。あの二人は、俺をずっと騙してコケにしてきたんだ。結婚以来ずっとな」
「どういうことだ」
「佳代子は親父のお古だったんだよ」
 なんだよ、憐れな目で見んな、と口を歪ませる。
「佳代子と見合いしろとある日とつぜん親父から命令された。知り合いにいいお嬢さんがいるからと。デートを重ねてから返事するつもりだった。なのに、見合い当日に勝手に親父が承諾の返事をしていて、気づいたら結婚させられてた。八年前におふくろが亡くなって、家を売っ払って強引に同居してきたのも、佳代子と復縁したかったからさ。くそっ、よくも三十年以上も俺をコケにしやがって、あンのクソ親父と売女ばいた
 しだいに言葉も荒れ、激していく。つい三分前までのしおれた青菜のような状態を一変させ、怒りで身を震わせる。
「この動画以外に不倫の証拠はあんのか?」香山は低音で尋ねる。
「そんなものは無い。けど、これで十分だ。セックスレス夫婦になって十年。俺とのセックスは拒否りやがるのに、親父にはほいほい尻を向けくさって。その動画がなによりの証拠じゃないか」
 昂奮しているからか、一人称が「私」から「俺」に変わっている。
「くそっ、俺は長年、親父のお古を押しつけられてたんだ」
 最後は絶叫に近かった。「み、幹也だって親父の種かもな」はは、と哄笑する。
「だから、佳代子に罪を着せようとしたのか」
 不意に遭遇した父と妻の濡れ場に我を失い、怒りが誤った妄想のフィルターを着せたのか。だからといって、親を殺した罪をなすりつける免罪符にはならない。はじまりに愛はあったはずなのに。疑念は疑念を増幅させる。夫婦関係はこんなにたやすく脆く腐っていくのか。

「ちょっといいですか」と断りをいれ、小田嶋がパソコン前から立ちあがり動画を巻き戻す。
「ここです」と巻き戻しを止める。
「佳代子さんは、柳一郎さんにキスされた首筋をタオルで拭きとっています。夫に隠れて不倫をするほど愛しい男性からのキスなら、拭きとったりしないでしょう。柳一郎さんの射精後の紙パンツの処理も、介護士か看護師のように事務的です。佳代子さんには、セックスを楽しむ恍惚とした表情は最初から最後までうかがえない。抗えない相手からの性的暴行に、意識を無にし棒になって耐えているようにしか見えないんですけど。それでも不倫を疑いますか」
 女性警官の理詰めの問いかけに、和也はぷいと視線をそらす。誤りを指摘された子どものような態度に、怒鳴どなり散らしたくなる衝動をこらえ、香山は動画のボリュームを最大にする。
「いいか、よぉく聞けよ。柳一郎が絶頂で誰の名を呼んでいるかを」
 衣服のこすれる雑音と、はあはあとしだいに激しくなる吐息が不快極まりないが、それらのノイズに混じって絞り出すように《ふ、ふみこ》《ふみ、ふみこ》とざらざらとした声で喘いでいるのが聞きとれた。
「文子って八年前に亡くなった柳一郎氏の奥さん、つまりおまえの母親の名だな?」
 母の名を聞き取ったのだろう、和也は耳を両手で塞いでうずくまる。
「不倫してたのかどうかは、わからん。けどよ、少なくともこの動画では、柳一郎は佳代子を妻の文子と錯覚して性的昂奮をもよおしてんじゃねえのか。小田嶋も指摘したが、俺の目から見ても、佳代子は柳一郎の認知症からくるセクハラ行為に耐えているようにしか見えねえんだがな」
「だ、だったら、親父を振りほどいて逃げればいいじゃないか」
「ああ、そうだな。なぜ、そうしなかったかは、今、別室で聴取してる。あんたのことを心配して、会わせろと朝から抗議に来てんだよ、佳代子さんは。いい奥さんじゃねえか」
 皮肉をひと盛りしてやったが、和也には響いていないようだ。いったん火のついた憎しみは簡単には消えないということか。おそらく今、ひっしで脳内で事実を否定し、自分の立てた仮説に見合うように捻じ曲げようとしているのだろう。人は自らの間違いを認めたがらない。そんな場面をこの無機質な部屋で嫌というほど目にしてきた。
「親父さんへの恨みは、妻を奪われたからか?」
「そ、それだけじゃない」
 よほど恨みがつのっていたのか、声がしだいに大きくなる。
「俺は子どもの頃からずっと、お、親父に虐げられてきた。成績のいい、スポーツもできる兄貴と比べられて、叱られるのはいつだって俺だ。テストの点数が悪いと、親に恥をかかせるな、と平手打ちが飛んでくる。高校も大学も就職先まで、親父に勝手に決められた。そのうえ女房までだぞ。若草の自宅も、親父が建売住宅を見つけてきて、ここにしろと契約書にサインだけさせられた。俺の人生を返せってんだ。そのくせ認知症になって徘徊だと? それならいっそ、帰って来なければいいと思っただけだ」
 皺のよった頬を紅潮させ、長年降り積もり汚泥となった鬱積がとめどなく溢れだす。
 親の重石おもしを撥ねつける気概もなく、不満を腐らせてきたのか。身勝手な論理に胸糞が悪くなる。だが、小心者ほど自らの論理に溺れ何をするかわからない。疑念は一つずつ明らかにしておかなければ。
「帰って来なければいい、か。つまり最悪死んでもいいと以前から思ってたんだな。で、ヒ素も使ったのか?」
「ヒ素だと?」和也は蒼ざめて絶句した。

(to be continued)


第36話に続く。


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