【ミステリー小説】腐心(21)
西陽が刑事部屋を鋭く対角線で照射していた。
珍しく島田課長がデスクにいた。両手を後頭部で結んで足を組み、椅子の背もたれに上半身をだらしなく預けている。仕事もせずに寛いでいるふうにみえるが、そうではないことを香山は心得ている。腹の内は決して見せない百戦錬磨の叩き上げ、それが島田だ。外見はくたびれたおやじだが、鋭い眼と声のドスを隠し持っている。
「よお、桜台のヤマは片がついたか」
「いえ、また謎が追加されました」
報告しようと課長席に歩を向けかけた香山を島田は片手で制する。
「たいした事件じゃねえだろ」
椅子に預けていた体を起こし、前かがみで机に肘をつく。
「時間をかけりゃいいってもんじゃねえ。事故じゃなくて事件だってんなら、さっさとホシをあげろ。タイムイズマネーだ」
軽くいなされ、一人増員して欲しい、という要望を香山は呑み込んだ。
向かいで小田嶋は受話器を肩に挟み、香山と課長のやりとりを生活雑音ほどにも気にかけず、機械的な口調で電話をかけ続けている。捜査のほとんどは地味な作業だ。リスト上に浮かんでは消える候補を一つ一つ潰していくしかない。砂の中からたった一つの金の粒を探すのに等しい。小田嶋は黙々と作業に集中している。
「レンタカーの目星はつきまし、ついたか?」
電話を切ったタイミングで小田嶋に問いかける。また語尾がおかしな敬語になっちまった。小田嶋がレンタカーの営業所リストをデスク越しに香山に手渡す。
「東野市内のレンタカー会社は4店。そのうちの1店がホンダの白いフィットを所有し、7月29日から2泊3日で遠山武という人物にレンタルしています。免許証の提示はありますが、偽名と偽装の可能性も否定できません」
「対応した店員に木本和也の写真を見せて確認をとるか。免許証は交通課で照合だ。偽装なら公文書偽造でパクれる」
「丸山市には9店ありますが、フィットの所有は1店舗のみで、こちらは30日に貸し出してません。横手には6店舗あって4店舗まで確認済です。うち1店舗はホンダのディーラーのため複数台を所有し、30日を含めた期間に2台貸し出していますが、車検と修理車輛の代車ですね」
「てことは、身元は確かか。D市はどうだ?」
「D市のレンタカー会社は24店ありますが、まだ未確認です」
「わかった。手分けしよう。小田嶋さんは、横手の残りとD市のリストの10店舗目までを頼む。そっから下は俺があたる」
D市で2件該当する店が判明した。いずれも借り手は木本和也ではない。塚本陽之介と今田文雄という。遠山武を含めたこの3名の中にAがいる可能性がある。
「塚本、今田、遠山の身元確認だ。佳代子、柳一郎との関係性の有無を調べる必要がある」
「ホンダのディーラーが貸し出した二人もAの可能性はありませんか」
「そうだな。そいつらも佳代子との接点を確認する必要がある」
小田嶋と話を詰めていると、他のシマの捜査員も戻って来る者が増え、刑事部屋には蜂の羽音のようなざわめきがあちこちで塊をなしはじめていた。そのなかをひときわ大きな声が轟いた。
「ただいま戻りました」
樋口だ。一瞬、不規則なざわめきは止んだが、すぐに復活した。
「お疲れ。木本和也のアリバイは?」
香山がさっそく尋ねる。小田嶋が向かい席から伸びあがる。
「アリバイは、ありました。残念なことに」
樋口はネクタイを外し、タオルで首の汗をぬぐう。立ったまま話そうとするので、いったん座らせ、小田嶋にこちらに回って来るよう指示する。
樋口によると、出張は木本和也と同じ営業部第一課の足立衛(34歳)との二人だった。
「29日は16時に業務を切り上げ、新幹線で博多に向かってます。博多着は20時9分。ラーメンを食べ、21時頃に駅前の「ホテル〇〇〇」にチェックイン。木本は513号室、足立は708号室で、ホテルに確認済です」
樋口はエナジードリンクをひと口あおると続けた。
「翌30日は9時半にロビーで待ち合わせ、会場のコンベンションセンターに地下鉄で移動。10時の開場を待って入場。センターの3階と4階がメッセ会場で、3階は企業や業界団体、研究機関のブース展示場。4階が講演会場です。3階のホワイエで受付を済ませると、足立は3階のブース展示場に、木本は4階の講演会場の二手に分かれたそうです」
「一緒じゃなかったのか」
香山が腕を組む。アリバイは微妙だな、と頭の隅に留め置く。
「効率よく周るためだと言ってました。スクリーン映写で暗くしたホールに座っていると眠くなると足立がもらすと、じゃあ、講演は俺が聴くから、おまえはブース会場で顔を売って今後の営業につなげろ、と木本が引き受けてくれたそうです。俺はもうすぐ定年だからと、後輩においしい役を譲ってくれたのだと足立は喜んでましたね」
「途中で二人は合流してるのか?」
「いえ。講演会場はスマホ厳禁なんで終了まで別行動です。18時に閉場アナウンスが流れても、展示場内の人はなかなか退けず、商談があちこちのブースで続いていたらしいです。足立もデュラン・メディカルの担当者との話が長引き会場を出たのは19時過ぎ、1階に下りてからも話は続き、デュランの担当者と別れたのは19時半頃。メッセに何度か参加している木本はそのあたりの事情を心得ていたようで、『19時半でもきついかもしれないから20時にホテルのロビーで待ち合わせ、飯に行こう』とあらかじめ提案されてます」
「だとしても、18時の閉場なのに20時の約束って、不自然に遅くない?」
小田嶋が疑問をねじこむ。
「それ、俺も感じたんで調べたんすけど」と手帳のページを繰る。
「17時15分に桜台の現場を出発しても渋滞時間帯っすからね、17時48分発、博多着21時10分ののぞみの乗車も微妙でしょ。一本前だと17時26分発なんでとうてい無理だし、仮に乗れても20時58分着っす」
「あら、飛行機ならいけそうよ」
小田嶋が操作していたスマホ画面を向ける。18時発、19時40分着のフライトがある。
「簡単にアリバイが崩れ……」
いやあ、こんな単純だとは、と樋口は気づかなかった自らの迂闊さにしどろもどろになる。
「相手のオウンゴールで勝ったみたいな気分っす」
「素人が考えるアリバイなんて、せいぜいこんなもんでしょ」
ミステリ―小説みたいにはいかないわよ、と小田嶋が軽くいなす横で、樋口は小山のような背を丸めている。微かにはしゃいでいる小田嶋の鼻筋の通った横顔を見るともなしに眺めながら、香山は小骨が喉に引っかかったような違和感が抜けなかった。
和也の犯行だとすると、ナンバープレートを偽装するほど周到に準備している。何日も前から計画を練っている。だが、17時15分に桜台に父親を放置してから18時の搭乗はぎりぎりだったんじゃないのか。結果的にまにあってはいるが、渋滞の時間帯だ。アウトになる可能性のほうが高い。計画は周到なのに、実行は綱渡り――。
佳代子との共犯とすれば、なぜ、佳代子が自宅を出てすぐに柳一郎を連れ出さなかったのか。そうすれば、少しは時間を短縮でき、搭乗時間までにゆとりができる。そもそも佳代子が買い物に出る時刻を早めれば、メッセ時間内に会場に戻ることも可能なんじゃないか。それこそ二人ともアリバイが完璧になる。香山はパソコンでフライト時刻を検索する。
福岡空港発11時35分の便に搭乗すれば12時55分着か。あらかじめ空港駐車場に偽装車両を停めておけば、13時半過ぎには若草の自宅前に着ける。柳一郎を桜台に送り届け、14時55分発の便に乗れば16時25分に福岡着だ。
なぜそうしなかった?
和也による単独犯行だからか? あるいは別の共犯者Aがマジで存在するのか?
「カヤさん、どうしました?」
香山の両脇に樋口と小田嶋が立って、香山が操作している画面を怪訝な表情で見つめている。また、独り推理を先走って、二人を置いてきぼりにしていたのか。チームなのだから思考は共有しないといけないのを、つい忘れる。疑念を二人にざっと説明した。二人とも、あっ、という表情で互いの顔を見合わせている。
「それとだな」と浅田から提示された繊維片と土の件も伝えた。
「ちょ、待ってください。頭がこんがらがりそうっす」
樋口が首にかけたタオルで、こめかみの汗をぬぐう。
「ま、できることから一つずつ潰していくしかねえだろ。樋口は引き続き、Aが和也の線から調べてくれ。空港近辺のレンタカー店舗と、30日18時発の搭乗者名簿の入手だな。小田嶋はAが第三者として遠山たち5人を洗ってほしい。俺も手伝う」
「土と繊維片は?」小田嶋が問う。
「そっちは、科捜研の結果が出るまで保留だ」
二人に指示をしながらふと視線をすべらせると、島田課長と目が合った。それで進めろ、とでもいうように顎をしゃくられた。
Aは和也なのか、第三者なのか。
それが明らかになったとしても、柳一郎の窒息が事故かタオルによる殺人かの謎は残る。課長席の背後の窓外は、すでに日が落ちている。このヤマはまだ闇の中だ。早く白日のもとに晒したい。
(to be continued)
第22話に続く(予定)
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