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アンノウン・デスティニィ 第18話「アンノウン・ベイビー(6)」

第1話は、こちらから、どうぞ。

第18話:アンノウン・ベイビー(6)

【日付不明、鏡の裏・つくば市】
 ふたりとも無言で車に乗る。徒労が全身にべったりと貼りついていた。
 終わった、なにもかも。
 あと一歩で捕まえられるところまで迫ったのに。下まぶたの縁から決壊しそうになる熱いものをぐっと呑みこむ。涙をこぼすわけにはいかない。関係ないキョウカまで危険に晒したのだから。

「また尾けられてる!」
 キョウカの指摘に感傷は瞬時に消え、緊張が走る。
「こんどは2台」
 後部座席のアスカは姿勢を低くしてサイドミラーを確認する。
「どれ?」
「追い越し車線のシルバーのベンツ。それから走行車線側に白のミニバン」
「なんであの2台?」
「白いほうは対向車線に止まってたけど、あたしたちが門を出て左折すると急にUターンしてきた。ベンツは一つめの信号の手前ぐらいにいた。こんなとこでベンツの路駐?と思ったんだよね。信号をぎりぎりのタイミングで通過したら、慌てて赤信号を強引に渡ってきた。ベンツは加速もなめらかね」
 キョウカがバックミラーに向かって笑みを返す。
「黒龍会?」
「そうなんじゃない」
「どうする?」
街中まちなかでカーチェイスもできないし。ファミリーカーじゃベンツには勝てそうにないし」
「フォレストなんとかってキャンプ場があったじゃん。あそこはどう?」
「悪くないね。バーベキューの材料でも買ってく?」
 途中でコンビニに寄る。車に細工をされないようキョウカは残る。遅れてベンツが入ってきた。ミニバンはどこかで路駐してるのだろう。キョウカはアスカが戻るまえにドルマンスリーブのロングシャツを脱ぐ。下にはアスカと同じ水色のTシャツを着用していた。ウィッグもはずしてストレートロングの金髪をなびかせる。これで、アスカとキョウカの区別はつかなくなる。
 アスカは塩2袋とペットボトルのコーラ2本に、ケチャップとマヨネーズを買って店を出た。
「ケチャップとマヨネーズ、どっちがいい?」
「マヨが好き」キョウカが口の端をあげる。「まだちょっと日が高いし、のんびりドライブでもしていきますか」
 キョウカはわざと夕方の渋滞しそうな道を選びながら進んだ。
「今のうちにアラタ特製のインカムに付け替えといて。ピアスインカムじゃ傍受されちゃうから」
 向こうの世界のシンもそうだったけど、アラタは機械類の細工も得意だ。ピアスインカムもアラタが用意してくれた。黒龍会が相手だからインカムがばれても問題ない。傍受されるほうが作戦に支障をきたす。おそらく周波数を特殊なものに設定してあるのだろう。『サンダーバード』のブレインズみたい、とアスカは小さく笑む。
 なだらかな山道にさしかかる頃には、いいぐあいに陽が傾きかけていた。残照がブナやナラの葉陰を金にやがて朱に染め影をのばす。キャンプ場の駐車場を通りすぎ、森の奥へとベンツとミニバンを誘導する。かなりの車間距離をとりながら尾けてきていたが、駐車場を過ぎると加速しだした。ベンツの助手席のウインドウが下がる。
「撃ってくるよ。アスカ、隠れて」
 ズキューーン。
 弾丸の風切り音が樹間に消える。道が不規則に曲がっているため照準が定まらないようだ。跳弾が葉を散らす。サバゲ―は何度も体験してるし、自衛隊の訓練にも山際の特殊ルートで参加したこともあるが、さすがに実戦は初めてだ。
「アスカ、助手席側から先に飛び降りて」
 キョウカは大きく右にハンドルを切る。アスカは林間に入ったタイミングで受け身の体勢をとり肩から転げ落ちる。一回転するとすぐに起きあがり、ぱっとはじかれたように走る。キョウカは比較的ひらけた場所に車を停めると身を低くして飛び降り、アスカとは反対方向に走る。
「ベンツが来た」アスカがインカムで知らせる。「ミニバンも」
「オーケー。どうする?」
「まずは助手席のライフルを片づける。車の下にもぐりこんで、降りるところを脚の動脈に針を刺すのは、どう?」
「時間設定は?」
「あたしは1分。キョウカは2分後に倒れるよう調整して」
「致死量?」
「しかたない。マフィアを甘くみるわけにいかないし。最初に得体の知れない恐怖を与えて攪乱する」
「ラジャー」
 ベンツに続いてミニバンも車体を上下にゆらしながら追ってきた。どちらも助手席からライフルを構えている。林は樹々の葉に閉ざされ、道路よりもずっと暗い。2台の車は入り口を塞ぐように止まった。駐車位置は予想どおり。待ちかまえていたふたりはゴーグルを装着し、アスカがベンツの下に、キョウカはミニバンの下にもぐる。
 ガチャ。扉が開く。
 暗視スコープで周囲を窺っているのだろう。そろりと左足が降ろされる。ズボン裾があがって皮膚が露出する。アスカは1分後に倒れるよう調整した毒針を脚の動脈に刺す。蚊に刺されたほどの痛みしかないはずだ。運転席の男も降りた。キョウカもすでに針を刺し終えているだろう。カウントダウンがはじまる。
 4人の男たちが踏みしめる枯れ葉や砂利のひそやかな音が土から伝わる。短い中国語で指示しているが、何を言っているのかはわからない。攻撃が何もないため車を捨てて逃げたと判断したのか、ガサガサッと葉を踏みしめるテンポが速くなったときだ。
 ドサッと鈍い音がした。最初の一人が倒れた。
 複数の足音がせわしなくなり、怒声が混じる。その混乱のすきにふたりは車から這い出て闇にまぎれる。
「脱出した?」キョウカに短く確認する。
「イエス」
 もう一人が倒れるまであと1分。次の行動はそれからだ。
「どこにいる?」
「入り口から右に下った大岩の後ろ。アスカは?」
「左の大木の裏」
「あたしは右、アスカは左を担当ね」
「オーケー」
 ドサッ。
 また一人倒れた。中国語の鋭い声量が増し、足音が無秩序になる。銃撃もなしに倒れていく仲間に、敵は混乱と恐怖の極みにいるだろう。この機を活かさなければ。
 アスカが動く。キョウカも駆けているはずだ。
 倒れた仲間から拾いあげたライフルのスコープであたりの闇を窺っている男を見つけた。アスカは樹木を盾にしてスコープの赤外線をよけながら背後に回りこむ。樹の密集した林では、ライフルにはスコープ以外の使い道はない。男が銃をリボルバーに持ち替えるまえに接近したい。1メートルまで迫ったところで、がさがさっと、小動物が駆ける足音がした。タヌキだ。男は動揺してライフルを音に向け発射する。その瞬間にアスカも男の前を駆け、塩をわしづかみにして顔面に投げつける。塩粒が男の眼を直撃する。
「わああああ」ズキューーン。
 男が身悶えし、落としたライフルが地面を撃つ。男は両手で眼を覆う。
 アスカはすばやくライフルを蹴飛ばし、後頭部を前傾させ無防備になった首に針を刺し、念のためスタンガンもおみまいする。
 どさっ。
 巨体が全体重をかけて前に倒れた。
 残る一人は右の林の奥に分け入っていた。
 キョウカが忍び寄る。そのときだ、アスカが倒した男の断末魔が林にこだました。キョウカの標的の男は恐怖にすくみあがる。ライフルを無秩序に全方位に向け、力を失くしたコマのように回る。それをキョウカは見逃さなかった。「アスカ、協力して」インカムで短く伝える。「二人で一人作戦よ」「了解」アスカは瞬時にキョウカの意図を理解して走る。
「ふふ、こっちよ」キョウカが男の前を誘うように駆け抜ける。
 ズキューーン。ライフルが鳴く。
 キョウカがさっと身を隠すと、「どこ見てるの、こっちよ」と男の背後で金髪が闇夜に流れる。
 バン! 
 男はライフルを捨て、アスカに向かってリボルバーを放つ。
「ほら、こっち」キョウカがまた別の場所から誘う。
 男の顔がしだいに恐怖にゆがむ。自分が最後の一人であることも拍車をかけた。幻影に錯乱する。恐怖が男の自制力を霧散させた。ベンツに向かって狂ったように駆ける。逃げられるとまずい。アスカは運転席の開いたドアの陰に身をひそめる。
 パン……、パン……。
 後方に前方にリボルバーをやみくもに乱射している。狙ってもいないだろう。目に見えぬ恐怖に対する威嚇でしかない。
「煽ってベンツまで追い詰めて。あたしは運転席扉裏に隠れてる」キョウカに伝える。
「ラジャー」
 キョウカが男の足もとを狙って撃ち、ベンツへと誘導する。
 敵が運転席まで腕一本ぶんに迫ったところでアスカは立ちあがり、男の眼をめがけてケチャップを勢いよく絞り出し、ついでに塩もおみまいする。
「うわあああ」
 奇声をあげた瞬間、キョウカが背後からスタンガンを男の首に当てていた。
 男は運転席の扉に腕をかけて倒れこむ。すかさずキョウカが男の頸動脈に毒針を刺すと、男はずるずると崩れ落ちた。男の顔にはケチャップが真っ赤な血糊をつけていた。
「おいしそうな血糊ね」キョウカが、くすっと片頬をあげる。
「塩味つきよ」
 アスカはベンツのセンターコンソールに置き去りのスマホを取りあげ110番通報する。警察が先に駆けつければ、黒龍会は手が出せなくなるだろう。あと処理は瑛士に裏から手を回してもらえばいい。どうせ黒龍会は白を切るはずだ。
 ベンツとミニバンのタイヤ4輪とも弾丸を撃ちこみ、ふたりは車に戻る。乗るまえに車体の下を探る。
「あった」キョウカがボタンサイズのGPS発信装置を見つけ、林の中に投げ入れる。
「入り口が塞がれてるけど、どうする」アスカがたずねる。
「この先で道路に戻れる。こんなときコンパクトカーは小回りが利いていいわ」キョウカが笑いながらルーフをたたく。
 
 山を下りてすぐのコンビニで停まった。
 ふたり並んで車に背をもたせかけ、星空を見あげる。
「これさ」とキョウカがコーラのペットボトルを掲げる。「開けたら、すっごいことになりそうね」戦闘で激しく揺さぶられ、ボトルのなかで炭酸ガスが秒速3メートルくらいで発射しようとスタンバイしている。
「勝利のコーラかけする?」アスカがペットボトルを構える。
「なんかさあ。あんたに負けた気分なんだよね」
 キョウカが体を反転させる。
「けっきょく、あたしが仕留めたのは一人だし。アスカが用意してくれたマヨもコーラも塩も使わなかったし」
「二人で一人作戦、成功したじゃん」
「それはそうなんだけどさあ」キョウカがまた体を反転させる。
「ね、ここってキョウカたちの世界だよね」
「たぶん。運転しててあたしは1ミリも違和感なかったもん」
「卵子・精子バンクラボが稼働してたってことは……未来に越鏡したってこと? いったい、いつなんだろ。スマホの時計はフリーズしてるし」
「瑛士にメッセするわ」キョウカはスマホを取り出しラインを開く。時計がバカになってても通信できるのかな、とぶつぶついいながら。

《蛙はどこ?》ポンとすぐにレスがあった。
《池だ》
《カラス用カッターがいる》キョウカがまた人差し指をささっと動かす。
《りょ》短い返事があった。

「このオヤジギャグみたいな暗号はいっしょなんだね」
 アスカが画面をみながら嘆息する。
 翻訳するとこうだ。

《どこに帰ればいい?》
《実験林のアジトだ》
《車をクリーニングする必要がある》
《了解》

「車はカーだから『カラス』とか。クリーニングといえばカッターシャツだから『カッター』とか。林だから、正反対の池にするとか。このセンスどうにかならないかな」
 アスカがぐちる。
「《愛の行方》と似たりよったりのレベルね」キョウカも同意する。
 
 白のコンパクトカーは『天辻板金工業』の裏の倉庫につっこんでおく。天辻板金工業は、山際調査事務所の車両部を請け負ってくれている。山際と天辻とは高校からのくされ縁らしい。任務で使用した車はここの倉庫に入れておくと、いつのまにか故障は修理され、ボディカラーも塗り変えナンバーも別物に、きれいにクリーニングされている。シートまで張り替えられていることもある。
 朝、乗って出たバイクは、倉庫の隅にあった。カワサキの400㏄ニンジャの黒いボディをアスカは撫でる。向こうの世界でも愛機だった。ほこり一つなくきれいに整備されているけど、いったいここでどのくらい眠っていたのだろう。今がいつかを知りたい。
 キョウカがエンジンをかける。アスカが後ろにまたがる。
 黒いメットの下から広がるストレートロングの金髪が二束、風を受けて後方になびく。闇夜にふた筋のほうき星が長い金の尾をひいているようだ。
 
「やあ、お帰り、ふたりとも。一年ぶりのご帰還だな。この放蕩娘ども」
 時は2036年の5月11日、ちょうど一年後だった。

(to be continued)

第19話に続く。


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