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【ミステリー小説】腐心(15)

第1話は、こちらから。
前話は、こちらから。

<前話までのあらすじ>
住宅街の空家で高齢男性の遺体が発見された。死後5日ほど経つ死体は、連日35度超えの猛暑日のなか腐っていない。腐敗しない遺体について鑑識の浅田は、ヒ素の関与をほのめかす。検視の結果、死因は吐瀉物による窒息死。死亡推定日時は7月29日ないし30日。行方不明者届の受理は7月31日。失踪状況を同居家族の次男夫婦から聴取したところ、失踪日について夫婦の供述が食い違う。未必の故意も疑われるなか、香山をリーダーに樋口と小田嶋の三人で捜査することに。防犯カメラの映像を確認していると、空家の家主が来庁。香山と小田嶋は家主と現場確認に向かったが、これといった収穫はない。署に戻ると、樋口が「犯人がわかった」という。

<登場人物>
香山潤一(30)‥H県警東野署刑事課巡査部長
樋口武史(24)‥巡査・香山の部下
小田嶋裕子(33)巡査・香山の部下
浅田‥‥‥‥‥‥鑑識係員
木本柳一郎(87)‥被害者・遺体で発見
木本和也(57)‥‥被害者家族・柳一郎の次男
木本佳代子(52)‥被害者家族・和也の妻
林省吾(55)‥‥空家の所有者・東京在住

 樋口が防犯カメラの映像を画面に映し出す。
 香山は自分のデスクの椅子を、小田嶋は空いている椅子に腰かける。それを待って、樋口が解説をはじめた。
「まず、午前の動きから。朝8時52分に柳一郎を乗せた車が出発。9時8分に佳代子だけが戻ります。ここまではカヤさんたちも確認済っすよね。こっからですが」と11時台のデータに切り替える。
「11時26分に再び佳代子が車で外出し、11時47分に柳一郎を乗せて帰宅してます」
 門前に白い車が横付けされ、柳一郎が降りる姿が映っていた。カーポートは狭いのか、柳一郎の乗り降りは門前でする習慣になっているようだ。
「どこかに柳一郎を送ってたんか。だから、8時52分に出かけた後、佳代子だけがすぐに帰ってきた」
 香山が佳代子の行動を整理する。
「自家用車での送迎なので、デイサービスではないですね」
 小田嶋が画面を見つめたまま的確な補足を加える。
「そうだな。とりあえず帰宅してるんで、どこに行ってたかは現段階ではいいだろ。不可解な映像ってのは、これじゃねえんだろ?」
「そうです」
 香山の問いにうなずき、樋口は別の時間帯の画像ファイルを選び早送りする。香山はマウス操作が苦手だが、樋口はかなり速い。数秒で目的の画像をアップする。
「ここからです。午後4時12分に車が出てきます」
「佳代子は確か4時ごろに買い物に出たと言ってたな。供述どおりか」
 佳代子の愛車のフィットがカーポートを出て左折し、門前で駐車することなく坂道を下っていく。対向車に遮られ後部座席のようすはわからなかったが、おそらく柳一郎は乗っていない。日除けのためか、佳代子はつばの広いベージュの帽子をかぶり、長手袋をはめて運転していた。帽子も手袋も車に常備しているのだろう。
「次です。この20分後に帰って来ます」
 バックで車庫入れする様子をカメラがとらえていた。時刻表示は16時34分だ。
「忘れ物でもした? ウエステまで若草からだと片道10分、往復するだけで20分はかかる。駐車場でUターンするくらいの時間しかないわ」
 小田嶋は交通課が長かっただけに土地勘もあるようだ。
 ウエステは国道沿いにある郊外型のショッピングモールで、ファストファッションの量販店や雑貨店、ドラッグストア、フードコート、スーパーなどがあり、大型駐車場が完備されている。オープン当時は週末になると、広大な平面駐車場だけでなく建物屋上の立体駐車場も満車になることも多かった。できて10年、近頃では空き店舗もちらほらある。確かに若草町の木本家からは、坂を下って住宅街を抜け国道を西進して、片道10分弱というところだ。22分では往復するだけで終わる。小田嶋がいうように、忘れ物でもして戻ったとしか考えられない。
 とまどう香山と小田嶋のようすに、樋口は一人だけ答えを知っているクイズの回答者さながら、にやにや顔を抑えきれずにいる。
「この後ですよ」
 また画面を早送りする。10分後の16時44分から再生する。しばらくするとカーポートから白のフィットがゆっくりと出てきた。カメラの時刻表示は16時46分だ。左折して門前で停車する。足早に玄関に向かう水色のオーバーブラウスの背がみえた。残念ながらカメラは車道を狙う角度になっているため、玄関口までは映っていない。
 画面右上のデジタル表示が16時49分に変わった瞬間だった。
「止めろ」
 香山がとがった声を投げる。
 玄関から続くアプローチとフィットの短いノーズの間に白髪の老人の上半身が映った。柳一郎だ。
「ズームできるか」
 うつむきかげんだが、鷲鼻で頬骨が張っているのはわかった。襟と袖口に黒い線が入ったグレーの半袖のポロシャツを着ている。遺体の服装と同じだ。ズボンは車の陰で見えない。
「柳一郎ですね」小田嶋がささやくようにもらす。
「ああ。樋口、スローで進めろ」
 柳一郎はまっすぐに車に歩み寄り後部座席に乗る。それを追うように佳代子が帽子を押さえながら小走りで戻り、門を閉めて運転席に乗るとすぐに発車した。
 樋口は画面を一時停止させ、どうだ、と言わんばかりの顔を向ける。
「失踪じゃなかったってことか」
「犯人は木本佳代子で、まちがいないっすよね」
「ああ、お手柄だ」香山は樋口の太い二の腕を叩く。
「佳代子に任同任意同行かけますか?」
 小田嶋は椅子から伸びあがって、樋口の背越しに問う。
「そうだな。明日、行くか。で、不可解ってのは?」
 映像に不審な点はなかった。
「それなんですが……」と、樋口が別のファイルをアップし、画面を早送りする。
 佳代子がテラスハウスで柳一郎を降ろし、自宅に戻れば犯行は完成する。佳代子が連れていったのであれば、鍵も佳代子が開けたことになる。任意同行に応じれば、鍵の入手方法を問い詰めよう。昨日の佳代子の聴取を脳裡に呼び戻す。柳一郎の失踪日時について、行方不明届と夫の和也との供述の違いを指摘しても、しれっとした顔で警察の対応のせいにした。よくしゃべるが、肝心なことからは話をそらす。聞きだすのはやっかいかもしれん。香山は腕を組んで天井を見上げる。
「こっからです」
 樋口の声に香山は視線をモニターに戻す。右にカーブした坂道から白い車が姿を現した。カーポートにバックで入庫する。時刻は17時21分を示していた。佳代子が柳一郎を桜台の空家に置いて戻って来たのだろう。昨日の供述でも、買い物から17時半頃に帰宅したと言っていた。
「何がおかしい?」
「時間ですよ」
「供述どおりじゃないか」
「それは、そうなんすけど。若草から桜台まで往復するには、時間が足りないんです」
「あっ」と小田嶋が小さく声をあげる。
「自宅前を発車した時刻は、何時だ?」
「16時52分です」
 樋口が手元のメモを確かめる。巨体に似合わず文字は小さい。
「戻りが17時21分ということは、往復で29分か」
「若草から桜台までなんて走ったことないんで、ルート検索で所要時間を調べたんです。片道で最短23分なんすよ」
「往復で46分か。抜け道でもあんのか?」
「それでも20分近くも短縮できないんじゃ……」小田嶋も首をかしげる。
 夕方のラッシュ時間帯前だが、高速じゃないんでスピードも出せない。ましてや住宅街に入ると、道も狭くて入り組んでいる。
「途中で柳一郎を降ろした?」
 小田嶋がためらいがちに問いを投げかける。
「そっから認知症の老人が空家を見つけるって、難しくないっすか?」
 樋口が同意を求めるように香山と小田嶋に交互に視線を走らせる。
 確かにおかしい。佳代子が柳一郎を連れ出したのはまちがいない。だが、桜台の現場に柳一郎を放置して帰宅するには時間が足りない。このヤマは見た目はごく単純なのに、足を踏み入れるごとに新たな謎が湧いてくる。気づかなければ見過ごしてしまう謎。俺たちが試されているようだ。見えているものの陰に何かがひそんでいる。
 顔をあげると、課長の後ろの壁掛け時計の短針は「8」を指していた。署に戻ってから2時間近くが経っていたのか。澱んだ頭で考えても良いことは一つもない。
「明日、Nシステムに照会をかけて白のフィットの動きを追う。併せて木本佳代子に任同を求める。それからだ。今日はここまで。帰るぞ」
 樋口の肩を叩いて、香山は立ち上がる。
「カヤさん、俺、今晩、当直っす」
「お、そうだったな」
 見上げる樋口の細い眼が真っ赤に充血していた。
「お前、まだやるつもりだろ」
 図星なのか無言だ。
「するな、とは言わん。目が真っ赤だ。てきとうに休めよ」
「樋口君、これ」小田嶋がいつのまにか温タオルを用意していた。
「気休めだけど。レンジで2分加熱して目に乗せるといいよ」
「あざっす」
「いいか、明日もあるんだ。無駄なエネルギー使うんじゃねえぞ」
 香山は樋口の胸を拳で小突くと、振り返らずに手だけ振った。
 小田嶋がボブの髪を揺らしながら、「お先です」と駆け抜けていく。
 香山も樋口も気楽な独身だが、小田嶋は確か小学生の子がいたはずだ。夕飯は作り置きでもしているんだろうか。夫は県警の警務課係長だから、刑事の職務に理解があるとはいえ、主婦で母で刑事……男の俺らにはない苦労もあるんだろう。明日、対峙するのは介護に疲れきって犯行に走った主婦か。聴取は小田嶋さんに任せたほうがいいのかもな。
 空調の切れた廊下は熱気で蒸されている。
 リノリウムの床に細い影を引いて去っていく小田嶋の背を香山は目で追いながら、ハイライトに火を点けた。

(to be continued)


第16話に続く(予定)


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