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【ミステリー小説】腐心(14)

第1話は、こちらから。
前話は、こちらから。

<前話までのあらすじ>
住宅街の空家で高齢男性の遺体が発見された。死後5日ほど経つ死体は、連日35度超えの猛暑日のなか腐っていない。腐敗しない遺体について鑑識の浅田は、ヒ素の関与をほのめかす。検視の結果、死因は吐瀉物による窒息死。死亡推定日時は7月29日ないし30日。行方不明者届の受理は7月31日。失踪状況を同居家族の次男夫婦から聴取したところ、失踪日について夫婦の供述が食い違う。未必の故意も疑われる。捜査は、香山をリーダーに樋口と小田嶋の三人で進めることになった。防犯カメラの映像で柳一郎失踪日時の確認から手をつけていると、空家の家主が来庁したと報せがあった。防カメ映像の残りは樋口にまかせ、香山と小田嶋は家主の林と現場確認に向かう。

<登場人物>
香山潤一(30)‥H県警東野署刑事課巡査部長
樋口武史(24)‥巡査・香山の部下
小田嶋裕子(33)巡査・香山の部下
浅田‥‥‥‥‥‥鑑識係員
木本柳一郎(87)‥被害者・遺体で発見
木本和也(57)‥‥被害者家族・柳一郎の次男
木本佳代子(52)‥被害者家族・和也の妻
林省吾(55)‥‥空家の所有者・東京在住

 桜台の現場に着くと、先客がいた。
 紺の作業着姿の浅田が、係員二人と床に這いつくばっているのが庭から見えた。鍵の確認は小田嶋にまかせ、香山は先にリビングにあがって浅田の背に近づく。
「どうした?」
 声をかけると、ああ、カヤさんですか、と腰を叩きながら起き上がる。
「気になることがあったんで、も一度、採取し直しとるんですわ」
「なんか出たのか?」
「ご遺体の前歯に繊維片が挟まってました」
「繊維片?」
 浅田はリビングの扉前に立っている林に目をやり、誰だと無言で問う。
「ああ、家主だ」
「じゃ、詳しくは署で」と浅田は話を畳む。
 そうだな、捜査情報が漏れては困る。よろしく、と浅田の肩を叩き、香山は二人の方に戻った。
「鍵はどうでした?」香山は林に尋ねる。
「壊れてません」
 私も確認しました、と小田嶋が付け加える。
「では、何か無くなったり、変わったりしたところがないか、各部屋の確認をお願いします」
 林について香山たちも二階にあがった。二階は南側に二室、北に一室あったが、どの部屋にもたんすや本棚などの家具が残されているくらいで、よく片付いていた。南の二部屋には古いスチールの学習机があった。陽に褪せて白くはげたシールの残痕に埃が積もっている。香山は人差し指でそれをひと拭いする。
「さっさと捨てろと、何度も言ったんですがね。物を書くのにちょうどいいと言って、私が大学で家を出たときのままですよ。スチールだから重くて。処分するにも、階段が狭いんで転倒でもされちゃ危険でしょ。で、結局、置きっぱなしです」
 ガラス戸のついた本棚には百科事典や文学全集が並んでいた。住人のいない時間の止まった部屋。蝉の抜け殻のようだと香山は思った。
 二階が済むと、一階も確認して回った。
「見た感じでは、何も盗まれてません。といっても、金目の物は一つも置いてなかったんですが。母の服も東京の家に移してますし。こういった……」と玄関の壁に掛けられている色褪せたパッチワークを指す。「不要だけど、捨てるに捨てられない物しか残してません」
「これはお母様がお作りになられた?」小田嶋が訊く。
「そうです。なんの値打ちもない素人作品。でも、母が生きてるうちは捨てるに忍びなくて。かといって、東京の家に持ち帰ると女房に嫌な顔をされますしね。この家が売れたら、まあ、そんなことは望み薄ですが。万が一売れたら、買い手さんが処分するでしょう。この家は思い出の倉庫なんですよ」
 林は口もとを歪ませながらパッチワークの壁掛けを眺めていた。
 世間では売れない家を「負動産」と一律にレッテルを貼るが、思い出を手放す痛みを抱えながら空家は朽ちていくのかもしれない。
 
 鍵は壊されたり、付け替えられたり、細工されているわけでもなかった。電話で確認すると、相葉不動産もシルバー人材センターも鍵を紛失していない。盗まれた物もなかったので、木本柳一郎が強盗犯と遭遇した線も消える。鍵のかかった空家に認知症老人がどうやって入ったかという謎だけが残った。
 現場確認が済み林を帰すと、隣接する左隣の老女を訪ねた。
 隣人の白川玉枝は83歳にしてはしっかりしていたが、聴覚が弱っており、日時に関する記憶があいまいだった。「ときどき白い車が停まっていた」というのだが、日付はもちろん「ときどき」の頻度もはっきりせず、一年前からなのか最近になってからなのかも判然としなかった。住宅街の狭い道のため、林家の向かいを訪ねた車という可能性も大いにあった。
 
「結局、収穫がありませんでしたね」
 小田嶋がハンドルを握りながら、助手席の香山を横目でうかがう。
「捜査なんてほとんどが無駄足だ。99%の無駄足を重ねてはじめて1%の真実にたどりつける……ちょっと気障か」
 香山は前を睨んでいう。
 西日がフロントガラスを射る。光が目をくらませる。明るすぎる光は周囲を隠す。見えていることの裏にひそりと隠れているものがあるはずだ。
 ――目は脳に騙されるんですよ。
 昨日、沖縄居酒屋の『てっちゃん』で浅田が泡盛のグラスを傾けながら講釈を垂れていたのを思い出した。
 目に見える光景にはすべて色がついている、と人は信じてますけどね。色を感知する神経は網膜の中心付近にしかないんですよ。つまり、視野の中心部しか色は見えてない。目の機能だけでいうと真ん中はカラーだけど、まわりはモノクロの映像なんです。周縁部の色は脳が勝手に、こんな色だろ、と判断してつけてるにすぎないんですよ。実際には見えてない色を経験則で補ってる。
 ま、つまり思い込みですな、と浅田はぐいっと泡盛を呷った。
 
 署に戻ると午後六時を回っていた。
 捜査で出払っているのか、退勤したのか、刑事課は閑散としていた。樋口の背だけが盛り上がっていた。
「お疲れ」とその肩を叩いた。
「あ、カヤさん。お疲れ様っす。待ってましたよ」
「なんか収穫があったのか」と訊くと、
「ありました。これで事件解決じゃないですかね」
 くるりと椅子を回し、得意げに鼻をふくらませる。
「犯人がわかったのか」
 樋口の肩をつかんで、その目を見据える。
「佳代子です。佳代子が柳一郎を車で連れ出してたんです」
「なんだと。行方不明は自作自演か!」
 香山は声を引き攣らせた。
 車を停めて戻ってきた小田嶋も駆け寄る。
「ただ、ちょっと動きが不可解なんすよね」
「不可解?」
 香山は小田嶋と顔を見合わせる。

(to be continued)


第15話に続く。


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