清酒発祥の地
ネットで調べると3つ出てきたのでここに記録しておく。今年、時間があるときに自分なりに解釈していきたい。
◆奈良説
正暦寺は、正暦3年(992年)に一条天皇の勅命を受けて兼俊僧正が創建した寺です。正暦寺が清酒発祥の地であることは、種々の古文書から明らかです。例えば、室町時代の酒造記である『御酒之日記』には「菩提泉」という項があり、菩提山寺(正暦寺)で造られている清酒の製造方法が詳細に記載されています。また、興福寺の僧侶によって室町時代末期から書き継がれた『多聞院日記』も、正暦寺の酒造りについて言及しています。
(参照)
◆島根説
島根は大量の銅剣、銅鐸の出土した出雲荒神谷遺跡・加茂岩倉遺跡、朝鮮半島を起源とする四隅突出墳丘墓遺跡の存在など、弥生時代に大きく発展した文化を持っています。
お酒についても日本最古の歴史書「古事記」の出雲神話に素盞鳴尊がヤマタノオロチを退治した「ヤシオリノ酒」。「出雲国風土記」でも“佐香の河内で神々が集って御厨を建てて、酒を造って酒宴を開いて…”とあります。それらを示すように出雲大社、須佐神社には、中国東北地方を起源に持つ“糜醴(びれい)”の酒が祭祀の一夜酒として、佐太神社には中国長江を起源にする“醴(ふんれい)”の酒が祭祀用として今に伝わっています。中国浙江省より伝わった“灰持酒(あくもちざけ)”は“出雲地伝酒“として発達。佐香神社に伝わる“濁酒”は奈良天平時代の酒造りによく似ています。このように島根には弥生時代から脈々と続く多様な酒づくりが伝わっています。
(参照)
◆伊丹説
その「清酒発祥の地」として、伊丹は奈良とライバル関係にあります。諸白の酒として南都諸白と伊丹諸白があり「どちらが元祖の清酒発祥なのか?」「何をもって清酒と定義付けるのか?」といろいろと議論が尽きない問題です。時代的には奈良の酒造りの技術が下ってきて、伊丹に広がったことは間違いありません。
それぞれの諸白(麹米・掛米とも白米で仕込んだお酒)の相違点を簡単に整理すると以下のようになります。
「南都諸白」=正暦寺など寺院で造られる。僧坊酒として僧侶などが酒造りに従事し、菩提酛という酒母で仕込まれるもの。
「伊丹諸白」=鴻池家など酒造業を営む商人によって造られる。摂津北部地域の酒造りの技術者や丹波杜氏ら酒造りの職人集団が従事し、生酛造りが特徴。
ざっくりと分類すれば、奈良の酒は「お坊さんの酒」、伊丹の酒は「商人の酒」といえるでしょう。つまり、それまでお寺や神社の行事など特別な機会で飲まれたお酒が、いよいよ庶民の日常に広がってきたという、時代の変遷を見出すことができます。
(参照)
古代の文化が栄えた奈良、奈良県民としての感情論もある。
伊丹→灘に引き継がれているといわれると、灘のお酒って有名だしなぁ~
島根には出雲大社あるしなぁ~
そういえばヤマタノオロチの話で最後にお酒を飲まして酔わして退治してたし、昨日神社の社格を調べていいたときに出雲大社だけが「おおやしろ」とよみ特別な神社って話もあったり。
で、どれもそれっぽい。
各記事を読んで、伊丹説の説明が面白かった。
奈良の酒は「お坊さんの酒」、伊丹の酒は「商人の酒」
のところ
普及させることによって人々を豊かにする、という意味では、技術の話に通じるものがあるなぁと感じた。
日本酒のテーマって思っていたより面白そう。人生の後半に取り組むテーマとして、自分の趣味加えることにします。
日経新聞にも記事が出ていました。
他に参考にしたHPも追記しておきます。
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