見出し画像

深夜(00:06)(矢代)

とりあえず一つあるでっかい感想は、「新人訓練したことないけど、新人訓練だなあ~っていう感じがした!」です。

ていうのは、すっごく頭を使っているという感じが毎日したからです。

音楽聞きながら歩くのが好きなんですけど、歩いているとぐるぐる考え事が進んでいって、で、考え事がヒートアップすればするほど頭が熱く重くなる感じがあって、家に帰ってタンブラー3杯くらい一気に水を飲むっていうところまでセットで、結構好きなんですけど、(それは今どうでもよくて、)

手塚さんのワークショップ中は、その三か月に一回くらいしかない頭の熱さ重さがあって、それは、私が実験に選んだテーマが私にとって重いことだったからなのもあると思うんですけど、

そのテーマっていうのは、 

向かい合うことと同じ方向を見ること 

の違いでした。


私はラブソングを聴くのが結構好きです。
結構っていうのは、ラブソングで歌われている関係性が理解できないわりに結構、という意味です。
理解できない、っていうのは、そんなに恋愛にすべてを懸けられるか?という疑問がいつもよぎってしまうからです。 他の生活の中にあるいろんなもの  仕事とか友人とか家族とか  と同じように、生活を損なわずに存在させるっていうことができなくなるくらい、喧嘩したり自分も失いながら傷つけたり、するのが何かすごく美しいものみたいに描かれているのが、解せないけど、私が理解してないだけでそれがわかったらもっと何か良くなる        
  (世界の見え方とか?)のではないかっていう気もしていて。

そういう私の理解できないコミュニケーションを知るような企みだったんですけど、
ワークショップは、それ自体が、
人と違うっていうことを確かめるみたいな時間でした。

一日目の身体の地図をつくるのとか、他人の言葉が身体にどう反応を及ぼすか、とか、実験とか、
私が考えたことを他人に実践してもらうと、意外と思ったようなことは起こらなくて、するまでは勝手にこうなるんだろうなって結論を出して勝手に絶望していたりもしたけれど、意外とそうでもないことが本当に多くて、いつも自分のイメージを、ひとりの想像を超えてくるものでした。

だからこれを通して、一人では行けなかったようなゴール?に行けた?ような、
それは、思いもよらないゴールで、意外とすごく近くにあった気もするけれど、一人だったらずっと遠くばかりを探していたんじゃないかっていうようなこたえでした。 

あと、人と話すのが自然にできるようになった気がしました。
ワークショップはコミュニケーションっていうのりもので進んでいて、だから話すこととかオープンになることへのためらいがだんだん薄くなっていって、それは、そこには素直に言ってもいいような感じとか、いろんなことを自由に感じてもいいような柔らかさがあったからだと思います。で、それがコミュニケーションそれ自体が楽しいものであることを思い出させてくれて、というか忘れさせないでくれて、ワークショップの最後の日に美容院に行ったら、シャンプー中の会話が苦痛じゃなくて、びっくりしました。美容師さんのおかげでもあると思うけれど楽しもうとしていた私がいました。


いいなと思ったら応援しよう!