新人訓練①:実験づくり(中西)
もんサー(ひとりでできるもんサークル)の新人訓練をしました。
これはその記録のひとつめです。
7/31:体の観察
・自分の体で気になるところを観察する。それをイラストに起こして、名前をつける。
→ 図像の様子も、体の切り分け方も、みんな違う。見たり聞いたりしたところで、全然わからない。
・矛盾する指示を体に与えて、やってみる。その瞬間の体を観察する。
→ 全然できない。「座りながら寝る」とかやってみても、体がただ止まる。そういう反応ではあるか……。とにかく全然わからない。ただ、このわからなさはよく覚えている。
・体の中で意識する箇所を色々変えながら、向き合って歩いて近づく。
→ 頭・胸・腹など、意識を置く箇所を変えることで、人は「どんな風に怖いか」が変わる。
・同じ動作を続けながら、投げかけられた言葉を受けて自分の体のイメージを変える。
→ はじめは言葉を基にした視覚イメージがぽんぽん出てその中を泳ぐような感じになる。これでは視界の中心である自分の体は変わっていない、と感じたが、そこからどうすればいいかはよくわからない。
8/3:実験づくり①
持ち込んだ問いは以下。
相手の要求に対して100%の受諾でも拒否でもない瞬間の反応は如何にして可能か
この日の実験内容は以下。
① 参加者全員で輪になって、右隣の人を確認。
② その右隣の人に絶対断られるお願いを考える。
③ 全員で一度部屋の外に出てから、二人だけで広い部屋に入り、考えたお願いを伝える。伝えられた人は何らか反応する。
④ お願いした方が外へ出て、次の人が部屋に入る。いま入った人がお願いされる側に、先ほどお願いされた人が今度はお願いする側になり、③と同じことをする。
⑤ 一周するまで繰り返す。
得られたことは以下。
・二人きりという設定が、場を劇的にする
・絶対拒否するような要求で、笑ってしまうことがある
・要求する側の必死さが、聞く方の姿勢を変える
・お願いされて「叶えてあげよう」という検討に入るには、実際の関係性が相当に必要
→ 受諾/拒否の葛藤が生じた人はほぼいなかった
・やり取りというよりも、言われてすぐの反応を観察したい
8/4:実験づくり②
持ち込んだ問いは同じ。
この日の実験内容は以下。
① 二人一組になり、お願いする役/される役を決めてもらう
② お願いする側には次の指示を与える
:頼み事は「2週間家に泊めてほしい」で固定(理由は頼みを聞いてもらえるようにカスタマイズしてよい)
③ お願いされる側には次の指示を与える
:聞く前には「叶えてあげよう」と思っているという状態でいてから、聞くし、断らないようにする
④ 全員で一度部屋の外に出てから、二人だけで狭い部屋に入り、対面してやり取りをする。このとき、質問と最初の応答だけで終わりとし、様子を観察する。
得られたことは以下。
・拒否を必ず生むようなお願いを設定するのは困難
(社会的に確実に断るべきお願いは強い不快感に繋がる)
(家に人を泊めるのが嫌じゃない人も結構いる)
↑これはこれで驚きだった
・関心は、自分が上手く反応したいということにある
→ 人による反応の違いを見るというより、自分でやってみる方がいいのでは?
8/5:実験づくり③
持ち込んだ問いは同じ。
この日の実験内容は以下。
① 参加者全員に、中西に対して「断られそうなお願い」を考えてもらう。その際、(初対面も含め)関係性を踏まえた内容にしてもらう。
② 全員で一度部屋の外に出てから、中西と質問者だけで狭い部屋に入り、対面してやり取りをする。このとき、質問と最初の応答だけで終わりとし、中西の返答は必ず「明日のお返事でも良いですか?」とする。
③ やり取りした時の中西の反応から、お願いが通りそうな程度をどのように受け取ったか、共有してもらう(イケそう/無理そう/判断つかない)
得られたことは以下。
・お願いが通りそうな程度の印象は数的にちょうど三分割され、しかもその結果は実際に中西が感じていた「イケる/無理/わからない」の体感とほぼ一致していた
→ 演技としては失敗している、正直な反応が出て受け取られている
・驚いたり揺さぶられている様子を見せると、「イケそう」と感じさせる
・イメージがあまり湧いていなさそうだったり深く考える様子が無かったりすると、「無理そう」と感じさせる
全体を終えて
・どうにも果てしなくわからないことがあることが辛うじてわかった。
・やってみるとわかることの予想の付かなさに驚いた(感動もストレスもある)。思考実験が如何に頼りにならないかわかった。
・自分が自分でも予想が出来ない動きをして自分を困らせる、みたいなことが多いと自分を分析してきたが、それも大変面白いことがわかった。
・一方で、自分にも予想出来ない自分の動きは出そうと思っただけでは案外出なくて、引き出すにはそれなりの手続きや「まあいいや、エイヤッ」という契機の気持ちが要ることもわかった。
・つまり、自分で予想出来ない動きが自然と出てしまっている時に起こっている(起こせている)何かがあるかもしれない。それはなんだ?(←問い)
・他人の実験に参加するのがとても楽しかった。その人が考えていることについて「なんだあ?マジで何言ってるのかわからねえ~」となっていても、やってみるとなんだか面白いしわかったような気もしてくる。反対に「その関心わかります~」となっていても実験を経て「なんかようわからんくなったな」ということもある。
・他人の実験に乗ることで、自分の実験が変わる。それは問い立ての面でも、具体的な方法の面でもそうである。
・自分で考えている自分の問いや自分の実験は、大抵自分が普段使いする視界にある死角を保存しているので、人とやると良い。
・実験をやることは気軽でいいが、すっごく疲れる。とにかく負わずに、起こったことをひたと観察することでやっと継続できることだと思う。しかし負わすに継続するには、実験をやってみる必要がある……。追い込まれた。