上を向くと涙もろくなる [0803日記]
友人と、少し遠くまで花火を見に行った。彼女と知り合ったのは16歳の時で、私が留学して学年が下がっても、大学進学で京都へ越しても、付かず離れず仲が続いた。趣味がかちりと合うわけでもないのに、一緒にいる時の居心地のよさは何だろうと不思議だった。待ち合わせをしていた、会場最寄り駅まで一駅のところでわかった。腹を割っておならの話をしたことがあるからだ。
いつかに彼女と通話していた時、人と旅行中はおならを我慢してしまうよねと話していた。どちらが言ったかはもう思い出せない。
「我慢したおならって、けっきょくお腹の中でおならみたいな音で鳴る」
長年思っていたことが、はじめて明確な言葉となって口から出てきて、ふたりでゲラゲラ笑った。彼女にならもう何を話しても大丈夫、何があっても最後はふたり笑っていたいと清々しかった。
会場に着く頃には、試し打ちの花火がぼこぼこと派手に放たれていた。予告なしにかなり大きな音がして、面食らう。練習なし一発勝負の花火の方が怖いかもと、気持ちを落ち着かせて開始を待った。
90分間、とにかくド派手に乱れ打ちが続いた。輪郭がくっきりと大きな花火が打ち上がると周りから自然と湧いてくる拍手を聞いていると、しらしらと散ってゆく火花を見ていると、涙が出てきた。年々涙もろくなっている。それでも中盤に入ると、ありがたみが薄れてきた。脳内でフジファブリック「若者のすべて」を流すオプションをつけて、勝手に新人花火職人の奮闘する姿を想像してみる。生んでいない、育てていない、存在しない子どもが夏空に集大成を描く。視界がじわりと滲んできて、慌てて友人の方を見ると同じ顔をして上空を見つめていた。彼女と来てよかった。
明日からはもう秋でいい。
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