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小川 哲氏 無力な人にできること

新聞の片付けの続きをしていたら、
小川哲さんの寄稿記事が出てきました。

 この前、直木賞を受賞したとの報道がありました。
「地図と拳」

小川さんの記事を取っていたなんて、私って先見の明があるわ。

  いえ、元旦の新聞からの続きで、
「覚悟の時代に」というシリーズだったから取っていたわけで。

 昨日の読書欄に、新作「君のクイズ」も載っていて、
注目の人です。

  さて、1月7日(土) 朝刊  小川 哲氏の寄稿
  「不確実な未来に向き合う」
「災害書くとき
過去と現代を見る
 人類の普遍性を探る」です。

【内容を要約】
・新型コロナが流行して、カミュの「ペスト」がベストセラーになった。
・そこには感染症に直面した人類の普遍性が描かれている。
・しかし、これからの生活がどうなるかは誰にもわからない。作家にも予測できない。
・作家の仕事は、過去と現代から切実な問題を取り出して読者に届けることにある。


(ここから著書「地図と拳」が出てくる)
・この本は満州が舞台
・「地図」とは国家、領土、建築物のこと
・「拳」とはそれらで行使される暴力、つまり「戦争」のこと。
・作品の大きなテーマの一つが「なぜ日本は中国やアメリカと戦争をしたのか」

・感染症も戦争もそれまで築きあげてきたシステムや信頼関係を壊してしまう。
 分断を目の前にして、作家に何ができるか頭を抱えてしまう。


  まだ途中なのですが、ここから感想を含めて書いてみたいと思います。

小川氏は「災害の危機が迫ったとき、作家は無力だ」と言います。
一つは「人々の役に立つ」という点において。傷ついた人を治すことはできない。
もう一つは、傷ついた人の前に立つことも難しい。

  では、自分にできることは何か。
作家にできること、それは「災害」の中に比喩、つまり普遍性を見つけること。
それも何十年も経ってから。

 作家というのも比喩で、「災害」に対して無力な人すべての人のこと。

 そしてここからがまとめに入っていきます。

自分たちにできることはしっかりと「見る」ことだと言っています。

 問題を解決することはできないけど、「見る」ことはできる。
歴史は必ず繰り返される。その時に慌てない。
なぜならその未来を「見てきた」から。

 最後の文章を引用します。

 過去と現代を「見る」ことで、不確実な未来を想像する-----
それこそが、無力な僕たちにできることなのではないか。
 
 【要約・引用は終わり】

【私】
 きっとよくわかっていないけど納得がいきました。
そこに人類の歴史もあって、重厚な文章だと思いました。


 新型コロナ、ペスト、戦争、災害・・・
そんな災害を前にして、多くの人は無力。

 そんな無力な人々も「見る」ことはできる。
この「見る」というのも、ただの「見る」ではない。

 ここはもう一回書いてみます。
「今、何が起こっているのか。自分は何を恐れ、何に傷ついているのか、
自分以外のどういう人が困っているのか、彼らを困らせている原因は何か」
これらを見ること。

 それは簡単なことではないように思いました。

 災害に翻弄されているけれど
「大事なことはしっかりと見ていこう」
と言われているような気がしました。

 「無力であること」
これは謙虚であることの表われでもあると思いました。
権力を持っていないけど、無力であってもできることはある。

 
 反対に力を持って行使できる人、
その人々にはその力を間違えずに使ってほしい。
そんなことも考えました。


 いつものことですが、
 元記事を読んでいない人には、読んでいても
なんのこっちゃわからないですよね。
すみません。

 感想だけにしておいたら良いのに。
まとめようとするからおかしくなる。

 
 でも、作家ってやはりスゴイですね。
 小川氏の著書「地図と拳」
きっと壮大なスケールの小説と思います。(もちろん読んでないけど)
600ページだそうです。

巻頭写真は、夜明け前。我が家の2階から。

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