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高石ともや 81歳の年忘れコンサート

最後の年忘れコンサート

今日は高石ともやさんの年忘れコンサートへ。
ともやさんは「推し」という範疇では収まらない。
勝手に、時代をくぐり抜けてきた「同志」と思っています。本当に勝手に。

 1941年、北海道生まれ。
日本のフォークソングを引っ張ってきた人です。
スーパーマラソンランナーとしても知られています。

 年忘れコンサートはいつも12月29日なんです。
仕事納めが29日で、結局去年は行けず。
今年は「行こっ!」と思ってローソンチケットで買いました。
買った後で、今年で最後と知ったのです。買ってよかった。

 今日は半日仕事をしてから向かいました。
サンケイホールブリーゼ。
何回も来たことがありましたが、ちょっと不安でした。でも大丈夫。たどり着きました。

 1階のP列。最も端っこの席です。でもよく見えた。
始まりました。
まず感じたのが、音響の良さ。
いやあ、ともやさん、声がやはりいい。本当にいい声なんです。80歳と思えない。
声量もあり、豊潤な声というか、コーラスも入ると本当に気持ちがいい。
やはり良いホールというのも関係するのだなあと思いました。


 1部はともやさんと、クラリネットの方といつものバンジョー・ギターの坂本氏とベースの河合氏。
「なんだか雰囲気が変わってきている」と今の世の中を危惧し、
平和を願う歌や懐かしいや歌をたくさん歌ってくれました。

 1941年、真珠湾攻撃の次に日に生まれ、戦中戦後にひもじい経験をしてきたと言います。

「さすらい人の子守歌」「丘の上の校舎」「谷間の虹」

そして「ベトナムの空」という歌を歌ってくれた時です。

「母の笑顔を置いて戦場にやってきた」
「ベトナムの空も日本の空も同じ空」という歌です。
「これを歌うと、その場の雰囲気がガラッと変わって、泣く人が出る」
と言われていました。

 そして私も本当に涙が出てきたのです。
なんでだろう。

 「拝啓大統領殿」「死んだ男の残したものは」はよく聞いた歌です。

2部はなぎら健一登場
 

 2部はゲストのなぎら健一さんから始まりました。
なぎらさんはさすがに本当に歌が上手い。
「ヨイトマケの歌」で泣かせます。

くすっと笑わせるMCもさすが。

 本をいくつも書いているそうですが、
Youtubeで、フォークソングの歴史のような講義をしているのを見ました。
博識です。

 一緒にセッション。
「春を待つ少女」など。

 アンコールというか、坂本さんから「今のが最後の曲なんですが」とツッコまれて、
もう流れで締めの歌が始まり、「思い出の赤いヤッケ」「陽気にいこう」「ヘイヘイヘイ」

 最後にサンケイホールからの花束贈呈。記念撮影もありました。

 47年間続いたそうです。
ロビーにポスターがずらりと貼られていました。
毎年毎年ですから、大変なものです。
私は何回来たのだろう。

 ある年はサイン会があって、一緒に写真を撮っていただきました。宝物だ。

 ホームページにともやさんの言葉が載っていました。
「毎年、前のコンサートを越えよう越えようと思ってやってきました」

 そうなんだ。
歌手は毎年同じ事をして、ヒット曲とか定番の曲とか歌っていても何とかなる。
でも、そうじゃない。
毎年、前のと違うものを、越えるものを作ろうとする。

 それがプロなんだな、と思いました。

私がなぜともやさんに惹かれるのか


 その一つが人柄です。
その柔和な笑顔。怒ったことがないのではないかと思わせる優しい笑顔。
控えめで穏やかです。

 その人柄が、たくさんの人とつながっています。
今日は灰谷健次郎さん、桂米朝さんの話が出ました。

 その他欠かせないのが永六輔さん。
京都の宵々山コンサートには、必ずお二人の姿がありました。

 笠木透さんも、永さんも亡くなってしまいましたが、
永さんに「歌い続けてよ」と言われたそうです。


 二つ目がその歌の素晴らしさ。
①で書いたように、フォークソングの先駆けです。
歌い切れないほどたくさんの歌を作り、歌ってきました。
アメリカなどのフォークソングの曲を日本語に訳して歌うこともしています。

 それらを魅力的な声で歌っています。
81歳でも(何回も言っていますね)あれだけ素晴らしい声が出るんだ。

 そうですね。ともやさん、体を鍛えているもの。
姿勢が良いし。
ホノルルマラソンにまだまだ挑戦しているのだからすごい!

 三つめが主張の確かさです。
反戦フォークソングもたくさん歌っています。
ともやさんのコンサートはお話に感銘を受けることが多いです。
言葉をとても大事にされています。
 歌自体も語りのようです。メロディー端折る時があるくらい。

 前は一年を振り返って語る歌を作って披露してくれていました。
それが楽しみだったな。この頃はない。

 年忘れが近づくと、おはようパーソナリティにゲストに出て、
道上さんがゲストでコンサートに出たこともあったっけ。
おはパソの歌を作った。『新しい朝」です。


 さすがに年を取ったなと思うところもあります。
後姿の髪が薄くなりました。・・・あ!失礼しました。

 コンサートが終わった後、エスカレーターで降りながら、
近くにいた中年の方が、「コード間違えていたな」「3番歌って2番になるとかね」
「でもそうなるんだろうね」
と話をしているのが聞こえました。

 いいんです。
ともやさんにはそのまま歌っていてほしい。
好々爺のような笑顔と変わらない歌声で。

 
 年忘れコンサートは終わりだけど、
音楽活動は続けるそうです。

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