朝日新聞「be」から考えたこと
4月2日土曜日。
3月と書きかけました。時間や日にちにいつも置いていかれます。
朝日新聞の土曜日版、いつものbeが20周年だそうです。
特集が組まれています。
Beにはお世話になっていて、よくここに書かせていただきました。
私が印象的だったことをブログに書いていますが、
今日はnoteにも載せてみようと思います。
noteでは一気載せだあ。
目次
1、フロントランナー
2、数独は難しいですか?
3、最期まで役割を持って
4、グルーヴって何?
1.フロントランナー
一面は総集編のように、フロントランナーに登場された方々の写真。
みな見覚えがあります。
そして草間彌生さん。前衛芸術家という肩書ですが、そうなのか。 その言葉は、「アイデアは描いているうちにじゃんじゃん出てくるの・・・何も考えなくてぱーっと描いて後からこういうことを考えていたんだと気づく・・・どんな思想で描いているんですかと尋ねられるけど、手に聞いて下さいと答えています(意訳)」 そう、この「手に聞いて下さい」という言葉をブログで紹介した気がします。
信念を持って活動し続ける人々に光を当てる「フロントランナー」のコーナー。 Beモニターの皆さんの振り返りの言葉も載っています。「特に大きな夢やロマンを感じ、ある時は大きな問題を投げかけられ、 毎回いろいろな思いで読んでいます」など。 同感でした。
おなじみの著名人がのぞかせる素顔や、地域や底辺で頑張っておられる人々。考えさせられることが多いです。 とにかく「知る」ことが楽しいことでした。
2、数独は難しいですか?
「フロントランナー」の次は「はじまりを歩く」
これ2面ぶち抜きです。
よく読むのと眺めるだけのもあります。
今日は「数独」
はじまりは東京都だそうです。
実は私はやったことがありません。
苦手かも、と思って一度も挑戦していないのです。
数独は亡き父がよく楽しんでいたので、
それで取り上げました。
ただそれだけです。
父は几帳面な性格で、
と前にも書いたことがあると思いますが、
カレンダーにはその日の目印のシールを貼り付けて毎日移動させ、
予定をきっちりと書いていました。
薬を飲んだかどうかの記録の印も、
本人しかわからない方法で、
薬袋には赤い丸がたくさん付いていました。
性格がまるっきり反対で
おおざっぱな私には考えられない。
目薬は今一日1回になりましたが、
回数が多かった時も記録はつけず、
いつも「あれ?差したっけ」と悩んでいました。
(それなら付けなさいと陰の声)
数独も父の性に合っていたのでしょうね。
いちどやってみようかしら。
ちなみにクロスワードパズルはします。
(やはり言葉の人か・・・自己満足)
今、夫に聞いてみました。
「数独?」とそれ自体知りませんでした。
「やらない」そうです。
私とどっこいどっこいの
いや私より「じゃまくさい」性格では無理でしょうか。
3、最期まで役割を持って
「それぞれの最終楽章」は仕事に関係していることもあり
毎回読んでいます。
今のシリーズは今日で最後なのですが
小規模介護施設「あおいけあ」の加藤忠相さん。
「あおいけあ」での看取りについて書いて下さっていました。
加藤さんは言います。
「看取りといっても、最期の点だけではなく、
それまでの『生き生きとした人生』があるからこその幸せな看取りがある」
【要約】
・以前勤めていた特養では、入浴など決まった時間に決まったことをさせられていた。職員もマニュアルでガチガチに管理されていた。
・これは違うと思い、「あおいけあ」を立ち上げた。
・気をつけているのは、入居者の役割や生きがいを引き出すこと
・認知症だから何ももできないわけではない。現役時代の技がある
・例えば家具を治す、アジをさばく、好きな人のためにマフラーを編む・・・
加藤さんは「お年寄りは介護される存在ではなく、地域の社会資源」と言います。
介護保険法ができて、介護職の仕事は「療養上の世話」ではなく、
「自立の支援」にフルモデルチェンジした、と。
加藤さんの施設では「ねばらないもの」はなく、
「何がじいちゃん、ばあちゃんにとって幸せか?」
それが唯一の基準だと言っています。
記事の紹介はここまでです。
記事にあった「自立の支援」
ここは大事なところです。
介護は「自立支援」なのです。
まだまだ知られていません。
介護職は「下の世話もする大変な仕事」ではあるのですが、
「世話」ではなく、
いかにその人の力を発揮して、自分のできるところを行なっていくか
その人の望みを叶え、
その人らしく生きることの伴走をする専門職であるのです。
現実にはまだまだ難しいこともあります。
介護職も専門職としてやりたいけれど組織とのはざまで
ジレンマを抱えている人もいるでしょう。
その計画を立てる私の仕事も、追いついてはいません。
でも、目指すところはそこにあるはずです。
加藤さんの記事は大事なことを伝えて下さっています。
でも、でも、そこでちょっと思うのです。
「加藤さんのような施設に入ることのできるお年寄りは幸せだ」と。
言ってみれば選ばれた人たちです。
どこで人生の最終章を過ごすかは、それぞれの事情があります。
多くは経済的な問題です。
特養に入ることができるのも限られた人たちです。
最期まで自宅で暮らしたいと願ってその通りになる人もいれば
仕方なく在宅しかない人もいます。
介護職の不足も深刻になっています。
どうか、1人ひとりのお年寄りが大事にされる世の中でありますように。
こんなに書くつもりはなかったのだけど、
書いているうちに熱くなってしまいました。
すみません。
4、グルーヴって何?
ああ、もう終わるはずでした。
もう一個。書こうと思ったので記しておきます。
9面 「書きかけの・・・」
作詞家 松本隆さんのエッセイ。
松本隆さんは作詞家の前は、はっぴいえんどのドラマーでした。
はっぴいえんどは松本さんと細野晴臣さん、鈴木茂さんのバンドです。
昨年11月に開かれた「風街オデッセイ2021」という公演の中で、
はっぴいえんどが復活し演奏を行ったそうです。
その中で細野さんのベースと松本さんのドラムがカチッと合って
「ものすごく良いグルーブが生まれた」とあります。
「グルーヴ」って何?と思いました
聞いたことはあるのです。グルー「プ」でないことは確か。
ネットで調べてみました。
いろいろ見ると、はっきりした定義はないそうで
Whikipedjaでは
「語源は(アナログ)レコード盤の音楽を記録した溝を指す言葉で
波、うねりの感じから・・・〔後略〕」
とか書いていました。
「ある種の高揚感」「ノリの良さ」「一体感」とかと書いているのもあります。
バンドなのでそのあたりから、とある解説より。
・基本的にリズムというのは一定の周期をそれぞれの演奏者が感じながら演奏する時の目安になる指針です
・演奏者がみんなその1点に向かって同時に演奏することによりリズムが合ってきます
・この打点というのはプロ奏者でも0.001秒とか必ずズレます
・しかし、このジャストには絶対ならない微妙なズレがグルーブ
と呼ばれる打ち込みでは出せないリズムになります
・人間らしさがグルーブとして表現されるということです
・微妙なズレは間違いではなくむしろ人が感じる気持ちよいリズムやノリになります
「まとめますと、グルーブというのは抽象的な概念ではありますが、演奏する人たちによって目的の打点から微妙なズレでできるリズムをグルーブと理解しておきましょう」
とのことです。
ああしんど。
以上解説終わり。
松本さんが感じたグルーブがどれなのかわかりません。
でも、その時松本・細野のグルーブに茂のギターが止まらなくなり、
「これ、いつ終わるんだろう、どうするんだろう」となったそうです。
茂の気の済むまでやってもらおうと思いながら
ドラムを叩いていると、
会場の武道館の場内に渦が見えた。
出演者も客席も、みんなが和気あいあいと、
ひとつの輪になっていた。
そこにいるみんながそれぞれに人生の山も谷も通過し、
今この場所にいるーそんな半世紀の蓄積が見せてくれた渦だったのかもしれない。
そう書いています。
これってとても幸せな感覚だったでしょうね。
特に音楽に携わってきた人にとっては。
これと同じようなことを宮本浩次が言っていたように思います。
公演の時に、関わってくれていた人たちがすべてまとまって1つの場所を作っていた、とそんなことを。
それと、ライブの映像を見ていると、曲の最後のほうで、バンドの演奏がいつ終わるのかと思う時があります。
ジャズのセッションのように、
その時のノリとか演奏者同士のやり取りとかでずっと続いていく。
でも、最後はピタッと終わるのです。
気持ちいい!
宮本浩次がたびたび出くるのはお許しください。
まだ沼から這い出ていないので。
そして今、同じ武道館で行われた、
エレファントカシマシの2022新春ライブの録画を少しずつみているところなので。
すみません。
これで今日の「私のbe」は終わりです。
あと、本誌は今日はもう無理。
新聞を読む時間は平日は限られていて、
読めてはいないのですが、
印象に残ったことや考えたことは残しておきたくて
「新聞より」を書いています。
これからも時間がある時は続けようと思っています。
中身は「あ、こ
れ知ってる!」とか
「あ、ここ行った!」とか単純なものですけどね。
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