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ドキュメントは時には重たくて

録画していたドキュメントを見た。
「死刑囚の子~殺された母と、殺した父へ」

ちょっと重たかった。
でも、書いてみたい。迷いつつ投稿。
(しんどくなりそうな方は、どうぞスルーして下さいね)


我が家のアジサイ


12歳の時に、母親が父親に殺された。

母親が最期にひとり息子の自分の名前を呼んだと聞いて
母親を守れなかったとカメラの前で号泣する。

父親に死刑の判決が出た。

「死刑囚の子」として生きることは厳しい。

就職も、風俗とかしかない。
SNSで発信したら、誹謗中傷。

父親に対する気持ちも複雑だ。
面会で恨みつらみをぶつけるつもりが、弱り切った父親の姿に気持ちが揺らぐ。

父親を認めたら、今度は自分に刃を向けることになる。

父親から届くたくさんの手紙。
息子に、「元気か」と気遣う。思い出を語る。
面会も何回も行った。父親は「申し訳なかった」と泣いて謝る。

息子はここから進むために(たぶんそうだったと思う)父親の手紙を全部焼いてしまう。


父親からの手紙は一度途絶えるが、二年ぶりに届く。
手紙を読めば、愛着が戻り、面会にも行きたくなるかもしれない。会えば傷つく。

息子は逡巡する。
悩んだ末に、「読まない」という決意をする。

父親の、不安定な精神状態を察した息子は、法務大臣宛に手紙を書く。
「いつ刑が執行されるかという状況が長く続き、父親の精神はすっかり参っている。刑が確定しているなら、早く執行してあげてほしい」


ここで私は唸ってしまった。
そうくるか。

確かに、刑が確定してから13年がたっている。異例の長さだ。その気持ちたるや、容易に想像できる。袴田事件の袴田さんも、精神を病んでしまった。

日本では、ここ2年間、死刑は執行されていない。
死刑囚の気持ちは言うまでもないが、息子も毎朝「今日か」と思って起きると言っていた。
でも、執行を願う手紙を書くだろうか。

公民館の前で


息子さんは表情が固い。

とても率直に自分の気持ちを話してくださっているのだが、どことなく目が暗いと思った。厳しい社会を相手にしていたら、そんな表情になるのかと思いながら見ていた。

その表情が途中で和らぐ時があったのだ。構えているような固さがなくなって、表情が軟らかくなっていた。

優しい人なのだと思う。
優しいから、死刑囚の父親との関わり方に悩む。


「自分には父親にはいない。こんな人は父親ではない」と、縁を切って生きることもできる(はず)。

優しいから、真面目だから、弱ってしまった父親の気持ちを慮って、「刑を執行してあげてください」と直訴したのか。


補足:
今、新聞で「毒親」について連載している。そこには、親を切り離すことで、とても楽になった、人生を取り戻したという話があった。それも間違いない選択肢だと思う。どんなことも一概には言えない。どちらも否定しない。さっき、「優しくて、真面目なのだろう」とか書いたから、自分で引っかかった。



事件は少しも言い訳できない。
息子さんも、「命をもって償ってほしい」という気持ちに変わりはない。

「死刑囚の子」というラベルが一生ついて回るのであれば、それは社会の問題だと思う。


死刑制度が、あれこれ論議されていることも含めて、いろいろと重たかった。

ちょっとホッとしたのは、「事件が起こるまでは、家族3人の生活は幸せな日々だったとわかって嬉しかった(大意)」と息子さんが言っていたことだ。

どれだけの思いを抱えて生きてきたのだろう。
そして、今後同じような事が起こらないように「結婚の機会を減らすために入れ墨を彫った」という彼のこれからを思う。



*番組を一回見ただけの、個人的な感想です。

*ヘッダ-お借りしました。
砂時計。NNNドキュメントのオープニングのイメージ。


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