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「はじめての利他学」若松英輔著を読みました
昨日買ってきた「はじめての利他学」
今日読むと宣言したので、午後から読み始めました。
いやあ、読み終わってなぜか泣けてきました。なぜ泣いたのでしょう。
なんでだろう。何かが私の心に届いて揺らしたのですね。
これをまとめようとすると、ちょっと大変ですが
できるところまでやってみたいと思います。
本の構成はこうです。
第0章 なぜ今、「利他」なのか
第1章 利他のはじまり
第2章 「利」とは何か
第3章 「利他を生きた人たち」
第4章 利他のための自己愛
でも、この通りには書いていません。
途中で休憩付きです。
では、始めます。
★は文中から、【私】は私の感想、コメントです
☆第0章~第2章 意外と難しい?仏教だもの。
この本は若松英輔さんのTwitterで知りました。
「利他学」という言葉が以前から気になっていたのです。
単純に「自分のことじゃなくて他人のことを考えること」
と思っていました。
2時間で読めるというからもっと簡単かと思ったら
いきなり、最澄とか空海とか仏教の話が出てきます。
空海が「利他」という言葉を始めて使っています。
「自利利他」(じりりた)と書いています。
利己の対義語ではありません。
「利他」は「自利」とは切っても切れない関係。
★日本における「利他」の本質とは、
自分と他者が深くつながること。
★西洋ではどうか
哲学者アラン(フランス)
「利他主義はエゴイズムの反対。
自分本意ではなく、他者本位のあり方」
「単に他人のことを思うのではなく、
他者の立場に立ち、判断し、行動すること」
★日本的「利他」の起源
・最澄にとって、自分の幸せはすべての「いのち」とともにある幸せでる。
・苦しみは耐え難いが、意味があるなら苦しむものの傍らにいたい。
これが最澄にとっての「利他」
・弁永「菩提心とは、聖なるものに気が付くことと
同時に他者を自らのごとく愛すること」
【私】ここでちょっと感想
ここら辺は仏教の話で難しいのですが、
どちらにせよ「他人と自分は切り離せない」ということを言っているようです。
それと「苦しむ人の傍らにいる」とか
「他者の苦しみを自分のものとして」とか
福祉の話にもなりそうです。
★今度は曹洞宗の道元が出てきます。
・菩提心を働かせる営みの中に「愛語」がある。
愛語とは人々を見て慈しみの心を起こし愛情あふれる言葉によって接する。
愛護を発すると受け取る人を喜ばせる。これは「利他」
・利他という言葉はわかりにくいが
頭で理解しようとせず、生きて経験されることが大事。
「頭で考えるのではなく、生きながら深めよ」
【私】頭で理解する前に動いて確かめろ、ということですね。
やっとここで第0章~第2章です。
これ、続けて行くのでしょうか。
ま、ここで一旦休憩です。
第2章の続き 今度は儒教・論語
★今度は儒教が出てきます。
孔子、孟子、論語です。
仁とは何かというところで、「論語」の中の話です。
「仁とは何ですか?と弟子が問う。
先生は答える「人を愛することだ」
「それならば、知とは何ですか?」と弟子が聞き返すと
先生はこう答えた「人を知ることだ」
「仁」とは「慈」と近いものだそうです。
人を愛することで仁を知る。そして人間を知り、真の知に目覚める。
この順番が大事とのことです。
★菩提心を開花させるために
(1)努めてなすべきこと・・・ここが響きましたので引用させてください。
①恭・・・謙虚で威張らないこと。いつも誰かに学ぼうとすること
②寛・・・許す心持ちでいること。おおらかであること
③信・・・信用されること。誠実であること
④敏・・・人の心の動きを捉えることに繊細であること。
⑤恵・・・慈しみ深くあること、賢くあること
【私】いやあ、反省しました。
そしてこの5つの行動規範と仁は手のひらと指の関係で
5本すべてを同時に動かすことはできなくても
一本ずつならできるかもしれないし、
一本動かしたら他のも動きだすかもしれないとのことです。
★(2)努めてしないこともあります。
それは「子の曰く、巧言令色、鮮なし(すくなし)仁。
巧みな言葉、表情を作ってその場を取り繕っても仁ははたらかない。
【私】よく聞きますが、これも言葉を生業としている私として
耳が痛いです。
では、また一旦休憩です。
第3章 利他を生きた人たち
ここにはやはり「知ることより、経験すること」と書いているのですが
中江藤樹、吉田松陰、西郷隆盛、二宮尊徳が出てきます。
【私】本当になーにやってんだか。
1冊の本をまとめようなんて無謀なことをやっておりました。
なんだか本を読み終わった感激から始めたのですね。
まあ、ここまで来たから最後まで端折ってでもいきましょう。
利他を生きた人たち。
ということで有名な人たちの名前が上がっています。
本の中から印象的な文章を引用、要約させていただきます。
★「私たちは今日から急に利他的に生きることはできません。
自分ではそう思っても、内実を伴わない独りよがりの場合もある」
「例えば悲しんでいる人を励まそうとする。
しかし、こうした時に大切なのは、激励することではなく、
だまってそばにいることかもしれない」
【私】4人のことを紹介するにはあまりに深すぎて大きすぎて難しいですが
ひとつだけ書いておこうと思います。
★私たちが「譲る」ことができるのは「視座」である。
自分の場所からだけ世界を見るのではなく、
可能な限り他者の眼になって世界と向き合おうとすることである。
★鈴木大拙が出てきます。
「二つをそのままにしておいて、しかしてひとつのようである・・・」
こうした関係のありようが「円融自在」である。
つまり、それぞれの人がその人の特性を保ちながら、一つの調和をなしていること。
★「わたし」はどこまでも「わたし」でありながら
同時に「あなた(たち)」と不可分な関係にある。
それを現実の社会で生きて実践すること、それが「利他」なのです。
【私】
つまり、「わたし」と「あなた(たち)は、別のものだけと一緒
ということらしいです。「自」と「他」は違うけど同じ。
二つだけど一つ。禅問答みたいですが、何となくわかります。
第4章 利他のための自己愛
さあ、ここまで来ました。
この章の鍵は「愛」です。
道元も、才郷隆盛も孔子も西郷隆盛も、「愛」について語っています。
どうも、「利他」が生まれるためには「愛」の力が必要なようです。
★「同情」という乗り物でも、ある程度の深みまでは行ける。
しかし限界にぶつかる。
一方で「愛」という乗り物に乗れば、「同情」とは異なる深みへと導かれる
★愛も利他も、(一方方向ではなく)相互的なはたらきがそこに生まれた時
意味ある出来事が起こる
★エーリッヒ・フロムの「愛するということ」という著作には
「愛はアートである」
「愛の道は単に頭で知るだけでなく、生きることによって鍛錬していかなければならない」
★愛がもたらす3つの発見
①自己の発見 ②他者の発見 ③人間の発見
・悲しみにある人に声(愛語)をかけることができたら
危機にそうしたことができる自分に気がつく
・他者の痛みが自分の痛みのように感じられたからだ、と同時に理解する
・そして、「人間」とは文字通り、人と人の「あいだ」に存在するものと認識する。
★忘れがちな「自分を愛すること」
再度フロムさん「他者を愛すると同時に自分を愛することが愛の道」
★「フロムの「愛する」は「受け入れる」または「許す」と意訳したほうが良い」
自分という存在を拒むことをやめて、自分を受け容れ、許し、寄り添うところから始めよ」
その先に他者を受け容れ、そして人間そのものを受け容れるという道がある。
そう簡単にはいかないかもしれないが、だからこそ「愛の道は鍛錬を伴うのだ」(フロムのことば)
さらにフロムさん「愛の道を進むためには、愛を知ることだけで終わらず
「愛を行なってみよ、愛を生きてみよ」
さらにフロムさん「現代人は愛を求めているくせに、愛より需要なことに囚われる。それは成功、名誉、富、権力である」
【私】
なんだか紹介だが感想だかわからなくなっていますが、
ここ、やられました。
はい、この4つに囚われています、私。
愛の価値を忘れています。
★では、なぜこの4つに飲みこまれていくのか
それは自分自身や他者と「つながる」前に、社会の価値と「つながる」からだ
ここで何と、「ゲド戦記」が出てくるのです。
ゲド戦記には「影との戦い」という副題がついています。
ゲドは影、つまり自分の中にあるネガティブなものと戦います。
★自分のネガティブな部分も含めて 自分を愛するためにはどうしたらよいか
大切なことは、受け容れがたい自分にも居場所を作ることです。
【私】
もうここら辺に来ると、心を持っていかれいています。涙腺ゆるんでいます。
★最後の見出しは「自分を深く信頼する」です。
またまたフロムさん「愛を宿している自分を深く信頼すること」
自分はもろくか弱い。しかし「愛」はいつも力を失うことがない。そのことを信じることから始める
「信じるということは、ある意味での賭け。自分を信じることによって、自分に賭けてみる。そうすれば少しずつ愛というものが生まれてくる」
とフロムさんは言っているそうです。
泣けるじゃないですか。勇気が出るじゃないですか。
★本文では「自分に対する信頼を別の言葉で言えば、自信です」
「自信とは、私が私であると認めることです」
「私が唯一無二の存在であると認められれらば、
人は他者もまた唯一無二の存在であることが分かってきます」
【私】
だんだんと大団円に近づいてきました。
ここら辺も本当に納得です。
真新しいことを言われているわけではないのですが
素直に認められるのは何故でしょう。
最後だからどんどん書きます
★自分自身が固有であると知ることは、他者が固有であると知ることです。
つまり、自他ともに等しい存在であるということを経験することです。
【私】つまり、個性を認める、多様性をみとめるということですね。
最後の一文を引用します。
★真の意味の「愛」があるとき、そこに在るものはすべて等しくなる。
ただ人間であるというそのことにおいて、等しく貴い存在になる(ヘックハルト)
ああ、よかった、この本を読んで。
と、ここで終わると思うでしょ。
最後のとどめが、本の帯をはずした所にありました。
「大切なのは、まず自分を信じること」
気持ちが溢れました。
泣けてきたのです。
【最後の感想です】
これは理想論、こんなにうまくいかないし、人間は罪を抱えた存在という考えもあるでしょう。
しかし、歴史をひもといて、これだけの人たちが言っていることを系統立てて説明してくださっていて、これはもう真理だと思えます。
これは追い求めることというより、今の自分を認めてあげよう、自分を愛してみよう。
そうしたら他人も愛することができる。人間とは何か、とかもわかってくるよ。そしてあれこれ知識を得るより、自分を信じてとにかく前に進もう。
そう言っておられるように思いました。
「それでいいんだよ」と言ってもらえているような気がして
とてもホッとした気持ちになりました。 これは著者の若松英輔さんの優しい眼差しがあるからだと思います。造詣の深さ、尊敬します。
って、最後の感想だけ書いておけばいいのに、
何でこんなに書いたのでしょうね。
最後まで読んでくださった方がいたとしたら、「本当にありがとうございます」
もう夜も更けました。おやすみなさい。