読書日記「あるがままの自分を生きていく」
読書日記。お時間のある方はお立ち寄りいただければ幸いです。
長くてすみません。
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最初に~死ぬのにもってこいの日
松木 正著「あるがままの自分をいきていく」
~インディアンの教え
図書館で借りました。
インディアンの、というところで、興味を引きました。
巻頭の詩「今日は死ぬのにもってこいの日」は、前にどこかで読んだことがあります。私の中に時々よみがえります。
インディアンでなくても、お年寄りは「ああ、今日は死ぬのには良い日だなあ」と思ってこの世を去ることがあるのではないか。そう思うことがあります。
ラコタ族の伝統儀式
著者はキャンプカウンセラー、YMCA職員などを経て、環境教育を学ぶために渡米。サウスダコダ州ラコタ(スー)族の居留地で一緒に生活する中で、彼らの自然観、生き方、伝統儀式などを学びます。
ラコタ族の教えの中には、「人生で大切なもの」がたくさん含まれていると思いました。そのひとつが「あるがままを受け入れる」ということです。
ラコタ族の聖なる儀式は厳しく、壮絶です。例えば、4日間飲まず食わず灼熱の山で祈り続けるビジョンクエストなど、「そんなのあり得ない」「死んじゃうよ」と思うくらいです。
意識も飛び、生命の危機も迫る、パニックになる。人間の極限。もう祈るしかない。極限の心身状況の中で、叫び大声で泣き出すこともある。そこから見えてくる魂。生きる目的。
参加者は、ただ寄り添うように、その人の「あるがまま」を受け入れる。弱い自分をさらけ出しても良い。自己肯定感、つまり「私は存在していていいんだ」何という安心感だろう。
ありのままを受け入れる
メディスンマン(一族のリーダー)のロイは言います。
分かち合うとは、相手と自分を「分かつ」ことと書いてありました。つまり、相手と自分は違う。目の前の相手を「あるがまま」尊重し、自分のこととして解釈したり自分の枠組みで考えたりせず、相手の今に寄り添うこと。同感(sympathy)ではない。
とても納得がいきました。この本で、一番ハッと思ったことです。
遙か昔から伝えられてきたもの
ラコタ族の儀式を著者は経験します。ビジョンクエストは20年間行ないました。ラコタ族から学んだことをベースにした、著者自身の自然感、生き方、考え方。そこにも、納得することがありました。キャンプも行なっているそうです。
儀式は厳し過ぎると私は思いました。
もちろんそのまま日本に持ってくることはできません。
人間は極限に達し、限界を越えるところから見えるものがあるのでしょうか。
遙か昔から受け継がれてきた伝統は、厳しい自然の中で、人として、仲間とともに生きるために受け継がれてきた大切な真理ではないかと思いました。それを年寄りのリーダーが伝えていっているに違いない。
時代は変わって、変化するものもある。インディアンをもそうらしい。しかし、古典ではないけど、これまで残ってきたことには価値がある。
そんなことを思いました。