機関誌Vol.42編集後記
編集後記として300文字ほどもらったので残りはここで
機関誌に載ってる内容
悪夢の始まりSくんの「InDesignやって?」だった。
確かに「機関誌に入りたい」と言ったし、未提出の部のリストを作ったりもしたし、原稿も何個か執筆した(探してみてね)。
だが私の得意分野はMicrosoftであってAdobeなんかでは無い。なのに何十本もの動画を見せられ、その日のうちに実戦投入だ。
さすがに酷すぎる。
土日返上かつ20時退勤はザラだ。なんか将来ブラック企業に入ってそうな気がする。
皆はこうはならないように。
合掌
※ネットの大海に晒すにあたって一部改訂している箇所があります。
プラスα
ここからは、付け足しを。
さて、2月24日に機関誌Vol.42も校了を終え、機関誌編集委員の皆様にあたってはお疲れさまでした。
実に大変だった。ええ。
さて、私が機関誌本誌に携わり始めたのは1月の中ごろの編集会議からだった。
それまでは機関誌編集委員会には縁があまりなくカメラをパシャパシャするのが好きで行事ごとにカメラを任されてはSDカードの容量を浪費するお仕事をしていたぐらいだ。
編集会議に出て周りが機関誌編集2年目の中1年目の私は周りが「ページ数の割り振りがどうのこうの」だの「このページを担当するのは誰だ」だのよくわからない話がされるのをただ呆然と話を聞き、挙句の果てにはA先生の言う「かんとうげん」がどういう漢字を書くのかわからないままのスタートだった。
「関東源」...(正答:巻頭言)
なんかよくわからないが進行度合いとしては遅れ気味だったらしい。
そんな私が最初のほうにしていたのは
原稿を出してない部をExcelにまとめ、出していない部の担当者の所へ督促状をWordで作り送り付け、それでも出さないところには直接督促しに行き、出されたものをテキストエディタにコピペする。
読んでいてわかるように誰にでもできるいわば下っ端のお仕事だった。
流れが変わったのは機関誌に書いた通りSくんの
「InDesignやって?」
であったことに疑う余地はもはやない。
本誌の編集後記に書いてあるように私は今までWord・Excel・PowerPointのMicrosoft Office3種の神器で生きてきておりadobe社製品なんて知らない。
読んでる皆さんから「やれと言われたのだからやれよ」と言われそうなものだが自慢ではないが私は3日坊主を極めている。
以前よりHTMLやC言語、Unityなど興味を持ってみては図書館で本を借りてきて挑戦することはするもののすぐに挫折してやめる。
そうした挫折の山が目前に積み重なっているのである。
そんな時にInDesignなんかよく知らないものをやってと言われても途中で無理になって迷惑をかけるに決まっているので本来なら避けて通る道だった。
だがそうはさせてくれないのがSくんである。
私「やだ」
Sくん「やって」
私「やだ」
Sくん「やって」
一向に終わらない、さらにはAdobeが公式で出しているInDesignの解説動画を今日中に見ろと送りつけてきた。
(「3つじゃん」と思うかもしれないがこれはプレイリストで各プレイリストに10本ほどの動画が入っている。)
こうなってはやるしかない。
どうにか解説動画を見終えてパソコンでInDesignを動かしながらなるほどね、と。
何故か今回は挫折することがなかった。Adobe社の解説動画とSくんの圧力のおかげかもしれない。
さて、こうしてInDesignが触れる人出を上手いこと1人増やせたということで私が今までやってた比較的楽な下っ端仕事から本誌のレイアウトや文字を操る比較的ハードな仕事を回されるようになってしまった。
(デザインセンスがないのですぐにレイアウトは無理だと判断されて文字と写真を扱うことになったよ☆)
本誌の締め切りが迫ってきたのと重なってそれまで定時(5時ごろ)退社だったのが19時、さらには20時退社になり仕事を家に持ち帰ることも多くなった。
基本的に私は社畜万歳なので仕事が多ければ多いほど楽しくなれるのでこの頃はとても楽しかったです。
さて、原稿と写真が集まってきて本誌の完成形らしいものが見えてきました。
次のフェーズは校正です。
完成した本誌を印刷してみて誤字や誤った表現をしていないかチェックをしていきます。
これが大変でした。一言一句に目を凝らしながら自分が持ち合わせる国語の知識と照らし合わせながら正しい表記に直していきます。
漢字の勉強を怠ってはいけないと思い知らされました。
ちょっと話は脱線しますがこの世には「国語審議会」といういわば「正しい日本語」を定める機関があるらしくそこの「国語審議会答申」には大層お世話になりました。
校正が終わったらInDesignに反映する。
反映し終えたらまた校正、この繰り返しです。
最終的には第何校までいったのだろうか。
( 校正→反映を1回と数え、この回数を第◯校として数えます。)
第10校はいったのかな。そんな感じだと思います。
最終的に1箇所誤字が残ったまま校了してしまったのは校正員として反省しています。
そうして、何週間か経った後ようやく印刷を終えた機関誌が届くことになりました。
完成し、プリントではなく本として出来上がった機関誌を見るのはまさに感無量でした。
以上が機関誌が完成するまででした。
機関誌編集委員会として多くのことを学べた良い機会になったかと思います。
ここまで約2300文字、お読みいただきありがとうございました。
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