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ドゥルーズ研究者の内藤慧さんに分析美学者がこっそりドゥルーズを教えてもらう会【美学ゼミ】#2
分析美学者の難波がドゥルーズ研究をされている内藤慧さんにドゥルーズのいろはを教えてもらう企画です。もともとはドゥルーズの芸術研究気になるけど分からん! と苦しんでいた難波が、だったら専門家に訊いてしまえ! といきなり面識のない内藤さんにお声がけし、ご快諾いただきました。
内藤慧さん 東京大学総合文化研究科博士課程。専門はジル・ドゥルーズを中心に哲学及び美学。論文に「海の原理とストア派ーLS動的発生論のストア派的読み換え」(『hyphen』第5号 2020年9月)、「ドゥルーズ『感覚の論理学』における「器官なき身体」 「感覚」との関連で」『哲学論集』2020年10月)など。書評に「近藤和敬『ドゥルーズとガタリの『哲学とは何か』を精読する-〈内在〉の哲学試論』 」(フィルカル 5(3) 2020年12月)がある。
ドゥルーズってどんな人?
内藤 概念を精査していく人ですね。たとえば、主著の『差異と反復』では、これまでいろんな哲学者が「差異」っていう言葉を使ってるけど、それって「同一性」の話してません? という問題提起をしているんですね。「差異」を語ろうとして実はみんな違うことを語っていた……だから「差異」という概念がまさに向けられるようなものに向かっていこうとしていく。
難波 哲学史を辿りながら、発散してしまっている試みを整理する。それによって差異を跡づけながら差異に迫っていくんですね。
内藤 そうです。哲学者たちを見ながら、そうじゃないんだ、こうじゃないんだという作業をしていく。もちろん、その先にあるもの、つまりドゥルーズが提示する「差異」は納得できるか、というとそう簡単ではないんですけどね。
難波 すごく変なことを言いっぱなしというよりは、ある概念がほんとうに捉えたいものを捉えようとする探偵みたいな仕事をしてもいたんですね。名探偵ドゥルーズ。
ドゥルーズとの出会い
難波 ドゥルーズとはどんな風に出会ったんですか?
内藤 外在的な話をすると、学部一年生のとき、千葉さん、國分さん、山森さんの三冊が2013年に出たんですね。それでドゥルーズを読み始めました。
難波 では内在的な理由はどうですか?
内藤 うーん。難しいです。ひとつあるのは、哲学史をドゥルーズを介して勉強しようとしていましたね。ドゥルーズがヒュームやカントやスピノザといった他の哲学者を扱っている研究を読んで。あ、あと、『構造と力』が家にあったというのも理由の一つでした。
難波 うわ、『構造と力』あるハウスだ。文化的。許せない。
ドゥルーズ研究史
難波 ドゥルーズ研究にはどんなスタイルがあるんですか?
内藤 ざっくりわけると哲学史研究と批評の二つに分かれますね。最初は『現代思想』とセットで読まれたりした批評の中のドゥルーズの流れがありました。なので、「ドゥルーズを哲学として研究する」流れは実はそれほどまだ充実しているとは言えないんですよね。
難波 まじですか? ドゥルーズ哲学やってる人めっちゃいるイメージでした。
内藤 そうなんです。哲学科で、ドゥルーズ研究で博論を書く、というのも意外と少ないんですよね。僕自身、大学院は哲学科ではないし。哲学史研究、というくくりではやっぱりまだです。
難波 ドゥルーズ研究は制度化されていないんですね。そういえば分析美学もそれほど制度化はされていなくて謎のリンクがありおもしろいです。
ドゥルーズを研究して何をしようとしている?
難波 ドゥルーズってめっちゃ難しいじゃないですか。なぜよりによってドゥルーズを研究して、何をしようとしているんですか?
内藤 ドゥルーズ哲学を使えるものにしたい、ですね。
いま例えば批評系の人がドゥルーズをちゃんと使えてるか、というと疑問があるんですよね。実際にドゥルーズがほんとにそういうこと言ってるのかな? とか、あなたがやろうとしてることドゥルーズとは逆なんじゃないのか? と感じることがあるんです。
ドゥルーズをきちんと理解せずライトな使いかたをするのはかなりリスクが高い。そういう仕方で使ったところで、意味あるものにできないんじゃないかと思うんです。
なので、概念をいったん整理して、最低限こういうものだよね、とコンセンサスを作ることをしたいんですよね。
難波 それは例えば先程のドゥルーズの「差異」概念はあくまで一般的なものから離れて、ドゥルーズの問いに向けられたものだからということですか?
内藤 うん。なので、ドゥルーズの概念を「適用」するというのも難しくなってくるんですよね。
難波 なるほど。ドゥルーズ独自の問いと組になったドゥルーズ概念を整理する。ドゥルーズインフラ整備事業ですね。めちゃくちゃ素晴らしいと思います。
ぼくもドゥルーズ使用について一家言あり、ドゥルーズの召喚コストってすげー高いのになんでみんな使っちゃうの? と思うんです。「生成変化」でも「差異」でも、ドゥルーズ自身の問いと分かちがたく結びついてしまっている概念をスパッと切って何かを説明しちゃうのはダメそう。
内藤 適切にコストを払ってできることを明らかにしたいですね。(あんまうるさいおじさんムーブはしたくはないんですが)。
ドゥルーズは何がしたいのか?
難波 ドゥルーズは何を目指しているんですか?
内藤 概念を創るということですね。還元せずにそれとして語るためにそのためだけの概念を創る。
難波 それってできるんですか?
内藤 ……うまくいっているものもありますね。
難波 その「概念」は使えるんですか?
内藤 個々人が使う際には必ずしもドゥルーズとは異なることについて語ることになるので、別の「概念」を作り直したり、同じ概念でも鋳直したりする必要があると思いますね。
難波 じゃあ、ドゥルーズ理論を「適用」して批評します、という人はどうなんですか?
内藤 それはもう、不届き者ですね(笑)! 何かを適用して何かについて語る、という仕方とは別の仕方で語るために「概念」を創るので、そもそものドゥルーズの試みとは食い合わせがわるいですね。
難波 ぼくの先程のうすうす思っていたドゥルーズ召喚コスト問題とも関わりますね。
内藤 適用とは違う、使う仕方があると思っています。ある概念を使うときにはわれわれの語るべき対象があるんですね。ドゥルーズを使うにしても使うことで何を言おうとしていて、何を問題にしているのかを明らかにしないと意味がないですよね。
難波 それめちゃくちゃ難しくないですか?
内藤 現時点ではドゥルーズをちゃんと使うためにはドゥルーズ研究者にならざるをえない感じがありますね。というのも、ドゥルーズはある種「エリート主義」的で、たくさんの哲学的な文脈を前提して言及しながら議論していきます。なので、そうした文脈をおさえておかないとドゥルーズの言っていることはきちんと理解できないんですね。
難波 たいへんだ……。それは思うところがあり、映画研究をやるぞ、という人がドゥルーズを一回経由するのはとてもたいへんだろうな、と観察していて感じます。内藤さんのインフラ事業を、そしてドゥルーズ研究者の方のお仕事をみんなで刮目して待ちましょう。
生成変化って何やねん
難波 ここで内藤さんに事前に気になっていたキーワードのいくつかについてお訊きします。「生成変化」ってなんなんですか? たとえば、架空の例ですが「男性の性自認のある人がオンラインゲームで女性アバターを用いることで生成変化した」という文章があったとき、これって何も説明していないというか、そもそも生成変化の詳しい定義がないと何かを明らかにしたことにはならないと思うんですよ。
内藤 たとえば、その例が実例だとしたら、端的に間違っていますね。生成変化とは単なる変化ではなくて、ある変化するものと、変化するものが到達するものの、それぞれが属するカテゴリが変化するようなものなんです。
難波 つまり、生成変化には変化対象、変化対象の変化前と変化後の二項、そしてカテゴリが関わっていると。まず変化対象が最初の項から別の項になる。このとき、変化対象は生成変化している。それだけじゃなくて、変化対象がターゲットにする別の項のカテゴリ自体も変化する。
内藤 変化するだけじゃなくて、なった先の項がわたしを含む込む新しいものになることも生成変化なんですね。たとえば、ランとミツバチの例だと、ランはミツバチに擬態することでミツバチを誘いミツバチに受粉の手伝いをさせる。このとき、ランはミツバチに擬態することでミツバチに生成変化する。なぜなら、ミツバチというカテゴリが変化するからですね。そして、ミツバチもまたランに生成変化する。ミツバチはランの生殖器官の延長になっている。
難波 カッコイイ! で、これはいったい何を話しているんですか?
内藤 生成変化は、領土化・脱領土化・再領土化の三つのプロセスの具体例として出されたものだと、私は解釈しています。だからこの前提となるプロセスを理解したいですね。
この領土化のプロセスをランとミツバチで話すなら、まず、ランとミツバチはランとミツバチと領土化されている。
難波 それぞれの種や個体としての領域が定まっている。閉じている、というイメージですね。
内藤 そう。そして、ランがミツバチに擬態し、ミツバチがランに誘われるとき、どちらも脱領土化する。開かれるベクトルが生まれている。
難波 ランという領土、ミツバチという領土から抜け出て、それぞれ別の領土に開かれようとしていると、すると再領土化は?
内藤 とはいえ、ランは擬態するもランのまま、ミツバチはランの生殖の手伝いをさせられるもミツバチのままに戻る、これが再領土化のプロセスです。
難波 なるほど……すると「生成変化」とざっくり言う人には「それは領土化のどのプロセスなんですか?」と訊けばいいわけですね!
内藤 分析系の人に言われたらめっちゃこわいですね。
難波 領土化の三つのプロセス、仕組みは機械みたいでおもしろいんですが、これは結局どんな謎を解き明かすためにドゥルーズが開発した概念なんですか?
内藤 宇宙、かなぁ……。スピノザで言う、実体とか……?
難波 はー。でかくていいですね。まだ理解できませんが、ドゥルーズのやりたいことがあることがわかって嬉しいです。
内藤 こちらこそ嬉しいです。
––––ドゥルーズ研究の難しさなど、内藤さんの日々の戦いが語られるが、ここには記されない。
おわりに
難波 ドゥルーズと分析系、あまり接点はなく、ときおり現代思想と分析系というデカイくくりのなかでディスコミュニケーションがあったりするので、いい感じにお話をしていきたいな、という思いもあり企画したのですが、内藤さんにドゥルーズのやりたいことや独自さ、おもしろさ、難しさを教えていただきました。めちゃくちゃ楽しかったです!
内藤 そう言っていただけてわたしもとても嬉しいです。自分はゲームや動画コンテンツなど、あまりドゥルーズと組み合わせて論じられず、むしろ分析美学で語られてもいるトピックに関心があるので、引き続きお互い勉強していけたらと思っています。
難波 またイベントしましょう! 無限に呼びます!
内藤 ぜひ!
編集後記
最後に質問コーナーとして、ドゥルーズ&ガタリの(BL的)関係の読解(不)可能性、バーチャルYouTuber文化の中で論じられる「バ美肉(バーチャル美少女受肉)」についてのご質問に答えたり、実況文化におけるプレイヤとキャラクタの演じる関係について話したりしました。
領土化のプロセスの中で確かに男性が女性の可愛らしいアバターを装うことで脱領土化の契機があるかもしれないが、再領土化によって男性のままにある可能性の高さや、「女」というカテゴリを生成変化させているわけではない、むしろ「可愛い女」を「女」の中心とするような仕方で保守的なカテゴリの強化や維持をするという事態はドゥルーズの「反動」概念から論じられうるという話がありました。
総じて「ドゥルーズを召喚して何もかも説明できるわけではない」というふつうと言えばふつうな、しかし含蓄深いお話を訊けたのが自分の収穫でした。またいつか記録されるかもしれません。ドゥルーズをガイドとして使いつつ、いろんな人といろんな概念を手掛かりにこの世界について考えていきたいです。