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香炉峰


川端龍子の「大陸策連作」シリーズ。
その第三作「香炉峰」

先日あやのんさんの記事を拝見して、暫く頭の片隅に追いやられていたものが音を立てて蘇って来た。


この絵は小学校低学年の頃に初めて見た。
作者が誰かなど何も知らずに、またその「香炉峰」のタイトルすらも知らなかった。

私を引き込んだのはただただこの精緻に描かれた飛行機・・。

帝国海軍「96式艦上戦闘機」

96式とは皇紀2596年に軍に正規採用された事を意味している。
有名な「零戦」は皇紀2600年の採用。

この戦闘機を初見で型式まで判別できる人は相当のマニアだろう。

通称「96艦戦」と呼ばれる傑作機である。
この機以前の世の主流は複葉機・・、日本では初の低翼の単葉機だった。

この辺りを語り出すといたずらに冗長でキリの無いものになってしまうので、視点を私の幼少期に移して少し書いてみたい。

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私の子供の頃、男子は「プラスチック模型」、女子は「リカちゃん人形」などのお人形さん遊びが主流で、TVゲームなど皆無の時代。
ご多分に漏れず私もプラモ少年で、今から思えば相当な数の模型を手掛けていた。
メインは大戦中に活躍した戦車や航空機などの世界各国の兵器達。
とにかく作り捲くっていた。

当時は箱にシュリンクラップなどされていなくて、中の組み立て図やパーツが見放題だった。
放課後、私は毎日のように模型屋に通い、片っ端から箱を開けては組み立て図に書かれていたそれぞれの兵器の活躍した背景や、開発された経緯等の詳細な解説を貪るように読んだ。勿論、小学校低学年向きに書かれたものではないのでフリガナなど皆無だったが、解らない漢字は家に帰ってから調べた。
そんな事を長く続けていると、私の「国語力偏差値」は自然と高まり、本屋で立ち読みする本のジャンルも軍事物がメインで、
「あの子、あんな本読めるのか?」
なんて、よくからかい半分に言われていたものです。笑

私が初めて買ったハードカバー本はあの有名な撃墜王 坂井三郎氏の
「大空のサムライ」
高かった。
小学4年の夏。
本を買った後しばらくは新しい模型も大好きな柿の種も買えなかったなぁ。
黒い布張りの装丁に躍動するゼロ戦が銀で箔押しされていた。
それがカッコよくて。

学校へはバスで通学していたので通勤ラッシュのぎゅうぎゅう詰めの車内、私は始発駅から乗っていたので、常に座って読書にのめり込めた。
毎日「大空のサムライ」を読み倒し、読み終えてもまた初めから読んだ。
何度も何度も。
よく大人たちが上から覗き込んでいたっけ・・。

そして、飛行機に憧れ大空に憧れる。

小学校6年になると私はプラモデルを卒業し、エンジン式のラジコン機へ
シフトしていた。
実際に大空を羽ばたく飛行機を作る難しさは、プラモデルの比ではなく、
まともに「飛ぶもの」が出来るまで、何度も何度も失敗墜落の繰り返しだった。大破しても新しい機体を買う余裕などなく、もはや原形を留めない残骸をかき集めて作り直す作業は、新品を作る時の数倍の忍耐と試行錯誤が必要で、
「お父さん、壊れたからまた買って~!」

と言えば問題が解決する恵まれた家庭に育つことが出来なかった私は、とんでもなく泥臭く、のた打ち回りながらスキルをものにして行ったのだった。

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数年前の宮崎駿のアニメ
「風立ちぬ」
主人公、堀越二郎が開発していたのが実はこの「96式艦上戦闘機」だ。

これは試作初期型
試作最終型、まさにテスト飛行の一コマの箱絵
プラモデルの箱です。
香炉鋒はこのタイプ。
後期型、プロペラが3枚になり、コックピットが密閉型に・・。


さて、
ここからが本題です。
ヘッダー画像に注目してください。


驚きの詳細描写!

この丸で囲った4カ所に注目してください。
一体これの何が凄いのか?
まず、ここまでこだわって正確に個別装備を描いた人は恐らく龍子の他いない・・と言う事。
のこの鐙(あぶみ)のようなものは、まさしく鐙です。
この飛行機に搭乗する際にまず最初に踏むステップで、パイロットは必ずここに右足を乗せ、
の小さな四角を押し、スプリングで飛び出す構造の手すりを引き出します。そして右手でそれを把持して、
のメッシュ模様に見える部分に左足、右足の順で乗せ、
に収納された「足掛け」を引き出し、左足を掛けて右足から乗り込む。
更に、④のメッシュ状の足乗せは実は翼の内側に補強があり、ここ以外に足を乗せるとベコベコと翼が凹んでしまうので、翼部に足を乗せるのはピンポイントで「ここ一択」。究極の軽量化にためにそうなっていました。

それにしてもこの絵の本題である「香炉鋒」には全く無くてもよい描写をする龍子のこだわりに泣けてしまう・・。

日中戦争時、龍子は従軍画家として軍用機への搭乗経験が豊富で、龍子以外では当時の写真を含めてもこの「乗降装備」が確認できる資料は無いだろう。
先月、改めて「香炉鋒」を見てこれを発見した時の感動はもう脳内
「爆弾散華」
状態からの涙腺が崩壊だ。

子供の頃そこまで描かれている事なんて全く知らずに、ただただ
「わーい、96艦戦だー!」
とはしゃいでいたが、あやのんさんのお陰でこの歳になって気付けた事が嬉しくて・・。



有名な「香炉鋒の雪」・・
戦闘機の内部構造をスケルトンで描き、「簾」に見立て、眼下背景に香炉鋒を、そしてコックピットの下をハイライトで「簾越しに観える雪」を独特の感性で描き切ってます。
この一見雑に見える内部構造も実に精緻!
恐らく三菱から図面を調達したか、製造工程を見学したのかも知れない。
彼なら恐らくそれくらいするだろうな・・。

観る人それぞれに感動の受け取り方は違うものですが、わたしにとっての
龍子の「香炉鋒」は色々な意味で伝わるものが多過ぎて、もう上手く説明出来ないモノになっています。

きっとこれからもまた何か見つけてしまうのだろうな・・、
だからスルメのようにじっくりと味わう事にします。

なんだか締まらない終わり方だなぁ・・。笑

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2024/08/07 9:20 AM 追記

ちょっと新しいトリビアを見つけてしまいました。
あの ①の「鐙」の事なんですが、実は今回最初から違和感があって、
モヤモヤとしていた箇所でした。

何かと言うと、実際に飛行中の96艦戦には、あの「鐙」は機体に収納されていて、この画像のように出づっぱりな状態で飛行する事は無いと言う事です。
つまり、あの鐙は乗降時以外は外に出ていなくて、パイロットが乗り込んだのを確認した整備員が収納するものなのです。
収納する理由もしっかりあって、少しでも空気抵抗を減らすための機構なのでした。96艦戦は特に空気抵抗にしのぎを削った設計で、使用する数千個のリベットですらも「沈頭鋲」と言う機体肌面と面一(ツライチ)になるものが使用されます。ですから、空中ではこのような状態はありえません。

さて、それでは龍子の勘違いによる描き込みなのか?と言えば、それは全くそうではなく、こういう事なのだと思います・・。

彼は軍人ではありません。ですから搭乗員の基礎訓練は当然うけていませんし、中国でも数回の搭乗経験しかありません。
いわゆるお客さん扱いで搭乗しているはずで、例の乗降設備も機体付の整備員が直ぐに搭乗できる状態にしていたので、龍子はそれは初めから機体に下に固定されているものとして認識していたのだと思います。
更には飛行機を降りる最にも整備員がいち早くあのステップを引き出しスタンバイするので、龍子は機体に収納された状態を見る事が無かったと言えます。

精密無比の龍子ですが、彼が見た機体は常にこの状態でしか捕えようがなかった、故にこのような作品に反映された・・・。
と言う不思議なトリビアでした。


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