【基礎ゼミレポート】ラ・ボエシ『自発的隷従論』#04&05~永続的に続く隷従よりも目先の不安解消を選ぶ不合理【ソトのガクエン】
こんにちは、ソトのガクエンの小林です。
前回(6月26日)と前々回(7月4日)に実施しました基礎力向上ゼミのレポートです。先週あたりから、祖母の入院、娘が風邪で幼稚園お休み、次男&長女の歯医者等々、イベントが立て込んでおりまして、振り返る時間がありませんでした。介護、育児、リアルに差し迫る問題です…。
さて、『自発的隷従論』です。基本的に、人間は生まれながらにして圧制者に自ら隷従するのはなぜかという議論が続いています。
6月27日(火)
『自発的隷従論』「動物も自由を求める」(27頁)では、自由が自然のものであることは自明であり、もし動物を演壇に登らせれば、きっと「自由万歳」と叫ぶだろうとラ・ボエシは表現します。魚が水から出たとたんに死んでしまうように、動物たちはとらわれたとたんに死んでしまう、あるいはとらわれたら激しく抵抗する、牙を折るなどして、自分がいかに苦の状態にあるのかをはっきりと示すと言います。では、人間はなぜこのような自然の状態を忘れてしまったのか、すなわち、本来的に自由であるということを忘れてしまったのか、なにが「かくも自然の状態から遠ざけ、存在の原初の記憶と、その原初のありかたを取りもどそうという欲望を、人間から失わせてしまったのだろうか」(30頁)とラ・ボエシは問いかけます。
さて、ラ・ボエシは圧政者には三種類があると言います。すなわち、民衆の選挙によって選ばれた者、武力による者、家系の相続による者です。選挙によって選ばれた者は、後者二つよりも良いように見えます。しかし、ラ・ボエシは、それも当の圧政者が「偉大さ」によって得意になり、その座から金輪際降りるまいと決意しない限りにおいてであると言います。そのような者は、自らが得た権力を我が子に与えようとするし、この圧政を維持すべく隷従をきわめて強く推し進めることになるからだとラ・ボエシは述べています。よって、圧政者はいずれも大差なく、民衆を餌食として、生来の奴隷として扱うことになると主張します。
7月4日(火)
「習慣としての隷従」(33頁)では、もし人間が隷従と自由がなんであるか知らず(名前は知っているとして)、奴隷となるか、自由に生きるかを選ぶとすれば、当然、理性にのみ従い後者を選ぶことを好むだろうという思考実験が述べられます。しかし、歴史上そのようにしなかった民族がイスラエルの民であるとラ・ボエシは述べます。訳注ではこの箇所は『旧約聖書』「サムエル記」を念頭に置いているだろうと指摘されています。すなわち、イスラエルの民を支配するサムエルは自身も段々と年老いて、彼の息子たちは父とは異なり不正に手を出し始めます。そこで、民衆はサムエルに対し、他の国々のように王を立ててほしいと請願します。そして、主はサムエルに対し、「王の権利」として以下の事を民衆に伝えよと言います。
しかし民衆は、こうした主の忠告を聞き入れることなく、王をもとめ、自らの隷従を甘んじて享受することを望むことになります。
民族の危機という未だ現前しない恐怖に駆り立てられ、しかしながら、自分の後の世代まで続く、遠く離れた未来の者たちの隷従にまではけっして思い及ばないのが、まさに人間の想像力なのかもしれません。こうした人間の性質をうまく扇動・誘導するのがポピュリズムの手法かもしれない、というような話を参加者の皆さんとしておりました。
次回は、7月11日(火)22時からです。33頁「というのも、どんな人間でもから読み進めていきましょう。
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