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(1/30)フェリックス・ガタリ入門講座最終日レポート|第4回「あなたをそこから連れ出してくれるのは誰ですか?」@ソトのガクエン

皆さま、こんにちは、ソトのガクエン代表の小林です。

1月初めから全4回にわたって実施してきました、山森裕毅講師による「フェリックス・ガタリ入門講座」最終日のレポートをお送りいたします。

今回は、前回の終わりに参加者の方から頂いた質問に答えることから始まりました。

Q. ラベリングすることと個人化することは同じか?
A. ラベリングと個人化することは顔貌性に備わる異なる機能です。
集団と前個体的状態において、個人の識別はできません。個体化は、この二つの状態から生じますが、その際、顔貌性による個人化によって、それぞれの良さは損なわれることになります。
「あの人は”父”になった」「"先生"らしくなってきたね」というのがラベリングだとすると、個人化は、固有の領土に住みつき、固有の役割を果たすことができるようになることなので、若干異なります。個人化はどちらかというとラベリングよりも「染まる」に近い。

さて、最終日の今回は、ガタリの基本的な考え方の一つに、「意想外のつながりや移行、中途変容を好み、閉鎖、すなわち変化を拒み閉じこもることを嫌うと考えることができます、という話から始まりました。閉鎖の例としては、統合失調症における「自閉」や、医師や看護師などによる専門領域への固執があります。こうした閉鎖的状況からどうやって出ていくかがガタリの思想上の課題となると山森さんは指摘します。その応答の一つが「地図作成」と呼ばれるものです。その具体的な記述を、ドゥルーズとガタリの著作『カフカ』から紹介されました。

彼らが『カフカ』で述べているのは、地図を描いて「出口」を探るということです。カフカの小説「変身」は出られない話、「掟の門前」は入れない話であり、この閉塞状況から抜け出すために、地図を描こうというのが地図作成です。

そのためにドゥルーズとガタリは、まず「分解」することで空間や部分ごとの詳細を分けて捉えていくことが必要であるとします(長編小説『城』では、城と村の区別から、各々のより詳細な部分に分けていく)。さらに、分解された物同士は、離れていても隣り合い、移動できる性質を持つことを、ドゥルーズとガタリは「隣接性」と呼びます。分解と隣接性によって、ここではない隣へと移行する現実性が開かれるとドゥルーズとガタリは考えます。この移行が実際に起こるためには、連結させる人物による導きが必要であり、そのような人物が「コネクター」と呼ばれます。例えば、コネクターが女性である場合、その女性の領域へと移行するとともに、その女性に備わる能力を自分のうちに捕捉することを「女性への生成変化」と呼びます。

そして、これまでの議論を、どのように実践的に使うのかということが、山森さん自身の問題意識であると主張します。すなわち、①自分や誰かが閉塞感に陥っていないかを考えたり、お互い話す中で考える。②生活圏や具体的な問題圏について全体を思い浮かべ、その部分ごとに分解する。③部分を並べて地図を描いてみる。④自分が出ていきたい場所について考える。⑤そこに出ていくために、コネクターに出会える機会を想像・創造してみる(ただし、コネクターを絶対視しない。偶然性も大事にする。)山森さんは、自身の現在の活動領域を実際に書き出し、地図作成を具体的に説明されていました。

さて、最後に、参加者の方々からの質問に応える時間が設けられました。主なのものとしては以下がありました。

Q. ガタリにとって作家や芸術家はどのような役割を果たしているのか?
A. プルーストやジュネなど、小説家ごとにそれぞれの分裂分析があるとガタリは考えている。

Q. 地図作成法は存在論と関係がありますか?
A. ドゥルーズの場合は、潜在性における閾、強度の勾配と移行が問題になるので、その場合は、潜在的なものという存在における地図作成が問題になるかと思います。

Q. 異なる切片への移行は、心の変化のことでしょうか?必ず空間的な移動を伴うものでしょうか?
A. 僕(山森さん)自身の実践では、心の変化と空間的移動が一致するのですが、閉塞性から逃れることができるのであれば、心の変化のみでも良いと言えるかもしれません。

Q. 地図作成がポストモダン的な脱構築に似ているけれど、関係はあるのか?
A. 自分自身は脱構築に言及せず説明しました(言及しなくてもできる)が、むしろ、脱構築とともに考えるとより違うものが見えてくるかもしれません。

Q. 隠喩(例:「白雪姫」は「白い雪のように美しい」という意味で、あるものを別のもので表現する)とは異なり、換喩(例:「赤ずきん」は、身につけているもの(部分)によって本人(全体)を代表させている)は隣接性ですが、スキゾ分析には言語論的なモデルはあるのでしょうか?
A. 基本的には言語論とは関係ないかと思います。むしろ、メタファーや換喩は精神分析に関連するものであるので、ガタリはそこから距離を取ろうとしているかと思います。

全4回にわたりお送りしてきました、フェリックス・ガタリ入門講座はこれで終了です。ご参加いただきた皆様、毎週熱心にお聞きいただきありがとうございました。皆様がこれから、各自でガタリの著作を読み、スキゾ分析を実践される際に、今回の入門講座が何かしらのお役に立つことを願っております。

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