フランス生活いろいろ その1:高校生の進路と夢
経済社会学の授業で職業の話をしたと、先日の昼食時に長男が不意に言い出した。ある女子は目指す職業を収入で決めた、別の男子は音楽が好きだけど、それで食べていくのは無理だと言ったらしい。昨今は高校生でも夢を見る余裕がないのだろう。それに対して長男は収入で職業を決めるなんて馬鹿げていると憤慨し、音楽の分野は幅広いから不可能ではないと断言する。「まあ、このコロナ禍でコンサートはできないから、しかたがないんじゃない?」と言うと、「音楽はコンサートだけじゃない。録音はいつでもできるし、人々もそれを必要としている。ようはやる気の問題」と17歳の少年は力説していた。
以前読んだ本の序章で、作曲家だか指揮者だかが書いていたことを思い出した。「才能(talent)とチャンス(chance)と強い意志(détermination)があれば必ず成功する」。それを読んだ時は「いやいやいやいや、大半の人は三拍子揃ってないから大変なんでしょ?」と思ったが、今は強い意志さえあれば道は開けるのではなかろうかと思っている。すなわち自分のやりたいことが頭の中で明確になっていること。そしてそれに対して、少しずつでも努力し続けられること。これがとにかく重要。人生は無数の小さな選択が連なってできている。自分のやりたいことが明確であればあるほど、日々の小さな選択のひとつひとつが必然的に少しずつ自分の夢へと向かい、それが積み重なって才能という形を取ったり、チャンスへと導いてくれたりする。だからこの3つはまったくの別物ではなく、連動している。
でも人は失敗するのが怖いから、何かしらの言い訳を見つけてチャレンジを放棄する。私の経験から言わせてもらえば、人生がどう転ぼうがそれなりの歳になると多かれ少なかれ後悔する。どうせ後悔するなら、やって後悔した方がいい。たとえ自分の夢にトライして失敗したとしても、それは完全な敗北にはならない。どんな状況に置かれていても、成長はしている。
それに職業は自分の努力でかなりどうにかなるものだが、結婚して家庭を築くのは相手あってのものだから、自分の努力だけではどうにもならないし、どんなに努力しても失敗する時はする。職業で諦めて、家庭に失敗したら、中高年になってものすごくシンドい。だから、職業は諦めないほうがいい。出来る限り自分で納得できる職業を目指したほうがいい。私はそう思う。
そしてなぜか自分が高校生だった頃のことをふと思い出した。同級生たちは教育学部へ進み、教員になるとすでに決めていた。なんで教師になりたいのかと尋ねると、「休みが多いから」という返事がかえってきた。私はそれに嫌悪感を覚えた。あまりに現実的すぎて、あまりに夢がなさすぎて、がっかりを通り越していたのだ。ただ彼らには彼らなりの考えがあったはずだ。奨学金を得なければ進学できない家庭の事情、教員になれば奨学金返済が免除されるという事実。そうしたことを知らずに、予備校通いの浪人時代を経て、私立の美術大学に進学させてもらった私は幼稚で無知だった。
そんな経緯があるだけに、長男の言い分もわかるが、同級生たちを庇いたい気持ちも強い。30年くらい経ったら、彼にも同級生たちの考えが想像できるようになるだろうか?